ピーターとラビット Peter and Rabbit
紙の妖精さん
ピーターとラビット(上)
ピーターとラビットは双子のうさぎだった。
朝になると、地主の畑に行き、夕方まで黙々と土を耕す。それが毎日の仕事だった。
「今日も同じだね」 ラビットがにんじんを運びながら言った。
「同じで、給料も同じ。しかも安い」 ピーターは耳を伏せたまま答えた。
二人は働き者だったが、暮らしは楽にならなかった。
畑は広く、作物はよく育つ。それなのに、彼らの取り分はわずかだった。
「自分たちの畑を持てたらいいのに」 ピーターがぽつりと言う。
「土地がない」 ラビットは即座に返した。 「道具も、種も、時間も足りない」
その日の夕方、地主が畑を見回りに来た。
白髪で、背中の曲がった人間だった。
「よく働くな」 地主は二人を見て言った。
ピーターは少し迷ってから口を開いた。 「正直に言ってもいいですか」
地主はうなずいた。
「この給料じゃ、ずっとここで働く未来が見えません」
沈黙が流れた。
ラビットは内心ひやひやしていたが、地主は怒らなかった。
「そうか」 地主は少し考え、 「給料はすぐには上げられん。ただし条件がある」
地主は畑の端を指さした。 「使っていない土地がある。そこを、お前たちが好きに使え」
「本当ですか」 ラビットが聞いた。
「作物は自由だ。ただし、仕事は今まで通りだ」
二人は顔を見合わせた。
その日から、双子は夜明け前に起き、自分たちの小さな畑を耕した。
最初は狭く、作れるものも少なかったが、土は正直だった。
少しずつ畑は広がった。
余った作物は市場に出し、道具を増やし、また土を増やした。
地主は何も言わなかった。ただ、遠くからそれを見ていた。
何年か後、地主は静かに亡くなった。
遺された書類の中に、一枚の紙があった。
――畑を、ピーターとラビットに譲る。
二人は畑の真ん中に立ち、風の音を聞いた。
「ここまで来たね」 ラビットが言った。
「逃げなかったからね」 ピーターが答えた。
広い畑に、朝日が差し込んでいた。
選び、話し、耕し続けた先にあった、
二匹のうさぎの居場所だった。
ピーターとラビットの畑は、国の中でもよく知られるようになっていた。
作物は安定し、人も集まり、畑はゆっくりと広がっていった。
そんな頃、国が変わった。
「革命が起きたらしい」 畑に来た役人がそう言った。
「ソビエトという国になります。労働者と農民の国です」
ラビットは手を止めた。 「……この畑は?」
「土地の所有権は約束します」 役人は言った。 「ただし、条件があります」
条件は単純だった。
働きたい者を受け入れ、雇い、共に畑を広げること。
「一人で耕す畑じゃない、ということだね」 ピーターが言った。
それから、畑は急に忙しくなった。
人が増え、道ができ、倉庫が建ち、さらに土地が必要になった。
森の端まで畑が迫ったある夕方、ラビットが立ち止まった。
「この先も、畑にする?」
ピーターは答えなかった。
森の中から、風に揺れる葉の音が聞こえていた。
「ここまで来たら、止める理由もない」 ピーターはそう言いかけて、言葉を変えた。 「……止める理由も、あるか……な」
夜、労働者たちと輪になって話し合った。
「畑を広げれば、食べ物は増える」 「でも森がなくなったら、土は痩せる」 「木がなければ、水も減る」
誰かが言った。 「労働者と農民だけの国って、それで全部なのかな」
沈黙が落ちた。
ラビットが口を開いた。 「畑を守るために、森を全部なくすのは変だと思う」
ピーターはうなずいた。 「耕す、残す、も必要なんじゃないか」
翌朝、畑の端に小さな看板が立った。
――ここから先は、森として残す
――畑と同じ数だけ、木を植える
役人は首をかしげたが、止めなかった。
国はまだ、新しかったからだ。
ピーターとラビットは畑を見渡した。
広がる土と、残された森。その境界線は、思ったよりも静かだった。
「全部、畑にしなくても、生きていけるさ」 ラビットが言った。
「うん、働ける」 ピーターが答えた。
二匹は、森の端で土をならし、小さな苗木を植えた。
