第15話 聖女様の壊れた杖を直したら、国宝認定されてしまいました

王都の空は、鉛色の雲に覆われていた。

それは単なる天候の悪化ではない。

都を守る「大結界」の力が弱まり、周囲に漂う魔素の淀みが、可視化された黒雲となって空を圧迫しているのだ。

人々は不安げに空を見上げ、広場にある女神像に祈りを捧げていた。


「……結界の崩壊まで、あと数日といったところか」


王城の謁見の間。

国王レグルスは、玉座の肘掛けを強く握りしめ、苦渋の表情を浮かべていた。

その御前には、宮廷魔導師長や騎士団長といった国の重鎮たちが、蒼白な顔で並んでいる。


「魔導師長よ。予備の結界装置はどうなっている?」

「はっ……。全魔導師を動員して魔力を注ぎ込んでおりますが、あくまで一時しのぎに過ぎません。本命である『浄化の聖杖』が機能を停止している以上、結界の維持は限界です」


白髭を蓄えた魔導師長が、悲痛な声で答える。

国の守りの要である聖杖アストライア。

それが穢れに侵食され、修復不可能と診断されたあの日から、この国は滅亡へのカウントダウンを刻んでいた。

最後の希望を託し、国定聖女シルヴィアが「伝説の修理屋」の元へ旅立ったが、戻ってくる保証はない。

そもそも、王都の最高技術者たちが匙を投げた代物を、辺境の一職人が直せるという話自体、あまりにも現実味がなかった。


「陛下。万が一に備え、民の避難誘導を開始すべきかと……」

「ならぬ。王都の民を全員避難させる場所などない。それに、結界が消えれば魔物の大群が押し寄せる。城を出れば虐殺が始まるだけだ」


重苦しい沈黙が広間を支配する。

誰もが、最悪の結末を覚悟しかけた、その時だった。


バァァァァン!!


重厚な扉が、勢いよく開け放たれた。

衛兵の制止する声と共に、一人の騎士が駆け込んでくる。

シルヴィアの護衛についていた、近衛騎士だ。


「へ、陛下! 朗報です! シルヴィア様がお戻りになられました!」

「なに!? シルヴィアが!」


国王が腰を浮かせた瞬間、騎士の後ろから、凜とした声が響き渡った。


「ただいま戻りました、お父様……いえ、陛下」


そこに現れた姿に、広間にいた全員が息を呑んだ。

深々とフードを被っていた出発時とは違う。

堂々と顔を上げ、颯爽と歩を進めるその少女は、以前のような病的な青白さは微塵もなく、内側から発光するかのような生命力と美しさに満ち溢れていた。

そして、その手には。


「な、なんだあれは……!?」

「杖が……虹色に輝いている!?」


彼女が携えている『浄化の聖杖』。

かつての白銀の杖ではない。

プラチナと虹色の光を纏い、先端の結晶石からは、見ているだけで心が洗われるような清浄な魔力の波動が放出されている。

その波動が触れただけで、広間に漂っていた重苦しい空気が一瞬で霧散した。


「シルヴィア、その杖は……まさか、直ったのか?」

「はい。直していただきました。……いえ、『生まれ変わった』と言うべきでしょうか」


シルヴィアは玉座の前で跪くと、杖を高く掲げた。


「ご覧ください。これが、修理屋ルーク様によって新生した、真のアストライアです」

「おお……!」


国王が震える手で杖に触れようとした瞬間、シルヴィアはニコリと微笑み、杖を床にトン、と軽く突いた。


キィィィィィン……!


澄んだ音が、城全体、いや、王都全体に響き渡った。

次の瞬間、杖の先端から極太の光の柱が天に向かって噴き上がった。

光は天井を突き抜け(物理的な破壊はなく、透過した)、鉛色の空へと到達する。


ドォォォォォンッ!


