ある爆破事件容疑者についての私見

無用先生

某容疑者について

その人について、余は1975年に企業が爆破された事件があって。当局者からは犯人の一人と目されていたが逃亡の後に死去したという程度のことしか知らない。報道で知ったのはその人が病院で死去した前後のことである。

もとより爆弾による破壊活動を正当化はできないが、1975年の事件を、四十年以上経った後の制度と価値観で裁くことの妥当性については疑義と議論があると余は思う。

報道によると訴追された共犯者が病を得たので裁判が休止し、その間は公訴時効が停止されていたところ。

公訴時効の二度に渉る改正があり、しかも二度目の改正では死刑犯罪で死者のあったときには時効がなくなったので、長い逃亡も意味を失った。

報道によると、その容疑者自身も加齢によって病を得て病院に収容された。

事ここに至って遂に公然と名乗ったが、若い看護師は往年の容疑者が誰なのかに気づかなかったとのことである。

人生の最後に、「あなたが『あの』爆弾事件の!」と、病院が色めき立って慌しく当局者や記者に伝達することを期待したのか否か、本人が去ったので永遠に知る由もない。

そのような経緯により、その容疑者が凶行を為したことは判決によって確定はされなかった。 

ところで、死刑犯罪による死亡事件への公訴時効廃止という大改正に最も影響したのは、この者に掛けられた企業爆破という大規模な破壊活動でも、それの動機とされた政治思想(この語を用いるのは2025年現在の価値観では憚られるが事件当時には用いられていた語であり本人が標榜もしていたとされる)でもない。

全然、その容疑者とは関係ない事件。

すなわち体系だった思想や教養を有していたとは必ずしも見られない、一介の殺人犯の刑事弁護に『ドラえもん』『魔界転生』が持ち出されたことへの大衆への怒りであった。

容疑者死去により裁判は為されなかったとはいえ、2020年代の価値観では肯定されないことを行っていた公算は甚だ高い一方で。

文化史、制度史、文学論などから、この事件には考察の余地あると余は考える。

(配慮から固有名詞を伏せた。)

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