その日、畑は初めて「広げない」選択をした。
畑の話し合いが続くうちに、国の名前が先に変わった。
ソビエトは、二年で終わった。
理由は誰もが薄々わかっていた。
畑に来る役人の数は増えたが、鍬を持つ者は減った。
会議は増え、決定は遅れ、責任はどこにも落ちなかった。
「働く国だったはずだよね」 ラビットが言った。
「言葉だけが残った」 ピーターはそう答えた。
次にできた国はロシアと名乗った。
名前が変われば、空気も変わると思われていた。
だが二年後、また終わった。
今度は皆で理由を話し合った。
畑でも、森でも、倉庫でも。
「権力を持った人が、働いていない」 誰かが言った。
「指示するだけで、生産しない」 「責任を取らない」
ピーターは土を指でつまみながら考えた。 「労働者と農民の国を作るって言ったのに、
官僚だけが例外になってしまった」
そこで出た意見は、単純だった。
「官僚制度をなくせばいい」
静まり返ったあと、別の声が続いた。
「正確には、権力が集まる場所をなくす」
議論は長くなった。
管理がなければ混乱する。
だが管理が強すぎれば、誰も動かなくなる。
最終的に、妥協案が形になった。
新しい国は、ユロアと呼ばれた。
官僚制度は置かれなかった。
代わりに、全員が何かを生産することだけが条件になった。
書類を書く者も、作物を育てる。
数字をまとめる者も、手を動かす。
管理は交代制で、固定の地位は持たない。
「管理部門がないのは危険だ」 そう言う者もいた。
ピーターも否定はしなかった。 「弱点ではある。でも、権力が固まらない」
ラビットは森を見て言った。 「少し不便なくらいが、ちょうどいいのかも」
完璧な国ではない。
だが、倒れにくい国ではある。
畑は続いていた。
森も残っていた。
国が三つ変わっても、
土を耕す手と、考える時間は失われなかった。
ピーターとラビットは、
国の名前よりも、
今日、誰が働いたかを見ることにした。
ユロア国が形を保ち始めたころ、畑の中央にある古い納屋で、ピーターとラビットたちは何度目かの会議を開いていた。
机代わりの木箱の上には、作物の収穫量を書き留めた紙と、土地の図面が並んでいる。
「工場を持たない、という選択は間違いだったのかな」
誰かがそう言うと、すぐに反論が返ってきた。
「でも、工業製品は食べられないよ」
それは単純な事実だった。
他国が金属や機械を生産して豊かになっていく一方で、この国が生み出しているのは、穀物、野菜、果実だけだ。交換すれば便利な道具は手に入るが、もし流通が止まったら、生き延びられるのはどちらか――その答えは明らかだった。
「だからって、畑だけを広げ続けるのも危ない」
森を切り開き、土地を酷使し、土が痩せていく。
一時的な収穫は増えても、十年後、二十年後には何も残らないかもしれない。
沈黙の中で、年老いたウサギが静かに言った。
「工業国にはなれない。でも、農業国であることを諦めにしなくてもいい」
視線が集まる。
「食べ物を作るだけじゃなく、どう作り続けるかを考える国になればいい。
土地を休ませる周期、森を残す割合、水の流れ。
それを研究する。農業を、勘や経験だけに任せない」
誰かがつぶやいた。
「農業を、科学にするってこと?」
「そうだ」
うさぎはうなずいた。
「工業製品は作れない。でも、持続する土地の使い方なら、ここで生み出せる。
食べるための国でありながら、壊さないための知識を蓄える国になる」
その考えはすぐに賛同を得たわけではない。
管理は難しいし、成果が出るまで時間もかかる。
それでも――極端な選択を避ける、という点で、皆の感覚には合っていた。
工業だけでもだめ。
農業だけでもだめ。
だから、この国は「農業を中心にしながら、農業そのものを研究する国」になる。
誰かが言った。
「派手じゃないけど、長く生きる国だね」
その言葉に、納屋の中で小さな笑いが起きた。
誰も理想郷だとは言わなかった。
ただ、続けられるかもしれない――それだけが、この国の合意だった。
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