クラフトアルケミスト
ねこちぁん
第1話 終点、そして風の始まり
目の奥が、じんじんと痛む。 時計の針は、午前三時を指していた。
「……あれ? 今日、何曜日だっけ」
モニターの光が、青白く手元を照らしている。 画面の中では、未処理の書類が山のように積み上がっていた。
「……ま、いっか。あと三件だけ、やって帰ろう」
それが、いつもの口癖だった。 “あと少し”を繰り返しているうちに、朝も夜も、季節の移ろいさえも、どこかへ消えていた。
それでも、手は止まらなかった。 止まったら、崩れてしまいそうで。 だから、今日も“あと少し”を積み重ねて、気がつけば、空が白み始めていた。
書類を提出し終えたのは、午前四時を回った頃だった。
「……終わった」
誰もいないオフィス。 蛍光灯の光が、無機質に机を照らしている。
コートを羽織り、エレベーターに乗る。 地下鉄の始発まで、まだ少し時間がある。
「……歩いて帰るか」
冷たい風が、頬を撫でた。 眠気と疲労で、足元がふらつく。 それでも、どこか心は軽かった。
「明日は……休もう。久しぶりに、焼きそばでも作るか」
そう思った、その瞬間だった。
ブレーキ音。 眩しい光。 そして、真っ白な世界。
目を開けると、そこは真っ白な空間だった。 空も地面も、境目がわからない。
「夢……か?」
ふわりと、甘い香りが鼻をくすぐった。
「やっほ~、おはよう、孝平くん♪」
振り返ると、そこにいたのは―― ふわふわの耳を揺らす、小さな女の子。 白いローブに、金の刺繍。 まるで、絵本から抜け出してきたような存在だった。
「……誰?」
「私はうさちぁん。神様……ってことになってるけど、 まあ、気まぐれな案内人って思ってくれたらいいよ~」
「神様が、うさぎ……?」
「うんっ。かわいいでしょ?」
「……まあ、否定はしないけど」
「うんうん、素直でよろしい!」
「俺、死んだのか」
「うん。ぺちゃんこだったよ~。でも、がんばったね。 ほんとに、よくがんばった」
「……そうか」
不思議と、涙は出なかった。 ただ、心の奥にあった何かが、すっとほどけていくのを感じた。
「じゃあ、次は……転生の準備だねっ♪」
うさちぁんは、くるりと回って、手のひらに小さな光の粒を浮かべた。
「孝平くんには、“クラフトアルケミスト”の力をあげるよ」
「……クラフト?」
「うん。素材を見て、性質を読み取って、組み合わせて、形にする。 道具も、家も、畑も、魔法だって作れるよ」
「……それ、チートってやつじゃないか?」
「ふふっ、そうかもね。 でも、“暮らすための力”って、案外誰も持ってないんだよ」
「……なるほど」
少しだけ、笑みがこぼれた。
「じゃあ、どこに行くんだ? 異世界って言ってたけど」
「うん、好きな場所を選んでいいよ。 王都でも、冒険者ギルドでも、魔法学園でも──」
「……どこでもいい、って言ったら?」
「えっ、ほんとに? じゃあ……」
うさちぁんは、ぱちんと指を鳴らした。
「絶海の孤島、ぽつんとひとつ。 人はいないけど、素材はいっぱい。 静かで、風が気持ちいい場所だよ~」
「……それでいい」
「ほんとに? 寂しくない?」
「……うるさいよりは、ずっといい」
「ふふっ、じゃあ決まりだね」
うさちぁんは、光の粒を孝平の胸にそっと押し当てた。
「今度はね、ちゃんと“じぶんのために”生きていいんだよ?」
「おしごとも、じんせいも、ぜんぶ“たのしい”で埋めつくしちゃおっか♪」
「……できるかな」
「できるよ。だって、君はもう、止まってくれたから」
「……?」
「“止まる”って、すごく勇気がいることなんだよ。 だから今度は、ゆっくり、君のペースで──」
「のんびり、ゆっくり、君らしくねっ!」
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