ぼくの形、君の形
佐竹健
ぼくの形、君の形
「好きな人はいるの?」
この世で一番嫌いな質問を挙げるとしたら、まずこの言葉が最初に思い浮かぶ。これでもうわかったとは思うが、ぼくはヒトを好きになれない。そういう性質(タチ)の人間なのだ。
誰も好きになれないから、周りの同性の「誰が好きか」とか「あの子エロいよね」みたいな友達との話題にもついていけない。仮にこの本性を曝け出したところで、
「まだ運命の人に出会っていないからだよ」
とか、
「君は本能から狂っている」
と言われるのがオチである。付き合っていれば、人を好きになれないという自分の異常さが、露呈してしまう。それが怖かった。それで傷つくのが怖いから、ぼくは自分から人を遠ざけている。誰かに茶化されないように、ひっそり教室の片隅で過ごしている。
一人でいるのは慣れるといいものだ。最初は寂しいなとか感じる。けれども、一人だから、誰にも時間を邪魔されることが無い。だから、好きな本を読んだり、ゲームの周回をしたり好きなようにできる。また、一人の時間に課題を終わらせることができるから、家に帰って宿題をするということをしなくていい。ただ、二人一組を作ってとか、班を決めてとかになると面倒だけれども。
2年になってから、状況は変わった。
「いつも本読んでるよね。何読んでるの?」
同じクラスの末広さんに話しかけられるようになった。
彼女も僕と同じ目立たない教室の片隅の存在。似たような僕に何かしらのシンパシーを感じたのだろう。
「あー、『旧世界から』ってやつ」
「それ、私も読んだことある‼ これ、実写とアニメの両方あってさ、実写版はよくわかんないテイストだった」
「そうなんだ。実写は見たことが無いからよくわかんないや。でも、アニメはよかったよね!!」
「うん。原作に忠実で、なぜ超古代の文明が滅びたのか? みたいなのが原作よりわかりやすく描かれてたよね」
以来、彼女と言葉を交わすのが日課となった。
彼女と話すのは楽しい。今までの自分とは思えないほどに、普段閉じている僕の口から、たくさんの言葉がすらすら出てくる。
ハッキリとしていない、けれども確かにここにある「ぼく」の輪郭。それが末広さんとの会話を重ねていく度に明瞭になっていく。その感じが、とても新鮮だった。自身の知らない自己や自分しか知らない他人の一面。こうした自分や人の知らない一面を知ることができるから、人と話すのが楽しいという人の気持ちが、理解できるようになった。
ぼくと末広さんの話は、趣味や好きな漫画の話から、昨日の放課後に起きた出来事とか、末広さんが家で飼っている猫のこと、中学の頃の話みたいにどんどん話を広げていった。
主にぼくが聞き役で、末広さんは話し手。
ぼくは会話のネタが乏しいので、会話のネタをたくさん持っている末広さんに話してもらうのがちょうどいい。時折わからないこととか出てくるけど、それについては調べて対応。こんな感じでいつも、ぼくと末広さんは会話をしている。
話しているときの末広さんの楽しそうな顔を見るのが、ぼくはうれしかった。
男女がこうして話し合っているのを見ると、ぼくと同年代の年頃の少年少女や周りの大人たちは、ぼくと末広さんは出来ているだとか、口々に言いあう。
それだけならまだいい。特に酷いのは盛りのついた同性で、何かにつけて、
「末広とは何回ヤったの?」
と聞いてくる。正直答えるのが面倒くさいし、それ以前に何でもかんでも男女のこととなると、性的な何かに結び付ける同性の思考回路が気持ち悪い。
確かに末広さんのことは好きだし、大切にしたいとは思う。が、その「好き」は、世の人が言うような、彼女に何かしたいとか、そういう邪なものではない。どちらかと言えば、友達とかに抱くそれに近い。
「一緒にいると楽しい」
「何となく気が合う」
