蛹の葬列
中1
第1話:剥落
学校のトイレの、鼻を突く芳香剤とアンモニアの入り混じった臭いが、悠斗にとっては「処刑場」の臭いだった。
「おい、悠斗。もっと腹出せよ。キャンバスが狭いだろw」
笑い声と一緒に、カッターナイフの刃がカチカチと押し出される音が響く。主犯格の男――相沢の手には、文房具には不釣り合いなほど冷たい殺意が握られていた。
悠斗は震える手で制服のシャツを捲り上げた。抵抗すれば、次は目を焼かれる。そう確信させるだけの暴力が、この1年、彼の日常を支配していた。
「ぎゃははwこいつマジで震えてんじゃん。ウケるw」
取り巻きたちの嘲笑の中、鋭利な刃先が悠斗の腹部に触れた。
熱い。
最初はそう感じた。次に、自分の皮膚が紙のように容易く裂ける感覚。赤い線が走り、そこから溢れ出した血が、悠斗のズボンに黒い染みを作っていく。
「……っ……」
「声出すなよ。バレたらお前の家族もこうしてやるからなw」
相沢の歪んだ笑顔を、悠斗は見ることしかできなかった。
痛みを堪えるために食いしばった奥歯が、嫌な音を立てた。
相沢たちが行ったことを確認した悠斗はカッターナイフを拾い上げた。
「ただいま」
玄関を開けた悠斗を待っていたのは、夕食のカレーの匂いと、母の明るい声だった。
「おかえり悠斗。今日、学校どうだった? 先生が最近ちょっと元気ないって心配してたけど」
リビングから顔を出した母の顔を見て、悠斗は反射的に腹部の傷を鞄で隠した。傷口はまだ疼き、包帯代わりのタオルが血で張り付いている。
「……別に。体育で少し張り切りすぎただけ。疲れたから、部屋で寝るよ」
「そう? 無理しちゃダメよ。ご飯できたら呼ぶからね」
母の優しさが、今の悠斗には毒のように痛かった。本当のことを言えば、母は泣くだろう。警察に行けば、相沢たちはもっと執拗に家族を狙うだろう。
親を心配させたくない。その一心で積み上げた嘘が、悠斗をこの世界の誰からも切り離された場所に追いやっていった。
自室の椅子に倒れ込むように座り、悠斗はパソコンを起動させた。
震える指が、検索窓に言葉を打ち込む。
『いじめ 殺人 復讐』
表示されたのは、ありきたりな相談サイトや、綺麗事ばかりの道徳記事だった。そんなものが欲しいんじゃない。僕は、あいつらを壊す方法が知りたいんだ。
スクロールを繰り返し、検索結果の10ページ目、20ページ目と進んでいく。
ふと、広告も何もない、真っ白な背景に黒い文字だけのリンクが目に止まった。
【閲覧数:0】 ――『蛹(さなぎ)の庭』
吸い寄せられるように、悠斗はそのリンクをクリックした。
画面が切り替わると、そこには不気味な動画が一つだけ置かれていた。
再生ボタンを押す。
画面に映し出されたのは、暗い部屋で「ひょっとこのお面」を被った人物だった。
『……ようこそ。世界に捨てられた君』
加工された低く、金属的な声がスピーカーから漏れる。
『君が今感じている痛みは、君が弱いからではない。君が「ルール」を知らないからだ。
羊として死ぬか、狼として生まれ変わるか。
もし後者を望むなら、私が教えよう。骨の砕き方、心の殺し方、そして……世界を君の思い通りに操る方法を』
ひょっとこのお面が、画面越しに悠斗を嘲笑うように歪んで見えた。
普通なら恐怖で閉じるはずの画面を、悠斗は見つめ返した。
腹部の傷口から、じわりと血が滲む。
その瞬間、悠斗の中で何かが「プツン」と音を立てて切れた。
「……教えてくれ。あいつらを、殺す方法を」
返事があるはずのない画面に向かって、悠斗は初めて、自分自身の意志で言葉を放った。
ひょっとこの目が、暗闇の中で妖しく光った気がした。
蛹の葬列 中1 @1nensei
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