がんばれ坂
青川メノウ
第1話 がんばれ坂
高台へ上がっていく急な坂道の途中に、一軒の家があって、老夫婦が暮らしている。
家の横の坂道は、マラソンや駅伝のコースに指定されており、大会の度に選手たちを応援するのが、夫の習慣だった。
「あなた。応援、今日もなさるの?」
「ああ、もちろんだ」
「確か、
「うむ」
「朝からよく晴れて、夏日になるそうだから、ちゃんと水分を取ってくださいね。お茶を用意しておくわ」
「すまんな。よろしく頼む」
旭日台中学は高台の上にあった。
毎年恒例の校内マラソン大会は、高台を巡るコースで行われ、ラストの急坂が最もきつかった。
夫は家の外に出て、坂道の脇に立つと、生徒たちが駆け上がってくるのを待った。
しばらくすると、坂の下の方にトップの生徒が見えた。
歩くのさえやっとの急坂を、懸命に上がってくる。
若竹の伸びを感じる走りだが、表情はさすがに苦しそうだ。
「がんばれー、がんばれー!」
夫は声を張り上げて応援した。
(いつもながら、よくとおる声ねえ)
少し離れて見守っていた妻が、目を細めた。
夫の張りのある声を聞くと、近頃めっきり体の弱くなった自分も、元気が出るように思えた。
トップが通過した後、二位、三位の生徒が
歯を食いしばり、顔をゆがめて、懸命に駆け上がる。
「がんばれー、がんばれー!」
夫の声が響く。
更に間を開けて、四位以下の生徒が、バラバラと続く。
夫は生徒一人一人に向けて、声を掛け続けた。
もしかしたら、自分の人生を、生徒たちに重ねているのかもしれない。
だとすれば、最も苦しい時を、だれかの応援によって、乗り越えたことがあったのだろう。
生徒たちはスタート前には、
「今日も〈がんばれおじさん〉、立っているかな?」
「『がんばれ!』って言う時の、手の振り方がオーバーで、面白いよね」
「ははは、だよね」
なんて、校内ではすっかり有名になっている夫のことを、面白おかしく噂しているのだが、スタートしてから何キロも走って、いざ急坂にさしかかり、いよいよ苦しくて『これ以上はもう無理、あきらめて歩こう』というところで、
「がんばれー、がんばれー!」
という声を聞くと、
「ううん、もうちょっと、がんばれるかも!」
という気になって、いよいよ止まりかけた足が、また動き出すのだった。
そして、ようやくゴールした後も、
「ラストの坂道、めっちゃ、きつかったよね。でも、最後まで走り切れて、良かった。やっぱり、〈がんばれおじさん〉のおかげかも。あの応援を聞くと、ほんとにがんばれるから、不思議」
生徒たちの顔は、実に晴れやかだ。
そして、今度は自分が、だれかを応援してあげたいという気持ちになった。
がんばれ坂 青川メノウ @kawasemi-river
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