たったそれだけなのだ。特に友達という友達が一人もいないぼくにとって、唯一の誰かとの繋がり。それも「同年代の」という枕詞のつく。だから、これからもそのつながりを大事にしたいと思う。みんなだって、友達とのつながりは大事にしたいと思うだろう。それと何ら変わりない感情をぼくは末広さんに抱いている。
同性同士だったら、単純に仲のいい二人だなって認識される。でも、それが「異性と」になったら、どうしてそういうことになるのだろうか? 正直理解に苦しむ。
周囲の目とかそういうのもあるから、ぼくと末広さんは、人目のつかない場所や放課後、休みの日に会うことが多くなっていった。
ある日の放課後だった。ぼくは末広さんに呼び出された。
いつもよく話している公園にある右側のブランコに腰かけた末広さんは、
「そういえば、寄居くんって、優しいよね。おまけに堂々としてる」
「そうかな?」
そんなわけない。末広さんと一緒に話していると心が弾むから、暖かくなるから、つい楽しい気持ちになるし、優しい気持ちにもなる。ただそれだけのこと。堂々としているように見えるのは、単純にブックカバー無くても大丈夫な健全な内容のものしか読んでいないから。
「うん」
とうなずいて末広さんは続ける。
「わたしも友達がいない。けれども、好きなモノやコトについて、目いっぱい語りたいな。そんな友達がいたら、人生もっと楽しかっただろうなとずっと思ってた。でも、わたしには勇気が無くて、できなかった。そんなある日、寄居君は私の好きな作品を読んでいたのを見たの。それを見て、勇気を持って君に話しかけようって思えた。話しかけてみたら、楽しかった。君がこの作品をこう見てるんだなとか、そういうのが本当に好きだった。それに、私のしょうもない話にも変な顔せずしっかり耳を傾けてくれる。わたしは寄居くんのそういうところが好き」
「そう言ってくれると、ぼくもうれしいな。ぼくは、末広さんの話すことが好きだ。ぼくはずっと一人だったから、自分の好きなモノやコトが他人から見てどう思うかわからなかった。でも、話が合って、よく話す君と出会えたから、自分の歪な部分以外の形が見えて、楽しい」
「そうなんだ。そう思ってくれて、よかった」
末広さんは微笑んだ。続けて、
「ほんとうのこと、言っていいかな?」
先ほどとは真逆の真剣な顔で聞いた。
「うん」とぼくはうなずく。
「人目を気にすることなく、寄居くんと堂々と一緒にいたい。手だってつなぎたいし、いけないことだってしてみたい。なんだか、わがままばっかりだね。わたしらしくない。だから──」
末広さんは白い頬を赤く染め、小さな桃色の艶やかな唇を震わせ、小さな声で、
「寄居くん、友達なんかやめて、わたしと付き合って。みんなが言うような本当のカップルになろうよ!!」
と強めの語気で言った。
ぼくは答えに窮した。
模範解答としては「ぼくも好きだよ」と答えるのが正解だろう。でも、彼女に抱いているぼくの感情は「好き」というのはある。けど、手をつなぎたいとか、あんなことこんなことをしたいとか、そういうものではない。
「実はぼくは──」
ぼくは本当のことを全て打ち明けた。
彼女は悲しそうな目で下を向き、
「寄居くんって、そういう人だったんだ……」
とぼそりとつぶやくように言った。
「ごめん……。ぼくはこういう人間なんだ。末広さんが思っている通りの人間じゃない。だから、恋愛感情とか性欲は無いから、君のことをそういう目では見れないよ」
「いいじゃない。別に、寄居くんのことを茶化したりとかはしないよ。わたしだって、いろいろ見てるから、君みたいな人もいるってことは、ぼんやりとした知識しか無いけど知ってる。寄居くんが、私のことをそういう目で見れなくてもいい。前みたいに一緒にいるだけなら、それでいいじゃない。難しい、かな?」
潤んだ目で、末広さんは訴えかけた。
「全然、大丈夫だけど……」
