長神昴という存在

武上 晴生

 

 あなたはひどく疲れていた。


 頭が重い。全身に重力を感じる。指の一本すら動かす気にならない。手に持った本も、指の腹にズンとのしかかる。

口をうっすらと開けて、呼吸をする。吸い込んだ息は、肺に圧力をかけ、吐き出せば、身体のあたたかさが抜けていく。それを取り戻さんとばかりに息を吸い、吐き、吸い、吐き、肩が動き、胸が上下し、呼吸が浅くなっていく。


 背中にピリ、と気配を感じただろう。気のせいではない。

 一瞬、あなたはこの画面から目を離して、ゆっくりと肩越しに後ろを見る。何もないはずの空間に、気配がある。薄ぼんやりと、得体の知れない何かがいるように見える。すぐに画面に目を戻す。

 後ろにいたのは、長い髪を垂らし、こちらを見ている、昴さんに違いない。

 脳裏に、その姿が蘇る。

 赤い目が、こちらを食い入るように見つめている。瞳の中は、どろりと模様を変えている。

 首の中央に出っ張った喉仏が、皮膚の下を滑り、ぐいと下がる。

 ひどく低い声で、何かを言う。


「疲れてる?」


 そう聞こえた。

 あなたは、答えを言う体力もない。

 代わりに、頭に浮かぶのは、昴さんの疲れ。

 うっすらと開くその目は赤黒く、どこまでも深く、暗く染まっていく。息の音もない静寂がある。

 皮膚が溶けていく。じんわりと人の形でなくなっていく。

 和服がずるりと落ちた。そこから現れるのは、球体のような、空洞のような、深淵のような何か。昴さんは普段、それを見せたがらないのを、あなたは知っている。

 その空洞は、低音を反響させてどこまでも大きく響かせる。

 音は聞こえていないはずなのに、音圧を感じる。

 耳を塞いでも、身体が振動している。

 あなたは、これが昴さんの、疲れの末路だと、

 飢えであり、渇きだと、悟るだろう。


 それが、あなたの思考を動かした。

 なんでもいい。髪が長い人を考えた。声が低い人。表情、性格、格好、振る舞い。

 掻き立てられる想像そのままに、頭に浮かんだその姿を、あるいは文字を、あるいは何かを、宙に向かって、指で描き出した。


 動かす腕の、視界の端に、昴さんがいる。瞳を輝かせて、指先を見つめている。読み取っている。喉仏がごくりと下がり、あなたの想像を、食した。

 本当に嬉しそうな表情をするのだ。

 昴さんは、嬉しくなると、無自覚に声を鳴らす。あなたはまた、体に音圧を感じる。

 その度に、また、ずき、と頭が痛むのだ。


 あなたはわかっている。

 この疲れの原因はなんなのかを。

 昴サンに近づいてはいけないと。

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長神昴という存在 武上 晴生 @haru_takeue

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