章4.係留

桟橋に腰掛け、煙草を吸うともなくくゆらしていた。


橙と紫に反射した海は、まばらに光を散らしている。


伝馬船がぎぃぎぃ鳴き、煙草の灰が指を転がって落ちる。



肌に振れた感触が、まだ残っていた。


あいつのかすれた声、土で汚れた足首、山と石鹸の匂い。

華奢な背中。


月に照らされて見えてしまったあいつの影に、俺は吸い寄せられて


自分の鼓動の速度に気が付いた時には、影は一つになっていた。



もういいんじゃないか。


伝馬船が係留されたロープを引っ張る。



俺は、ここで。


波に揺れながら伝馬船は岸に寄せられていく。


ぎぃぎぃ鳴きながら。


煙草が根本まで焦げている事に気づき、雪駄の裏でもみ消した。



「いっつも煙草の匂いさせとんな。」


防波堤の向こうからあいつが顔を覗かせていた。


夕焼けが眩しいのか、笑顔が下手なのかわからない表情で。


ころんころんとサンダルを鳴らしながら、桟橋の小道を降りる。


「近くにおったら、なんやわかるようなったかも」

ふふっと笑って隣にしゃがみこんだ。


風上の俺にあいつの香りが流れてくる。


「おまえもいつもいい匂いだな、石鹸の。」


俺の言葉に、何か言おうとしていた口をつぐんだ。


「…なんだよ?」


あいつは、「べっつにー。」と頭をゆっくり振って

足元の深い水面に砂利をさらさら落としていた。


「…なーんも知らんもんな。」


その言葉を船の軋みが隠した事に、俺は気づいていなかった。

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