勇者が善人すぎて腹立つから、人生終わらせてやった

岩の上の朴念仁

第1話 度が過ぎた善行は見ていて不快

 チャリ、という音がした。 それは、俺がこの世で最も愛し、信頼し、そして渇望している音だった。


 金貨が擦れ合う、重厚で甘美な音色。スラムのドブ川で泥水をすすっていた頃の俺にとって、それは神の福音のように尊い救いの音だった。


 だが今、その音は俺の鼓膜を不快に震わせるだけのノイズに成り下がっていた。


「……おい、アレン。待て」


 俺の声は低く、地を這うような唸りを含んでいた。 俺の黒い髪が苛立ちで逆立つような感覚を覚えながら、目を細めて目の前の男を睨みつける。


 視線の先には、透き通るような美しい金髪を風になびかせ、この世の善意をすべて煮詰めたような笑顔を浮かべる男――勇者アレンがいた。


  アレンのエメラルドの瞳は、新緑の森のように綺麗で一点の曇りもない。俺はこの目が大嫌いだった。見ているだけで、自分の内側にあるどす黒い欲望や、生きるために犯してきた小汚い罪を見透かされているような気分になるからだ。


 そして、アレンの手には豪奢な紋章入りの革袋がある。ずしりと重いその袋の中身は、定期的に王都から送られてくる『勇者パーティー活動支援金』だ。


「どうしたんだい? エリック」


 アレンが振り返る。その聖人君子のような顔が、俺の神経を逆撫でする。


「『どうしたんだい』じゃねぇよ。お前、その支援金をどうするつもりだ?」


「ああ、これかい? 彼らに渡そうと思って」


 アレンが視線を向けた先には、薄汚れた服を着た村人たちが数人、頭を下げていた。魔王軍の残党によって家を焼かれた村人たちだ。


「この村の復興には資金が必要だ。国王様から頂いたこの支援金があれば、家を建て直し、十分な食料を買うことができる。彼らが冬を越すには、これしかないんだ」


 アレンは当然のことのように言った。


「ふざけるな」


 俺はアレンの腕を掴んだ。


「それは俺たちの活動資金であり、給料だ。装備のメンテナンス、食料の補充、宿代。それを全額寄付だと? 俺たちにカスリもしねぇでか?」


「でも、エリック。僕たちはまだ戦える。剣もあるし、魔法も使える。でも、彼らには何もないんだよ? 困っている人が目の前にいるのに、見捨てるなんて僕にはできない」


 アレンのエメラルドの瞳が、まっすぐに俺のサファイアの瞳を見つめ返す。そこには迷いも、打算もない。


  俺は内心で盛大に舌打ちをした。 俺がこのパーティーにいるのは、国王からの命令と、破格の報酬のためだ。正義感なんて一切持ち合わせちゃいない。


「アレン、俺はボランティアでここに来たんじゃねぇ。お前の『おままごと』に付き合ってやってるのは、国王から大金が貰えるからだ。それがなけりゃ、誰が好き好んでこんな泥臭い旅をするかよ」


「わかってるよ、エリック。でも、君だって本当は優しい心を持っているはずだ。だって君は、あのワイバーンの群れから僕を庇ってくれたじゃないか」


 それはお前が死んで任務失敗になったら、俺への報酬がパァになるからだ、馬鹿野郎。


「大丈夫だよ、エリック。お金なんて、またどうにかなるさ。人々の笑顔は、プライスレスだろ?」


 アレンは村長らしき老人に革袋を押し付けた。老人は涙を流して地面に額をこすりつけ、アレンを拝んでいる。


 俺の後ろで、深いため息が聞こえた。 振り返ると、艶やかな紫色の髪を指で弄りながら、気怠げに杖を地面に突いている女がいた。魔法使いのノクシアだ。 彼女のアメジストのような紫の瞳は、呆れと不満で濁っている。


「……はぁ。また始まったわね。私の魔導書の研究費、いつになったら貯まるのかしら。こんな慈善事業のために、私の貴重な時間を割いているわけじゃないのに」


「あーあ、アレン様ってばまたイイコトしてるー。でもぉ、あたし新しい短剣欲しいんだけどなぁ」


 そうボヤくのは、燃えるような赤髪をポニーテールにした盗賊のキシェルだ。 彼女のルビーのような赤い瞳は、キラキラした金貨への未練を映しているが、おつむが弱いため、特に何かを深く感じているわけではないだろう。


「アレン様……素敵です……! 自分の利益を顧みず、民のために……!」


 そして、神々しいまでの白髪を揺らし、恍惚とした表情を浮かべているのは僧侶のリュシエナ。 その黄金の瞳は、金銭欲とアレンへの歪んだ恋心がないまぜになり、異様な輝きを放っている。


 狂ってる。 このパーティーは、どいつもこいつも狂ってやがる。


 俺は、スラム街で育った。「善意」なんてものは、腹の足しにもなりゃしない。 強さだけが正義で、金だけが裏切らない。そう信じてSランク冒険者まで上り詰めた。


 アレンが村人たちに囲まれて笑顔を振りまいている。 その光景を見ていると、胸の奥底からドス黒い感情が湧き上がってくるのを感じた。


――腹が立つ。 ――虫唾が走る。 ――その曇りなき笑顔を、絶望で歪ませてやりたい。


 俺は、地面に唾を吐き捨てた。 パーティー結成から半年。俺の我慢は、もう限界を迎えようとしていた。


 アレンが満足げな顔で戻ってくる。


「さあ、行こうみんな! 次の街でも、僕たちを待っている人がいるはずだ!」


 俺は無言で剣の柄を握りしめた。 近いうちに必ず、 この聖人君子ヅラした男の人生をメチャクチャにしてやる。


――勇者アレンの人生を無茶苦茶にすること。


その目的だけが、俺の乾いた心に火を灯した。





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