雪中の立ち往生

七乃はふと

雪中の立ち往生

 おい、お客さん来てるんだから、静かに。

 すいませんね。うちの娘はおてんばで。

 で、俺の不思議な体験を聞きに来たとか。ええありますよ。今もよく覚えています。娘がまだ赤ちゃんの時でした。


 俺達が結婚した直後に子供が産まれて、それは大変でしたよ。

 仕事もまだ軌道に乗ってないし、育児には追われるし。何度、妻と喧嘩したことか。

 でも家族三人、力を合わせていくうちに、勝手が分かって来たのか、仕事も育児も滞りなくこなせるようになっていました。

 で、落ち着いたところで、娘の首も座ってきたし、実家に帰らないかと、妻に持ちかけたんです。

 妻のご両親は厳しい人達で、結婚にいい顔していなかったそうなんです。

 それを妻が一人……いやその時には、お腹の中に娘がいたので、二人で説得してくれたんです。

 俺はというと怖気付いてしまって妻に任せてしまいました。

 結婚式にも顔を出してくれなかったので、会わずじまいで、こっちに来てしまったんです。

 で、一度帰るかと提案すると、向こうから連絡があったんです。

 何でも、お義父さんが農作業中に腰を痛めたそうで。

 見舞いも兼ねて、親子三人。買ったばかりの中古車に乗って妻の実家に向かいました。

 土曜日だったんですけど、早朝出てきたからか、驚くほど空いてて。

 うちの娘もグズらないので快適な里帰りだと思っていました。

 グズらない秘訣があるんです。みかんが好きでしてね。

 流石に車に乗ってて本物は持たせませんよ。

 妻が作ったみかんの編みぐるみ、これを持っていると、ニコニコして、みてるこっちも、顔が綻んじゃ……。

 はいはい分かったよ。すんません。娘に釘刺されちゃいました。

 で、妻の実家に向かってるところでしたね。順調だったのは最初だけで、前方から暗雲が立ち込めてきたんです。


 天気予報では快晴だったのに、陽が翳って雪が降ってきたんです。

 雨混じりだったそれも激しさを増して、ワイパーで拭っても拭っても、フロントガラスが白くなっていく。

 道路に雪も積もってきたので、スリップしないか、注意しながら運転していました。

 次第に前の車との車間距離が詰まって来ましてね。前の車の中の様子が分かるくらいにまで距離が詰まっていました。

 だんだんと速度も落ちてきて、信号が青なのに、前の車が止まってしまったんです。

 ラジオで確かめてみると、どうやら進行方向の車道でスリップ事故があったらしく、親娘の救出作業が行われようとしている事が分かりました。

 長い渋滞で、車を置いていくこともできず、だからと言って娘を抱いた妻に歩いて先に行ってくれなんて言えません。

 仕方なく、車中で渋滞が解消されるのを待つことにしました。

 一時間、二時間まで数えて、後は数えるのをやめてしまいました。

 時々、警察官の人が運転席の窓を叩いては、体調不良になってないか聞いてきます。渋滞がいつ解消するか尋ねるのですが、帰ってくるのは渋い表情。

 近くのホテルから炊き出しが届けられるので、空腹になることはありませんでした。

 ただ、寒さだけは中々どうして、きつかったですね。

 停車している間もヒーターをつけるためにエンジンかけっぱなしなんですが、外は時間が経つにつれ雪が激しさを増していく。すると、車の周りに雪が積もっていくんです。

 そのままにしていると、外のマフラーから排気ガスが逆流してくる。そうなっては三人ともお陀仏。なので定期的に外に出てはマフラー周りの雪をどけていました。

 止む気配がないまま夜になり、時計が翌日の始まりを告げようとしていました。

 俺はまた外に出ると、マフラーの雪をどかして中に戻ります。

 妻は大丈夫と言いますが、顔色が良くなく、参っているのが伝わってきます。娘はこんな状況でもお気に入りのみかんの編みぐるみを持って眠っていました。それだけが唯一の救いでした。

 外から戻った俺は、仮眠をとる事にして、震える体を擦りながら瞼を閉じたんです。


 あの出来事は、次に目を覚ました時のことです。


 起こしたのは妻で、時間を確認するとまだ外に出る時間ではない。

 もう少し寝かせてくれと言うと、妻が強く揺するんです。顔を見ると真っ青なんです。

 妻が顔を寄せてきて、こう言ったんです。

「外に誰かいる」

 警察官だろうと考えたのですが、時刻は深夜三時。しかも雪の勢いは激しく、フロントガラスは真っ白でした。

 どこにいるんだと聞くと、妻はチラチラと後ろに目を向けるんです。そこには助手席の窓があります。ガソリン節約の為に車内の電気は消していたのですが、窓に人影らしきものが見えました。

 コツコツと窓を叩く音。続けて、

「すいません。〇〇署の者です」

 声は女性で警察官と名乗りました。俺は一瞬ホッとしたのですが、妻はそうでもないようで、震えながら言うんです。

 助手席側に来るのは変と。

 確かに今までは運転席側に来ていました。乗っているのは大衆向けの国産車。間違えたとも思えなかったんです。

 二人で会話している間もコツコツ窓を叩いてくるので、車内から運転席の方に回ってくれませんかと言いました。窓を叩く事はやめたのですが、動く気配がありません。

「こちらにお子様はいらっしゃいますか?」

 そう聞かれました。

「お子様だけでも安全な場所に避難させます」

 妻も一緒では駄目なのですかと返すと、

「お子様だけです」

 子供だけ連れていくなんて変じゃないか。その考えが娘にも伝わったのか、今まで泣かなかった娘が堰を切ったように泣き始めました。

 妻があやしても泣き止みません。そうしているうちに身も凍りつく事が起きたんです。

 バンと外からドアに向けてぶつけられたような音。

 掌で助手席の窓を叩くんです。何度も何度も、窓を砕くような勢いで。

 俺と妻はやめてくれと言ったんですが、叩きつける勢いは増すばかり。大の大人二人が声も出せなくなって、泣いている娘を抱きしめることしかできない。

 そんな時でした。

 いつの間にかダッシュボードの上に、みかんの編みぐるみが置いてあったんです。そう娘のお気に入りの。

 それが一人でに助手席の方に転がっていくと、爆発するみたいに破裂して中の綿が車内に飛び散ったんです。

 いつの間にか、外から窓を叩く音が止んでいました。

 でも人影は、立ち去る気配はなく棒立ちのまま。

 いつでも逃げれるように身構えると、

「すいません。私の娘を知らないでしょうか」

 俺は何も知りません、同じように何も知らない妻が分かりませんと答えると、

「……ご迷惑をおかけしました」

 そう言い残して、人影は消えてしまったんです。

 直後、運転席の窓が叩かれて、本物の警官がやってきました。やっと事故の処理がひと段落して、通行止めが解除されると。その時の時間は朝の六時を過ぎていました。


 これが俺たち親子が体験した話です。いや、女性警察官が何者かは分かりません。ただニュースで知ったのですが、事故の被害者の親子、母親は警察官だったそうです。

 

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雪中の立ち往生 七乃はふと @hahuto

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