青の駆動音・産声
@jack_around
第1話
夏の瀬戸内海は緑色に染まり、空の青さよりも深かった。
太平洋ベルトの工場地帯には日本を代表する大企業の工場がいくつもある。それぞれの工場は巨大で、一つの町の規模に匹敵する。
「いつまでやってんだてめぇはぁ!」
溶接レーンの建屋に課長の怒声がこだました。
ボルトの整理をしていた俺は驚き慌てて立ち上がった。
「そんなもん仕事と思うなよ!片付けなんてさっさと終わらせてレーンに戻れ!進めないと終わんねぇんだよ!」
ヘルメットをかぶった頭を、革手袋をした平手が叩く。
叩かれた拍子にメットがずれて、中に被っていた頭巾に染みた汗が頬にあたって不快にも冷たかった。
「やれって言ったの誰だよ…。」
門型クレーンの操作音にかき消されるのを分かってて俺は舌打ち交じりに悪態をついた。
整理途中のボルトの籠を粗雑に戻し、溶接面を拾って架台に上がる。
金属音から守る為に義務化された耳栓の代わりに、イヤホンをしてJロックを聴きながら鋼材を治具に並べる。
隣のレーンでは自動溶接機が洗車機の様な動きをして一気に溶接を進めている。
俺の持ち回りは小型部品の溶接だ。
小型といっても20kgはある部材だ。
この渇いた暑さの中でその加工作業をやらされれば頭巾も汗でおひたしのようになるもんだ。
ジリジリと半自動溶接機で溶接を進めていく。
トンカチでカスを飛ばして、ブラシで磨く。
研磨機を忘れた、と立ち上がったらご機嫌の川田のじいさんがこちらに手を振りながらやってきた。
「ハマちゃん今日も怒られてんね」
さっきの様子を見てたのだろう。
クレーンのリモコンを片手にひょこひょこと近づいてきた。
膝を悪くして技能作業から外されたらしいこのじいさんは、門型クレーンで鉄骨を動かす役割で何年と過ごしている。
俺はイヤホンを外す。
うるせぇな。
「いやぁ、俺がとろいから怒られちゃいましたよ」
笑いながら肩を落とす俺に川田さんが耳をすます動作をする。
鉄鋼現場に長年居ると、耳も遠くなる。
ガーンガーンとどこともなく響きまくってるから普通に会話なんか出来やしない。
ただ、この時俺は、このじぃさんがわざとやってる気もしていた。
もっかい言わせてぇのかな…。
「はは!なんでもないっすよ!」
両手を軽く広げて振り返り、研磨機の棚に向かった。
後ろでじいさんのエッエッエという笑い声がその場に残った。
いくつもの治具を乗り越えて棚に近づくと、山下さんが猿の鳴き真似で合図を送った。
ホゥッ!
金属音の鳴り止まない工場内ではじいさんでなくとも言葉は聞き取れたもんじゃない。
だから代々、みんな猿の様に声をかけて呼び止める術をいつしか学ぶようだ。
少し離れた位置にいる山下さんは二本指を口に当て、俺に「一服行こうぜ」の合図を送った。
「さっき怒られたばっかだっつの。」
研磨機をひょいと持ち上げてそのまま遠慮の手振りをする。
保護メガネをなんと勘違いしてるのか細いサングラスをしている山下さんがサングラスを下にずらし眉をひそめた。
「わかりましたよ…。」
自分の吸いたいタイミングで行きゃいいのに。会釈をし、工具を置いた。
俺の協調性がないのか、山下さんが馴れ合い好きなのか、わかり合えない性質の先輩と後輩は喫煙所に向かった。
紙コップの自販機の前で
「ん。」
と顎で飲み物を奢ってくれることを山下さんが示した。
「いっつもそんな、悪いっすよ〜。」
と、俺が言うと
「ん!」
と再度山下さんが顎でまた自販機を指した。
いただきます、と恐縮したふりをしながら俺は80円のカルピスを押す。
この儀式もまた、代々やる必要がある様だった。
80円のためにやる心労としてはいささか高いもんだ。
喫煙所に2人で腰掛ける。
俺は氷いっぱいのカルピスに口をつけた。
すると山下さんがおもむろに俺のメットの後頭部を
はたいた。
ぶっ、とジュースをこぼして手についたしずくを払う。
「何すんすか!」
「またお前イヤホンしながら仕事してたんか!」
俺の胸元から垂れ下がるイヤホンを見つけたようだった。
「なめてんじゃねぇぞ!」
山下さんはへらっと笑ってくわえていた煙草に火をつけた。
「いや〜…、」
俺は胸元からぶら下がったイヤホンを中に隠して、内ポケットから耳栓と煙草を取り出した。
「山下さんって、何年目ですっけ?」
箱の封を切りながら山下さんを覗き込む。
「んー、今年で4…、5年だな。」
こっちを見ずに煙で作った輪っかを浮かして遊びだした。
「俺まだ2年目っすけど、なんかこう飽きないっすか?」
煙草をくわえたまま俺は言った。
「何言ってんだよ、仕事もまだろくに覚えてねぇくせに。」
ははっと笑った拍子に煙でむせ出した。
「なんか、行く末が年表みたいに工場のあちこちにうろうろしてんすもん。
ちょっと経てば山下さん、頑張れば課長みたいな、もっと年取れば川田さんみたいな役回りでしょ?
