連絡先だけ知っている

連絡先だけ知っている

私達は、親友だったのだろうか。

今となってはもう、誰にもわからない。



里帆と出会ったのは小学校1年生の時だった。

入学に合わせて引っ越してきた私には、友達がだれもいなかった。

友達を作るのも、上手ではなかった。

だから私は、休み時間には、自分の好きな絵を描いていた。


あるとき、里帆がその絵を覗き込み、顔を輝かせて言った。

「それ知ってる!私も持ってる!ほら!」

そう言って、私が好きだったそのキャラクターが描かれた、ハンカチを見せてくれた。


そのキラキラとした笑顔に抱いた感情は、憧れだったのか、嫉妬だったのか、よくわからない。

ただ、この子と仲良くなりたい。誰かに対して、そうはっきり自覚したのは、初めてのことだった。



私はその後、里帆と一緒に過ごす事が増えた。

性格は真逆だったが、好きなキャラクターやアイドルが不思議と一緒で、休み時間には先生の目を盗んで、キャラクターのシールを交換したり、アイドルの切り抜きを貼ったノートを見せ合いっこしたりした。

一度だけ、先生に見つかって2人で怒られた事もあった。

私は真面目で、怒られたことなどなかったから、その時の先生の言葉、里帆が私に目配せして笑ったあの表情を、今も覚えている。


「ねぇ、繭は、好きな子っている?」

小4の夏の日、里帆が私に問いかけた。

「そりゃあ、やっぱり、駿ちゃんでしょ」

私はアイドルグループの推しの名前を言った。

里帆は、あはは、そうだよねー、と言って笑い、その後、少し俯いて、コソッと言った。

「私ね、駿ちゃんも好きだけど…それより好きな人、できちゃった」

私は驚いた。里帆は男子の誰とも仲良くしていたが、特定の誰かと仲がいいわけではなかったから。

「誰、だれ?」

「えっとね…これ、繭だけに言うからね…祐樹くん」

里帆は私の耳元でそっと言った。

その耳元のむず痒さを、今でも覚えている。


私は、いいじゃんー!と言って笑った。

里帆は、大きな声出さないでよー!と照れていた。

私達は、結婚式には呼んでね!と言い合って、気が早い!と笑い合った。

私にとって、里帆は、親に言えないことまで何でも話せる、一番の親友だった。

少なくとも、私の記憶の中では。



中学に入るとクラスが分かれ、それぞれ別の友人ができた。

それでも最初のうちは、放課後に里帆と合流して、昇降口前のベンチでお喋りをしたりしていた。

それも段々、頻度は少なくなっていった。


里帆はいわゆる、派手な子たちと一緒にいた。

私は、勉強と美術部の活動に専念していた。

中2の夏、里帆に彼氏ができた。

そのことは、里帆のクラスの別の友達から聞いた。

「里帆、彼氏できたんだって?」

昼休みにたまたま里帆に会い、私は聞いた。

「そうなのー!繭にも話そうと思ってたの!」

里帆は、屈託なく言った。

私は確実に、ほんの少しだけ、傷ついていた。

でも、その傷には、気づかないふりをした。

里帆の彼氏は別の小学校から来た、私の知らない人だった。



私たちは、別々の高校に進んだ。

中学の時にスマホを買ってもらっていたので、里帆の連絡先は知っていたが、

高校に入ると、もう連絡する事もなくなっていた。

私と里帆の歩く道は、もうとっくに分岐していたのだ。


高2の冬、一度だけ、駅前で里帆を見かけた。

里帆は彼氏らしき人を改札で見送ったところのようだった。

里帆の髪は茶色くなっていて、雪が降るほどの寒さだと言うのに、制服のスカートはコートから見えないほどの短さだった。

西陽が里帆の髪を照らし、キラキラと金色に輝いていた。

私は里帆に声をかけなかった。



大学卒業後、私は地元を出て、東京で働いていた。

里帆のことを思い出すことは、ほぼ無くなっていた。

社会人になり2回目の冬。年末休みで帰省をしていたら、母がふと私に言った。

「里帆ちゃん、っていたよね。小学校のとき。結婚してママになったみたいだよ」

胸の奥に知らない間に出来ていた小さなかさぶたが、ぺりっと剥がされる感覚があった。

「そうなんだ。…何で知ってるの?」

「こないだスーパーで見かけてさ。優しそうな旦那さんと、可愛い赤ちゃんと一緒にいたよ」

私は、そっか…としか思わなかった。

それ以上何かを思うと、かさぶたの下の傷が膿んでいく気がして、やめた。

それは良かったね、と言って、私は母との会話を終えた。



翌年の冬。私は同じように帰省して、大きな荷物を抱えて駅から自宅へと歩いていた。

街全体に薄く積もった雪が、太陽に照らされてキラキラと輝いていた。