空で爆発音がしたかと思うと、都を覆っていた黒雲が、まるで太陽に焼かれた朝霧のように瞬時に消滅した。

代わりに広がったのは、目が覚めるような快晴の青空と、その上空に展開された、幾何学模様の巨大な光のドーム――『絶対結界』だった。


「ば、馬鹿な……! 魔力充填もなしに、一瞬で最大強度の結界を!?」

「いや、以前の強度ではないぞ! 観測値が測定不能!? 神話級のエネルギー反応だ!」


魔導師たちが計測器を見て絶叫する。

シルヴィアは涼しい顔で立ち上がった。


「ご安心ください。この杖には、ルーク様の手によって『大気中の穢れを自動で魔力に変換する永久機関』が組み込まれました。今後、魔導師たちが交代で魔力を注ぐ必要はありません。呼吸をするように、杖が勝手に国を守ってくれます」


「え、永久機関だと……?」

「穢れを魔力に……? そ、そんな術式、古代魔法文明にも存在しないぞ!」


魔導師長がよろよろと杖に歩み寄り、食い入るように観察を始めた。

そして、数秒後。


「ひぃぃぃっ!?」


彼は腰を抜かしてへたり込んだ。


「ど、どうした魔導師長!」

「り、理解できん! なんだこの回路は! 複雑怪奇にしてシンプル、芸術的かつ合理的……! 我々の知る魔法理論が、子供の落書きに見えるほどの超絶技巧だ! これを作ったのは誰だ!? 魔法の神か!?」


国一番の知識を持つ魔導師長の錯乱ぶりに、広間は騒然となった。

国王レグルスは、呆然としながらもシルヴィアに向き直った。


「シルヴィアよ。これを成したのは、本当に『修理屋』なのか?」

「はい。グリーンホロウという辺境の村に住む、ルーク・ヴァルドマン様です」


シルヴィアの瞳が、熱っぽく潤む。

彼女はまるで恋する乙女のように、頬を染めて語り出した。


「彼は、私の身体の呪いも、一瞬で解いてくださいました。それどころか、肌艶まで良くしていただいて……。見てください、このスベスベの肌を!」

「あ、ああ。確かにお前、以前より若返ったというか、綺麗になったな……」

「ルーク様は、単に物を直すだけではありません。その本質を見抜き、可能性を限界まで引き出してくださるのです。彼こそは、この国が得た最大の宝と言っても過言ではありません」


シルヴィアの熱弁に、国王は重々しく頷いた。


「ルーク……。聞いたことがある名だ」


国王の脳裏に、ある報告書の記憶が蘇る。

勇者パーティのメンバーリストだ。

確か、勇者ブレイドを筆頭とする「光の勇者パーティ」に、荷物持ち兼雑用係として登録されていた名前。


「まさか、勇者パーティを追放されたという、あのルークか?」

「はい。彼らはルーク様を『役立たず』と罵り、ダンジョンの深層に置き去りにしたそうです」


その言葉を聞いた瞬間、国王の顔が怒りで赤黒く染まった。


「なんと……! あの愚か者どもめ!!」


ドンッ! と玉座を拳で叩く。


「これほどの神業を持つ国士を、役立たずだと!? 己の未熟さを棚に上げ、国の損失になるような真似をしおって! 勇者ブレイド……奴には以前から慢心が見られたが、ここまで目が曇っていたとは!」


国王の怒りはもっともだった。

もしルークが魔物の手にかかって死んでいれば、この国の結界は直らず、国は滅んでいたかもしれないのだ。

勇者の個人的な感情による追放劇が、国家存亡の危機を招きかけた。これは万死に値する罪だ。


「陛下。ルーク様は、今はその村で幸せに暮らしておられます。彼を無理に王都へ召し上げれば、彼のご機嫌を損ねるやもしれません」


シルヴィアが釘を刺すように言う。

彼女はルークの「静かに暮らしたい」という願いを知っている。

そして何より、彼を独占したいという微かな(いや、結構強い)独占欲もあった。


「うむ……。これほどの人物、下手に権力で縛ろうとすれば、他国へ逃げられる可能性もあるな。今の関係を維持しつつ、最大限の敬意を払うべきか」


国王は賢明な判断を下した。

そして、宣言する。


「よし。本日をもって、この『新生・浄化の聖杖』を、国宝の上位にあたる『聖天(せいてん)神器』に指定する! そして、これを修復したルーク・ヴァルドマンに対し、王家より『名誉工匠伯』の爵位と、グリーンホロウ村の自治権、および永世免税特権を与えるものとする!」


