第4話 火と食と、朝の支度
雨は、夜のうちに止んでいた。
葉の先から、ぽたぽたと水滴が落ちる音がする。
孝平は、屋根の下で目を覚ました。 火はかろうじて残っていたが、灰はしっとりと湿っている。
「……湿ってるな。火、つくかな」
枝を組んで、火打ち石を打つ。 けれど、火はすぐにしゅんと消えた。
「……やっぱり、だめか」
『湿った木は、芯から火を嫌うよ』
どこかで、そんな声がした。 風の精霊か、木の枝か。 もう、どちらの声かはわからない。
昨日のうちに屋根の下へ入れておいた枝を探す。 乾いていそうなものを選んで、細く割って、 火の芯にする。
火打ち石をもう一度、打ちつけた。
ぱちっ。 火花が、乾いた草に落ちる。
「……ついた」
小さな火が、じわりと枝に移った。 孝平は、そっと息を吹きかける。
火は、ふうっと揺れて、 やがて、ぱちりと音を立てた。
『火は、急かすと怒るよ』 『でも、ちゃんと向き合えば、応えてくれる』
「……そうだな。ありがとう」
火が灯ると、空気が少しずつあたたかくなっていく。 湿った朝の空気が、ゆっくりと和らいでいく。
孝平は、火のそばに腰を下ろして、 今日の支度を思い浮かべた。
「……食べられるもの、探さないとな」
林の中は、まだしっとりと濡れていた。 葉の裏には水滴が残り、地面はぬかるんでいる。
孝平は、昨日と同じように、 食べられそうなものを探して歩いた。
赤い実を見つけた。 けれど、表面に小さな斑点がある。
『私は、昨日より甘いけど……お腹、痛くなるかも』
「……そっか。じゃあ、やめとく」
次に見つけたのは、丸いキノコ。 手に取ると、ぬめりがある。
『私は、火を通せば大丈夫。でも、焦がさないでね』
「……火加減、気をつけるよ」
昨日より、素材の声がはっきり聞こえる気がした。 言葉というより、感触や匂い、重さの中に、 “伝わってくるもの”がある。
「……慣れてきたのかな」
葉の陰に、小さな実が隠れていた。 つやつやしていて、手のひらにちょうど収まる。
『私は、今日のごはんにぴったりだよ』
「……それは、ありがたい」
いくつかの実とキノコを集めて、 孝平は火のもとへ戻った。
「さて……どうやって食べようか」
火は、静かに燃えていた。 けれど、調理となると話は別だった。
石の上に実を置いてみたが、 すぐに焦げ目がついて、皮がはじけた。
「……強すぎるか」
火から少し離して、枝に刺して炙ってみる。 今度は、なかなか火が通らない。
『火は、急かすと怒るよ』 『でも、じっくり向き合えば、ちゃんと応えてくれる』
「……昨日も言ってたな、それ」
葉で包んで、火のそばに置いてみる。 蒸し焼きのような形になって、 ふわりと甘い香りが立ちのぼった。
「……これだ」
キノコは、石のくぼみに水を入れて煮てみた。 昨日の貝の器が、ちょうどいい蓋になった。
火の加減を見ながら、 孝平は、少しずつ“食べるための火”を覚えていく。
「暮らしって、支度の連続なんだな」
火を起こす。 食材を選ぶ。 火加減を調整する。 器を工夫する。
どれも、昨日はできなかったことだ。
「……少しずつ、進んでるな」
日が傾き、空がゆっくりと青から藍へと変わっていく。
孝平は、火のそばに腰を下ろして、 蒸した実と、煮込んだキノコをひとくち口に運んだ。
「……うまい」
特別な味つけはしていない。 けれど、火の香りと、素材の甘みが、 じんわりと身体にしみていく。
「ちゃんと食べられるって、安心するな……」
火は、ぱちりと音を立てた。 まるで、同意するように。
孝平は、貝の器に残ったスープを見つめた。
「……明日は、保存できる器を作ってみようかな」
火の明かりが、屋根の下をやわらかく照らしている。 雨はもう降っていない。 けれど、葉の先から、まだぽたぽたと水が落ちていた。
その音を聞きながら、孝平は目を閉じた。
「……今日も、ちゃんと暮らせたな」
夜は、静かに更けていく。
【後書き】
3話まで読んでくださって、ありがとうございます。
火を起こして、食べるものを探して、 なんとか今日も“暮らし”が続いています。
少しずつ、素材の声が聞こえるようになってきました。 それが、成長なのか、ただの慣れなのか――
それでも、昨日より今日がちょっとだけ前に進んでいたら、 それでいいのかなと思っています。
また次の支度で、お会いできたら嬉しいです。
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