正直に言えば、うれしいと申し訳ないが同居して、どうしたらいいかわからない。「うれしい」は、どこか欠けているぼくでも、こうして認めてくれる誰かがいたことに救いを感じた。異常者であるぼくを認めてくれた人は、誰もいなかった。ぼくの狂った本能を知った瞬間人はみんな「つまらない奴」という烙印を押して去っていった。でも、末広さんは、異常者としてぼくを避けたりせず、受け入れてくれた。今まで通り一緒にいてもいいという形で。それが、うれしかった。
申し訳ないの方は、彼女の想いに応えられなかったこと。ぼくが異常者であるがゆえに、彼女の求めに応じることができなかった……。
「ありがとう。本当の気持ちを聞けて、よかった」
そう言い残し、末広さんは足早にぼくの方を去っていった。真っ赤に染まる空と、夕焼けの光で逆光となって黒くなった町の彼方へ、彼女の姿は消えていく。
その後ぼくと末広さんは会わなくなった。
しばらく、一人の日々が続いた。
前と変わらない何ともない日々。けれども、何か虚しいなとも感じていた。いつも近くにいた末広さんがいなくなったから。同じクラスだから、近くにいる。けど、話しかけづらい。あの一件があったから。
同時にここまで寂しさや虚しさを感じたのは初めてだった。昔よりも自分の形がハッキリしてきたから、感じることや思うことが増えたからだろうか。
寂しさ、虚しさ、申し訳なさ、もどかしさ……。いろんな負の感情を抱えながら、年月はクリスマス、大晦日、お正月、バレンタインと過ぎていった。
「ずっと言おうと思ってたけど、あのときは、ごめんなさい。自分の気持ちを抑えられなくて……」
久しぶりに言葉を交わしたのは、2年も終わる3月の中頃だった。末広さんが謝ってきたのである。
「そういうときもあるよね。ぼくも少し言い過ぎた。ごめんなさい」
ぼくは許した。ぼくもあんなことを言って、末広さんに辛い思いをさせてしまった。自分の欠陥で寂しい思いをさせるくらいなら、最初からそう言って諦めさせよう。そんな思い上がった優しさが、末広さんを傷つけた。
和解した日から、あのときの言葉通りに、一緒にいることにした。ただ、前と違うのは、罪悪感を背負いながらだから、少し気分が重いことだろうか。
久しぶりに話した末広さんは、ぼくに少しよそよそしいような、けれども、親しげにしたいような微妙な態度を取っている。無意識のうちにぼくの方へと触れると、
「あ、ごめん。ダメだよね、こういうの」
と言って避けようとする。
ぼくも最初は彼女の言う通りにしていた。が、何度もそういうことがあったので、ある早上がりの下校時、ぼくは、
「いいよ」
と試しに言ってみた。
「そう。なら、お言葉に甘えて」
末広さんはぼくの手を握った。その手は春の初めの冷たさのせいか、少し冷たかった。が、徐々に暖かくなって、温もりが増していく。
「よく考えてみたんだけど、寄居くんは安心できるな」
満足そうな顔を浮かべ、末広さんは言った。
「どういうこと?」
「他の男子みたいに、見た目や性欲だけで好きになったりしないから」
「そっか」
そう僕が納得すると、末広さんは真剣な表情になり、
「もう一度聞いていい? 友達なんかやめて、わたしと付き合おう。図々しいし、しつこいよね。こんなのだけど、一緒にいてくれる?」
と聞いてきた。
「性欲とかそういうのが無いから、できないよ。それでもいいの?」
ぼくはこう返した。彼女がいつか一線を超えるようなことがあっても、何かをしてあげられることはできない。ぼくの欠陥ゆえに時々寂しい思いや辛い思いもさせてしまうかもしれない。それでいいのなら、構わない。それが、数少ない関係性を保つためなら。ほぼ唯一の友達と呼べる末広さんのためになるのなら。
「うん。こうして一緒にいられるのなら、それでもいい」
「そっか、わかった」
友達を超えた新たな関係性となったぼくと末広さんは、手をつないで帰った。優しい春の陽光に照らされた街の中を歩いて。
ぼくの形、君の形 佐竹健 @Takeru_As1999
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