章2.防波堤

海の向こうの夏の入道雲にまだ胸が動く頃、俺はそいつのいる瀬戸内海の漁村に越してきた。


そいつは防波堤に座り、アイスキャンディーを舐めていた。


黄緑色の薄手のワンピース、青の花柄。


「何…、やってんのさ?」


防波堤にもたれかかり、咥えた煙草に火をつけた。


「んー…、外見とんねん。」


緩やかな海風が女の髪から石鹸の臭いを巻き上げる。


俺は鼻で笑いながら防波堤に上った。


「外って、ここ…。」


「島の外やん。見てんの。」


「ふーん、島の外ね。」


湾になっている波止場の向こうに、赤いアーチ状の橋が架かっている。


袂にテトラポッドが積み上げられ、トタンの小屋がちらほらと繁みから頭をのぞかせていた。


その向こうの岸にある町でも見ていたんだろう。


「…なんでよ?」


橋でかかった町とこの島との距離は大したものではない。


外と中という程の境界を置く様な時代でもないだろう。


「えぇやん、勝手やろ。」


「まぁ、いい景色だよな。」


「ウチの風景やからな。」


ふふっと笑ってそのまま眺め続けていた。


波のざわめきと、ブイの擦れるキィキィとした声が、寄せては返して耳に届いた。


「ウチ、ここしか住んだことないねん」


いつのまにか食べ終わっていたアイスの棒で防波堤の凸凹をなぞる。


「実家だったらそういうこともあるだろうな。でも買い物位は出たことあんだろ?」


「いや、原田のおっちゃん所でしかよう買わん」


なんで?とも思い、田舎ではそういう事もあるのか。とも考えた。


「ふーん、じゃぁ出れば?」


「いや…行きたない。」


「遊びにくらい」


「いやぁ、ちょっとはあるけど、疲れんねんか」


なんじゃそら。と煙草の煙を空に吐いた。


「眺めとるくらいがちょうどええんよ。」


そういって、そいつは防波堤を飛び降りた。勢いあまって脱げたサンダルが桟橋から落ちるかと思った。サンダルを履きなおして、はよかえれ暇人!と悪態を突かれた。


言い返せなかった俺は、煙草をくわえたまま片眉を上げるしかない。


ははっと笑いながらそいつは去って行った。

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