二話 脚本家
第二話 脚本家
国策アニメ制作スタジオは、文化省庁舎の地下三階にあった。外部からの訪問者は少なく、出入りはすべて記録される。私が訪れるのは業務上初めてだった。
案内された打ち合わせ室で待っていたのは、一人の女性だった。端末を膝に置き、静かに画面を見つめている。
「林月華です」
名乗りは簡潔だった。発音は共通語だが、抑揚にわずかな地域差が残っている。華中ブロック出身だとすぐに分かった。
私は身分証を提示し、形式的な挨拶を返した。検閲官と脚本家。立場の違いは明確で、通常であれば感情を挟む余地はない。
「脚本について、確認があります」
そう切り出すと、彼女は小さくうなずいた。
「問題がありましたか」
その言葉に、私は即答できなかった。問題はない。少なくとも規定上は。
「違反ではありません。ただ……」
語尾が曖昧になるのを自覚した。説明するための語彙を、私は持っていなかった。
林は端末を操作し、例の場面を表示した。最後の一文。
「この部分ですね」
彼女は淡々と言った。
「判断する者がいない、という表現」
私はうなずいた。
「意図的ですか」
「ええ」
即答だった。躊躇はない。
「物語の中で、誰かが正しさを決めてしまうと、それは神話になります。私は、神話になる一歩手前で止めたかった」
その言い方は穏やかだったが、内容は危うい。
「神話は、国家が管理するものです」
私がそう言うと、林は否定も肯定もしなかった。
「だから、余白を残しました」
余白。その言葉が、私の中で引っかかった。
打ち合わせは短時間で終わった。結論は出ないまま、私はスタジオを後にした。
地下から地上に戻る途中、私は自分が初めて“説得されかけている”ことに気づいていた。
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