未知満ちて、路となる
藤城ゆきひら
未知満ちて、路となる
未知とはなんだろうか。
たとえば有名なのは、映画『未知との遭遇』である。
この映画での未知は、宇宙人を指しているようだった。
もし、主人公がメン・イン・ブラックの一員だったのであれば、それは既知との遭遇だったはずだ。
つまり、未知とは、それを経験する主体に依存するものであると考えられる。
では、自身にとっての未知とは何なのだろうか?
それを、深く考えていきたい。
未知、既知、不知、無知。
語感は似たような単語だが、意味は大きく異なっている。
未知――ある対象について「知らないということ」を「知っている」ことだと思う。
つまり、何かしらの興味があるということだ。
既知――ある対象について「知っている」ことだと思う。
興味の有無にかかわらず、専門分野であったり、一般的な知識であったりと様々だ。
不知――ある対象について「知らないということ」すら「知らない」ことだと思う。
不知が何なのか、表現するのは難しいが、知らないことすら知らない……。
私の経験で話すと、漁船が魚を獲っているが、どこで何の魚が獲れるのか考えたことすらない。
つまりは、それが不知である。
しかし、『どこで何の魚が獲れるのか考えたことがない』を認識したことで、不知ではなく、無知になってしまったように思う。
無知――ある対象について「知っている」が「知らないことが多い」ことだと思う。
私も先ほど不知から無知となったばかりだが、『どこで何の魚が獲れるのか考えたことがない』というものだ。
無知と未知は非常に似ていて、あるいは同質のものと考えてよさそうだ。
既知とは、未知・無知を探求することでたどり着く。
未知・無知は不知を認識することでたどり着く。
つまりは、不知は出発点なのだ。
不知を知ることで、様々な出発点ができる。
だが、不知だけでは既知を増やしていくことができない。
興味を持って、何かを探求する。
こうして、不知から未知を増やしていくのだ。
増えた未知があたりを照らし、既知へとたどり着ける。
――未知満ちて、路となる――
私は、2020年ごろからカクヨムに登録し、人の作品をよく読んできていた。
執筆にも憧れはあったが、作品を公開するという経験は、未知であった。
2025年12月、勇気を出して短編を執筆するようになりました。
未知への一歩はとても大変な一歩ですが、踏み出してみると、既知が増えていく。
既知からも新しい未知が増えている気もしますが、それもまた一興である。
投稿ボタンを押した瞬間、またひとつ、未知が既知に変わった気がした。
これを読んでくれたあなたも、未知への一歩を踏み出せるよう応援しています。
未知満ちて、路となる 藤城ゆきひら @wistaria_castrum
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