少女農花 ~農女とスパイの脱国譚~

イズラ

[第1話]光をください

 私の名は、農花のうか。この国の平民だ。”農家だから農花”。お母さんは、ただその発想で名付けたと言った。疑問はない。それが、この国の”平民”なのだから。

 

 夕焼けに焼かれながら、汗を滝のように流す。収穫作業も、やはり辛い。疲れてしまった体はまだ休まらず、献身的に働き続ける。

 腰がズキズキと痛み、ようやく土に尻をつく。少し冷たい感覚が伝わり、自然と息を漏らす。”今日もよく働いている”。慰めにもならない言葉を自分にかけて、また作物を採る。

 変わらない夕焼けに照らされたこの町の、急な段丘にある畑。私の畑ではない。お母さんの畑でもない。地主の畑。それで、今日も私は生きている。


「──もう、出て行ってもらいたい」

 ある朝のことだった。例の地主が訪ねてきたかと思えば、私たちに書類を突き付けたのだ。その、冷たい顔と共に。

 お母さんは、しばらく何も言わなかった。長い間、何も言わなくなった。私がパンの耳を全部あげても、いつもより仕事を頑張っても、何も言わなかった。ただ、のっぺらぼうみたいな表情で、ずっと文字を見ていた。

「ごめんね」

 その言葉で、私は初めて悟った。

 それからは、過ぎていくだけの日々だった。記憶に残ったのは、お母さんの微笑んだ顔だけだった。胸が苦しかった。


 ボロボロの家具を荷台に乗せ、私たちは車を引いて出て行った。もはや顔を覗くことすら怖かった。だから、私が荷台の母を振り返ることはなかった。

 何時間も歩いて、やっと新しい家に着いた。こぼれた光さえも当たらない、谷底の家だ。荷車をそこに置く。私は息をついて、ようやくお母さんを見た。

「あれ?」

 その晩、生まれて初めての感情が芽生えた。死にそうな呼吸で走り回る。誰に聞いても無視される。どの人間にも無視される。ごみを投げられる。泥に足を突っ込む。転んで顔から突っ込む。また走る。それでも、見つからない。


 わたしのおかあさんは、どこにもいなかった。

 絶望。それが、すべてのはじまりだった。


 もしこの世界に希望という言葉があるのなら、早くそれをよこせ。

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