「おおお……!」

「異例中の異例……!」

「しかし、あれほどの奇跡を見せられては異論などあるまい」


家臣たちが頷く。

ルーク本人がいない場所で、勝手に爵位と特権が決まっていく。

だが、誰も反対しなかった。

あの虹色に輝く結界を見れば、彼がどれほどの恩恵を国にもたらしたかは一目瞭然だからだ。


「して、シルヴィアよ。勇者パーティの動向は掴んでいるか?」

「はい。彼らは現在、装備の劣化により著しく戦力を落とし、ルーク様を頼って東へ向かっているとの情報が入っております」


シルヴィアの声が冷たくなる。


「彼らは、まだ気づいていないようです。自分たちが捨てたものが、どれほど尊いものであったかを。そして、ルーク様が築き上げた村が、今の彼らにとってどれほど敷居の高い場所になっているかを」


「フン。自業自得よ」


国王は冷徹に言い放った。


「勇者ブレイドについては、王都に戻り次第、査問会にかける。勇者の称号剥奪も視野に入れねばならん。……だがその前に、ルーク殿にコッテリと絞られるといい。それが彼らへの一番の罰になるだろう」


こうして、王都におけるルークの評価は、本人の知らぬ間に「神」の領域まで高められていた。

宮廷魔導師たちは「ルーク様の技術を学びたい!」と東へ巡礼する計画を立て始め、商人たちは「グリーンホロウ特需」に乗り遅れまいと動き出す。

王都は今、空前の「ルーク・ブーム」に湧こうとしていた。


   *   *   *


一方、グリーンホロウの村。

当の本人である俺、ルークは、そんな王都の大騒ぎなど知る由もなく、平和な日常を送っていた。


「へっくしょん!」


盛大なクシャミが出た。

誰かが噂でもしているんだろうか。

まあ、十中八九、先日修理したシルヴィア様か、あるいは手紙を燃やされた勇者ブレイドだろう。


「主よ、風邪か?」

「いや、なんか鼻がムズムズして。……よし、この鍋の蓋の修理、完了!」


俺は作業台の上にあった、何の変哲もない木の鍋蓋を手に取った。

近所のおばちゃんからの依頼品だ。「すぐに割れちゃうから、丈夫にしておくれ」と言われていたものだ。


「見た目は普通の木製だけど、強度はミスリル並みにしておいたぞ。あと、煮込み料理の時に吹きこぼれないように、蒸気を循環させる『圧力調整機能』もつけておいた」

「……たかが鍋蓋に、またオーバースペックな」


ガラハドさんが呆れたように笑う。


「いいじゃないですか。生活の道具こそ、丈夫で使いやすくあるべきです」


俺は出来上がった鍋蓋を、野菜を持ってきてくれたおばちゃんに渡した。

おばちゃんは大喜びで、お礼にと焼きたてのミートパイをくれた。

これが俺の幸せだ。

国宝認定? 爵位?

