赤い嘘、解けない雪
マッグロウ
赤い嘘と、解けない雪
「あ、雪……」
大学のサークルで出会ってから、もうすぐ二年。人前に出るのが苦手で、いつも輪の隅っこにいる
コートのポケットに突っ込んだ右手は、ぎゅう、と固く握りしめられている。指先にはまだ、編み棒を握りしめていた微かな痛みが残っていた。何週間も前から講義の合間や夜中に少しずつ編み進め、昨夜、ようやく最後の一編みを終えたばかりの真っ赤なマフラー。それが今、鞄の奥底で、まるで重すぎる秘密のように聖菜の心臓を押し付けている。
(空気がこんなに冷たいのに、心臓だけがずっと熱い……)
ラッピングの上には、雑貨屋で手に入れた『Gift』という金色のシールをわざとらしく貼り付けてある。「お店で選んだんだ」と、嘘をつくために。彼に「重い」なんて思われないように。サークルの「友達」のままでいられるように。内気な自分を守るための、小さな、小さな嘘だった。
「
晴人が覗き込んでくる。視線が合った瞬間、聖菜は反射的に目を逸らしてしまった。少しだけ鼻の頭を赤くした彼の笑顔は、いつもと変わらない、優しいものだった。その瞳の中に、自信がなくてうつむきがちな自分の姿が映っているのが、ひどく切ない。
「大丈夫です……」
短く答えた聖菜の口元から、白く濁った息がふわりと
(心臓の音が、雪の降る音よりうるさい。この音が彼に聞こえてしまったら、この嘘も全部溶けてしまうのに)
吐く息が白く濁り、空へと消えていく。その白さに、自分の心のざわめきを重ねてみる。この不安も、この高鳴りも、いつか空気に溶けて消えてしまうのだろうか。
「秋吉さん、こっちだよ」
晴人が、ふと聖菜の手を引いた。 はっと息を呑む。厚い手袋越しなのに、彼の指の熱がじんわりと聖菜の手のひらに伝わってくる。ほんの数秒のことなのに、その熱さはまるで、凍えそうな自分の内側に火を灯すようだった。
角を曲がった瞬間、視界が光に埋め尽くされた。 広場の中央にそびえ立つ、街で一番大きなクリスマスツリー。数えきれないほどの金色のライトが瞬き、降り落ちる雪のひとひらひとひらを、小さな宝石のように輝かせている。
「わあ……すごいな」
晴人が足を止め、感嘆の声を漏らす。その瞳には、色とりどりのイルミネーションが星屑のように反射していた。 聖菜は、鞄の底から丁寧にラッピングされた紙袋を取り出した。
「あの、
声が震えて、消えそうになる。
「……お店で見かけて、安物なんだけど、よかったら……使って」
消え入りそうな声。嘘をつくたび、胸の奥がチクリと痛む。 晴人は一瞬、驚いたように目を見開いた。そして、慎重にその袋を受け取った。
カサリ、と乾いた紙の音がして、中から真っ赤なマフラーが姿を現す。ツリーの光に照らされたその赤は、聖菜が不器用ながらに編み込んだ、言葉にできない想いそのものだった。 晴人はそのマフラーを両手で持ち上げると、一目、一目、不揃いに並んだ編み目に、そっと指先で触れた。
「……ありがとう、聖菜さん」
不意に名前を呼ばれ、聖菜は心臓が跳ねた。晴人はそれ以上、何も聞かなかった。既製品にしては少し不格好なその編み目が、彼女のついた「嘘」の正体を、優しく暴いてしまったのかもしれない。 彼はそのマフラーをゆっくりと自分の首に巻くと、言葉の代わりに、柔らかく、包み込むような微笑みを聖菜に向けた。
その笑顔を見た瞬間、聖菜の中で張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。 彼が優しいから、このままの関係が心地いいからと、ずっと「友達」という安全な場所に逃げていた自分。でも、彼の首元を彩る赤色を見ていたら、もう、自分にまで嘘をつき続けることはできなかった。
聖菜はコートの裾を握っていた手をほどき、一歩、前へ踏み出した。 地面に積もり始めたばかりの真っ白な雪を、小さなブーツの底が「キュッ」と音を立てて踏みしめる。
彼女は、震える両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。 肺がいっぱいになるまで冷たい空気を吸い込み、逃げないように、真っ直ぐに晴人の瞳を見つめる。
彼の瞳の中に、ツリーの光に混じって、今まで見たこともないくらい真剣な自分の顔が映っている。 雪は、さらに激しく、けれど静かに、二人の間に流れる時間さえも白く塗りつぶしていく。
「あのね……」
【完】
赤い嘘、解けない雪 マッグロウ @masamomo
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