ふと、通り道にある公園に目を遣ると、若いママと小さな子どもが遊んでいる様子が目に入った。

…里帆だ。

私はすぐに分かった。

でも、声を掛けようとは思わなかった。


公園の脇を通り過ぎていこうとしたその時、後ろから明るい声が飛んできた。

「繭?繭だよね?」

里帆の目は子供の頃と同じように、キラキラと輝いて見えた。

それは、雪に反射した光のせいだったのかもしれない。

里帆は無邪気に笑いながら言った。

「えー、久しぶり!中学生以来?繭、全然変わらないね!」

私は胸にチクっと小さな棘が刺さった感じがしたが、平然を装って口を開いた。

「ほんと、久しぶりだね。元気だった?」

元気だよ、と里帆が笑った。

隣には2歳ほどの小さな女の子がいた。

私は腰を屈めて声をかけた。

「かわいいね。こんにちは。ママの、…お友達の、繭だよ。」

その子は里帆の陰に隠れてしまった。

「ごめんね、人見知りで。真雪っていうんだ。もうすぐ2歳。」

里帆はその子の帽子についた雪を優しく払いながら、優しい笑顔でその子に語りかけた。

「まゆちゃん、繭ちゃんだよ。こんにちはーって。…って、名前、一緒みたいだね。あはは」

里帆は、厚いズボンにダウンジャケットという服装だった。

高校生の時は、雪の日でも短いスカートを履いていたのに。

…大人に、いや、ママになったんだな。そう思った。

「大荷物だね。帰省してるの?ねぇ、ちょっと話そうよ。子供とばっかり話してると、大人と話すのに飢えちゃってさ」

里帆は屈託なく言い、私は里帆について、公園のベンチに腰掛けた。

懐かしさと緊張とで、心がふわふわとしていた。



「繭は、全然変わらないね!」

里帆がもう一度、あははと笑いながら言った。

「…里帆は、けっこう変わったね。」

私はほんの少しだけ、棘を含ませて言った。でも里帆には、全然その棘は届いていなそうだった。

「変わったよー!色々あってさ。私、短大行って、就職したんだけどさ。そのあともまぁ、色々あって。いつのまにか、結婚して子供が生まれてた」

その、色々、の中身は、里帆は口にしなかった。私も聞こうとは思わなかった。

「結婚したんだね、おめでとう。小学校の頃はさ、結婚式呼んでねとか、言い合ってたよね」

「そうだっけ?そんなこと言ってたっけ。私たち、可愛いー!」

…覚えていないのか。私は思っていたよりも、しっかりと、ダメージを受けた。


「繭って言ったらさ、あれだよね!小6の文化祭!覚えてる?」

…文化祭?なんのことだっけ?

私は全然、ピンと来なかった。

「繭が絵が上手かったからさ、看板作ってたじゃん。その看板作りが終わらない〜って言って繭が泣いてさ、私、めっちゃ手伝って、でも私が塗ったところだけ明らかに色が違くて、2人で爆笑したよね。え、覚えてないのー?」

…全然、覚えていない。なんでそんな素敵なエピソードが、私の記憶からすっかり抜け落ちているんだろう。


私が、そんなことあったっけ、と言うと、里帆はケラケラと笑った。

「もう10年以上前だしね!とにかく繭は、絵が上手かったなーって、それが私の一番の記憶!…あ、私、そろそろ行かなきゃ!」

真雪ちゃんが不機嫌になってきた様子を見て、里帆が立ち上がった。


「またさ、こっち帰省することあったら、お茶でもしようよ!」

里帆が笑顔で言った。

「そうだね。」

私は笑顔で答えた。

これが社交辞令だと言うことは、私は、私たちは、とっくに分かっていた。


じゃあね、と去る時に、里帆がふと、私のカバンについたキーホルダーを見て言った。

「それ知ってる!私も持ってる!ほら!」

そう言って、ポーチに付いた同じキャラクターのキーホルダーを私に見せた。

最初に話した、あの時と全く同じ笑顔で。



私達は、次に会う約束をしなかった。

そのほうが、ちゃんと覚えていられる気がした。

人の記憶は、夕暮れの空のように、揺らめきながら静かに色を変えていく。

振り返った時に見える光景は、きっと人それぞれなのだ。


それでも私は、彼女のことを、彼女と過ごした日々のことを、私のやり方で、覚えている。

私にとっては、――あの時の私にとっては、里帆は私の親友だった。

小さい頃、砂浜で見つけた綺麗な丸い石のように、その記憶は、今も艶やかに光っている。

私は、その石を、捨てずにそっと持っておく。


振り返ると、里帆の姿はもう見えなかった。

薄い雪を踏みしめた里帆と娘の足跡だけが、かすかに残っていた。


私は今も、彼女の連絡先だけ、知っている。

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