そんなものより、今夜のミートパイの方がずっと価値がある。


「さて、今日は少し早めに店を閉めて、温泉の拡張工事の続きでもやりますか」

「うむ。サウナの増築じゃな。ガンツたちが張り切って木材を運んでおったぞ」


俺たちはのんびりと会話をしながら、店のシャッター(これも廃材で作った自動昇降式)を下ろそうとした。

その時。


カランカラン。


入り口のベルが鳴った。

夕暮れ時の、閉店間際。

そこに立っていたのは、一人の少女だった。


「……あの、すみません」


消え入りそうな声。

ボロボロのローブを纏い、顔はフードで隠れているが、その隙間から見える口元は震えている。

一見すると、ただの迷子のようにも見える。

だが、俺とガラハドさんは同時に眉をひそめた。


彼女からは、微弱だが「魔族」特有の気配が漂っていたからだ。


「……いらっしゃい。修理の依頼かな?」

「主よ、警戒せよ」


ガラハドさんが小声で警告しつつ、さりげなく俺の前へ出る。

少女はビクッとして後ずさったが、意を決したように懐から何かを取り出した。


それは、半分に折れた黒い角(ツノ)だった。


「これ……お父さんの形見なんです。直せますか……?」


少女がフードを少し上げると、その額には片方だけ折れた角の跡があった。

魔族の子供だ。

本来なら、人類の敵対種族。

勇者パーティにいた頃なら、問答無用で討伐対象だったかもしれない。


だが。

俺は彼女の目を見た。

そこにあるのは、敵意でも殺意でもない。

ただ、大切なものを壊してしまった悲しみと、藁にもすがるような必死な願いだけだった。


「……見せてごらん」


俺はガラハドさんを制して、少女の手から角を受け取った。

冷たい。

けれど、そこには確かに、持ち主だった父親の「娘を守りたい」という温かい残留思念が残っていた。


「直せるよ」

「ほ、本当!?」

「ああ。俺は修理屋だからな。種族なんて関係ない。壊れたもので、持ち主が直したいと願うなら、それが俺の仕事だ」


俺はニカッと笑った。

少女の目に、大粒の涙が溜まる。


「お父さん……魔王軍との戦いで、私を庇って……」

「そうか。立派なお父さんだったんだな」


魔族にも、色々な事情があるのだろう。

人間と戦いたくない者、平和に暮らしたい者。

この村は、そんなはぐれ者たちにとっても、最後の避難所(サンクチュアリ)になりつつあるのかもしれない。


「少し待っててな。すぐに新品同様にしてやるから」


俺はハンマーを手に取った。

王都では聖女の杖が国宝になり、ここでは魔族の角を直す。

やっていることは変わらない。

俺にとっては、どちらも大切な「修理」だ。


   *   *   *


その頃。

グリーンホロウから西へ数十キロの地点。

勇者パーティは、野宿の準備をしていた。


「……寒い」


聖女アリアが身を縮める。

焚き火の火は小さく、風が吹くたびに消えそうになる。

食料は底をつき、今日は木の実と泥水のようなスープだけだ。


「あと少しだ……。あと少しでルークのところに着く」


勇者ブレイドは、焚き火を見つめながらブツブツと呟いていた。

その目は虚ろで、頬はこけ、かつての輝かしい英雄の面影はない。


「ルークに会えば……風呂に入れる。ふかふかのベッドで寝られる。美味い飯が食える。装備も直る。俺たちはまた最強になれる……」


それは願望というより、妄執だった。

ルークが自分たちを歓迎してくれるという根拠のない確信。

いや、歓迎させなければならないという強迫観念。


「ブレイド……。本当に、ルークは許してくれるでしょうか」


賢者ソフィアが不安そうに問う。

彼女は、道中で聞いた噂が気になっていた。

『東の辺境に、鉄壁の城壁を持つ要塞都市ができた』

『そこには剣聖が住んでいる』

『Sランク冒険者が入り浸っている』

そんな噂だ。

もしそれがルークの村だとしたら、今の自分たちが乗り込んで、相手にされるのだろうか。


「許すに決まっているだろう!」


ブレイドが怒鳴った。


「あいつは俺たちの仲間だったんだぞ! 家族みたいなもんだ! 喧嘩したって、謝れば(俺が許してやれば)元通りだ! そうに決まってる!」


彼は自分の都合の良い未来しか見ようとしなかった。

そうでなければ、心が折れてしまうからだ。


「明日だ。明日には村に着く。そうしたら、まずはあいつに極上のステーキを用意させるんだ。そして、この錆びた剣をピカピカにさせて……」


ブレイドは歪んだ笑みを浮かべ、泥だらけの毛布にくるまった。

その夢が、明日、無惨にも打ち砕かれることを、彼はまだ知らない。


運命の再会まで、あと一日。

役者は揃った。

修理屋ルーク、元剣聖ガラハド、国宝級の技術で作られた要塞村。

対するは、落ちぶれた元英雄たち。

そして、その背後に忍び寄る、魔族の少女を追ってきた追っ手の影。


グリーンホロウを舞台に、物語は大きく動き出そうとしていた。

だが、どんな嵐が来ようとも、俺は言うだろう。

「壊れたら、直せばいい」と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る