見てるだけで疲れっちゃうなって」
「っごほ、ごはっ、…何を生意気言ってんだよ!お前がすぐ俺の技術に追いつけると思うなよ」
「そういう話じゃないっすよ…!」
「そんなこたぁな、スロット打って勝った金で風俗行きゃ忘れるっつの。」
「なんで勝つ前提なんすか」
「あたりめぇだろ」
カカカッと笑って山下さんが灰皿バケツに煙草を投げた。
「今、製造ノルマが押してっからよ。課長もカリカリしてんだよ。メットはたかれてんのは、お前だけじゃねぇってことよ。」
すくっと立った山下さんがメットのあごひもをぱちんと止めて歩き出した。
俺はまだしゃがんだまま、コップの中の氷を噛んでいた。
「ジュース奢ってやったんだから台車のガラ、産廃置き場に持ってっといてくれよな」
山下さんは、えーっという俺の声に振り返らずに
右手をひらひらさせながら、仕事だ仕事ー。と持ち場に戻っていった。
勝手だな、相変わらず。
まだ、ハタチになりたての俺は80円の恩に感謝できる程の人格を持っていないのである。
仕方ねぇなと立ち上がり、台車の置いてある通路へ向かった。
「溜めすぎだろ!」
台車を見た俺は山盛りのガラ箱に手袋を投げつけた。
一体何キロあると思ってんだよ…!
通り過ぎるトラックの排熱が余計に苛立ちを与えてくる。
一回じゃ持ってけねぇなコレ。
俺はとりあえず乗せられる分だけ乗せて
台車を押すことにした。
「また、ちんたらしてたら怒られんじゃねぇか…。」
舌打ちをしながら500m先のゴミ捨て場にキャスターの悪くなった台車を押しながら近づいていく。
建屋から離れると、鉄の加工音が遠のき工場の中にも案外、蝉がいる事に気がついた。
巨大な工場は、やはり町の様だ。
広大な敷地にいくつもの体育館の様な建屋が並んでいる。
寂れているのもあれば、きれいなのもある。
それぞれの建屋から出たり入ったりする人の9割は知らない人間ばかりだ。
中で何をやってるかなんて入社してすぐにツアーを組まれても覚えている訳がなかった。
重い台車を押しながら建屋の間を抜けて、敷地の端っこのゴミ捨て場に辿り着く。
アリが巣を行ったり来たりするように何台ものフォークリフトが出入りしていた。
がっちゃがっちゃと金属片をそこに下ろし、軽くなった台車を押してゴミ捨て場の小屋から出た。
カラカラと音がするので台車の中を覗き込むと、黒ずんだナットが一つ残っていた。
俺はそれを拾い上げて、ゴミ捨て場の方を振り返った。
海からの風が正面から、はだけた頭巾とメットの隙間、ごわごわの作業着の隙間を通り抜けた。
視線を上げた。
ゴミ捨て場の向こうには入道雲と青い空、深い緑の山と海が額縁を忘れた絵画の様に広がっていた。
勤務先の海沿いの巨大な工場の向こうにいつもの景色があっただけの事。
地元の昔からの風景があるだけだった。
ただ、積み荷でいっぱいの台車を押していた俺の視界には見えていなかった。
それでなくとも、ずっと見えていなかったのかもしれない。
また俺は振り返った。
広がる道路、巨大なクレーン、灰色の工場の建屋 、それらを繋ぐ配管や電線。
無機質な色の町の向こうに、深く茂った山の緑が見える。
俺の頭上を鳶が超えて行った。
俺は数分、立ち呆けた。
鳶から見た俺は、俺達は、昔から変わらずここに居るんだろう。
きっと俺の知らない誰かもここを歩いてゴミを捨てたんだろう。
指先のナットの感触が聞いてきた。
俺が何であるか、誰であるか。
みぞおちがゾワッと動いた。
わかったふりをして、わからないふりをした答えがそこから湧いて出そうだった。
生きていく世界から目を逸らすな。と山が言った。
うるせぇ。
お前の部品番号はなんだと工場街が言った。
うるせぇ。
大型重機がけたたましい駆動音を立てながら横を通った。
その刹那に俺は声を張り上げていた。
広い空の下の、小さな部品の声は工場の轟音に飲み込まれた。
よろけた俺の後ろで、がうんがうんとエンジンが吹かされた。
「どうしたー!」
フォークリフトのおっちゃんが立ち尽くす俺の様子を見て声をかけてきた。
俺は、ははっと笑って「なんでもないっす!」と手を挙げた。
鳶が旋回してまた俺の頭上を越えて海の方へ戻っていく。
海の向こうにまた知らない工場街が電子基板の様に並んでいた。
誰が居ようが居まいが変わらぬ姿で、人間一人なんかと比べ物にならない程に頑丈に、そこにあった。
「あー…、ジュース飲みてぇな。」
俺は誰に言うでもなく口からこぼした。
まだ半人前の若造だと、そんなんじゃ仕事が終わんねぇんだと。
ごちゃごちゃ言われる姿をとぼけたじいさんが茶化しにまた寄ってくるだろう。
それは、わかる。
でも、何かをわかったつもりの大人になれる程、俺はまだ出来上がってない。
ただ、もう少し景色を広げたいと、俺はあごを上げた。
夏の空に蝉の声が戻ってくる。
金属の加工音、機械の駆動音、雑踏。
俺はふうっと息を吐き、台車を押して戻るのだった。
青の駆動音・産声 @jack_around
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