ピーターとラビット(下)

 二十年後、その国の地図はほとんど変わっていなかった。

 山は山のままで、森は森のままで、畑の面積も極端には増えていない。


 けれど、国の中身はまるで別物になっていた。


 この国では、もう「収穫の出来不出来」という言葉がほとんど使われない。

 水から、確実に肉が得られる。

 土を使わず、光と栄養の配列だけで野菜が育つ。

 天候は記録される対象であって、結果を左右する要因ではなくなった。


 培養された肉は、家畜の姿を必要としない。

 水槽の中で静かに増殖し、必要な分だけ切り出される。

 野菜は棚の中で重力を忘れ、同じ形、同じ栄養価で並ぶ。


 この国は工業製品を作らない。

 歯車も、機械も、電子機器も輸入に頼っている。


 それでも、農業だけは、どの工業国よりも複雑で、どの研究所よりも精密だった。


 人手はほとんど要らない。

 土も、広い土地も必要ない。

 必要なのは、計算と観察と、長い時間だった。


 工業国では、同じ製品が同じ速度で作られ続けていた。

 改良は小さく、変化は鈍い。

 完成されたものほど、更新されなくなる。


 一方で、この国の農業は、毎年姿を変えた。

 水の流れ方が変わり、光の当て方が変わり、栄養の組み合わせが変わる。

 自然を真似るのではなく、自然を再現し直す作業が、延々と続いていた。


 それは、パソコンを作るよりも難しい仕事だった。

 正解がなく、完成もない。

 ただ、明日も確実に食べられる、という結果だけが求められる。


 この国の技術は、派手ではない。

 革命とも呼ばれなかった。

 手品のようだ、と言われることはあったが、誰もその仕組みを完全には理解できなかった。


 それでも、世界が不安定になるたびに、ここから食べ物が届いた。

 確実で、同じ品質で、同じ量で。


 かつて、森がなくなるのではないかと悩んだうさぎたちは、

 今、森の縁で静かに畑を見ている。


 土地は増えていない。

 だが、飢えもなかった。


 この国は、工業国にはならなかった。

 ただ、「食べ物を作る」という行為が、

 ここでは最も高度な科学になっていただけだった。


 それを成功と呼ぶ者はいない。

 けれど今日も、食卓は空にならない。






(了)

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ピーターとラビット Peter and Rabbit 紙の妖精さん @paperfairy

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