六畳一間のディストピア

ねむるこ

第1話 

 推しのバンドメンバーのアクリルスタンド。クマのぬいぐるみ。観葉植物。本棚の中に敷き詰められた好きな本と漫画。アロマの香りを出すディフューザー。淡いピンク色の可愛らしいカーテン。月の形をしたライト……六畳一間の部屋には私の好きな物しかない。

 好きなものに囲まれたこの部屋は私の小さな楽園だった。

 好きなものに囲まれていると幸せな気持ちになって安心する。私を不快にするもの害するものは何もない。

 ビーズソファの中に埋もれるようにして仰向けになる。私の身体に合わせて形を変えてくれるビーズソファは立ち上がりたくないぐらい心地良い。

 視線の先、天井にはオシャレな飲食店にありそうな球状の照明が取り付けられている。オレンジ色の温かな光は見ているだけで癒された。

 ヘッドホンからは私の大好きなバンドの音楽が流れている。もう何百回、何千回と繰り返し聞いてきた。歌詞だけではなく全ての楽器の演奏パートを覚えてしまうほどに聞き込んでいる。

 目をつぶるとこのまま眠ってしまいそうだ。それほどまでにこの部屋は快適すぎるほど居心地が良かった。

 この音楽をあと1分47秒聴き終わったら映画を観よう。同じアルバムを聴きこみすぎて後何分で演奏が終わるのか分かるようになってしまった。

 あるいは私の好きなバンドのライブ映像でも観ようか。

 映画もライブ映像も全て何百回、何千回と観てきたものだ。分単位でどんな映像が流れるのか記憶してしまっている。

 あるいは私の好きな本と漫画でも読もうか。

 何ページに何が書いてあるのか。一言一句覚えているほど読み込んでいる。

 頭の中で色々とやりたいことが浮かぶけれど私はビーズソファに沈んだまま音楽を聴いていた。

 このまま大好きな音楽に包まれながら眠るのもいいかもしれない。

 仕事もなんの予定も入っていない。贅沢な自分だけの自由な時間。

 ああ。こんな穏やかな時がずーっと続けばいいのに。



 推しのバンドメンバーのアクリルスタンド。クマのぬいぐるみ。観葉植物。本棚の中に敷き詰められた好きな本と漫画。アロマの香りを出すディフューザー。月の形をしたライト……六畳一間の部屋には私の好きな物しかない……のではなく私の好きなもの以外は全て消え失せてしまった。

 好きなものに囲まれたこの部屋は地下シェルターだった。

 恐らく地上は目を覆いたくなるほどの惨状が広がっているはずだ。

 たくさんの死体と壊れた兵器。それと目には見えない有害物質、ウィルスが蔓延しているだろう。

 好きなものに囲まれていると不安になる。私はいつまでここにいなければならないのか。

 なるべく目にすることがないように窓は美しい景色が映し出されるような設定にした。それでも怖いのでカーテンはずっと閉めきったままにしている。

 ビーズソファの中に埋もれるようにして仰向けになる。私の身体に合わせて形を変えてくれるビーズソファは心地良いが私は無性に何処かへ行きたい。

 視線の先、天井にはオシャレな飲食店にありそうな球状の照明が取り付けられている。そんな飲食店、今はどこにもないだろうけど。オレンジ色の温かな光を見ていると太陽を思い出して胸が締め付けられる。

 ヘッドホンからは私の大好きなバンドの音楽が流れている。もう何百回、何千回と繰り返し聞いてきた。歌詞だけではなく全ての楽器の演奏パートを覚えてしまうほどに聞き込んでいる。

 私のプレイリストに好きなバンドの曲が増えることはないし、新しいアーティストの曲が増えることもない。

 目をつぶるとこのまま眠ってしまいそうだ。できればずっと眠っていたい。

 この音楽をあと1分47秒聴き終わったら映画を観よう。同じアルバムを聴きこみすぎてあと何分で演奏が終わるのか分かるようになってしまった。

 あるいは私の好きなバンドのライブ映像でも観ようか。

 映画もライブ映像も全て何百回、何千回と観てきたものだ。分単位でどんな映像が流れるのか記憶してしまっている。

 新作映画が公開し、配信サイトが更新されたのはもう遙か昔の話だ。私の好きなバンドがライブを開催することはもう二度とないだろう。

 あるいは私の好きな本と漫画でも読もうか。

 何ページに何が書いてあるのか。一言一句覚えているほど読み込んでいる。

 私の本棚に新し本や漫画が増えることはない。

 頭の中で色々とやりたいことが浮かぶけれど私はビーズソファに沈んだまま音楽を聴いていた。正確には聴き流していた。

 このまま大好きな音楽に包まれながら宇宙空間に飛ばされて消えてしまいたい。

 仕事もなんの予定も入っていない。自分だけしか存在しない地獄のような時間。

 ああ。早くここから解放されたい。



 推しのバンドメンバーのアクリルスタンド……もううんざりだ!こんな世界!

 私は六畳一間の中に詰め込まれた好きだったものを片っ端から床に投げ捨てた。

 劣化していたアクリルスタンドは壊れるその時を待っていたかのように砕け、何度も繰り返し読んでいた本はページが崩れて紙がかつて駅前にいた鳩達のようにあたりに飛び散る。

 月の形をしていたルームライトも今となっては何の役目も果たさないガラクタに成り下がっていた。

 いつの間にか私の好きな物は私の心を蝕んだ。

 かつて自由に旅し、色んな景色を見ることのできた。沢山の人と交流することができた世界を嫌でも思い出してしまう。

 それに比べて今の私は六畳一間から一歩も外に出ることができない。

 世界が広がることも、新しい何かに出会うこともない。労働に一喜一憂することもない……。

 何もないということがここまで苦痛なことだとは思わなかった。

 私はただシェルターの期限が切れ、自分の命が終わるのを待つしかないのだ。

 ゴミの山の中。衝撃でデジタル写真立ての電源がONになったのだろう。写真データが天井に映し出された。

 もう名前も思い出せない。私の友人達や家族の姿が映し出される。

 天井を見上げ、私は口を開けた。懐かしさとこの人達ともう二度と会うことはなにのだという悲しさで胸の中がいっぱいになる。

 皆、何をしているんだろうか。私のようにシェルターで死を待っているのか。それとも爆撃、ウィルスや毒ガスで亡くなったか。あるいはいつか必ず訪れるシェルターの期限切れと命の終わりに耐えかねて自殺したか……。

 まだシェルター同士の通信が機能していた頃、ニュース番組なんてものが配信されていた頃にシェルター内の自殺が増加していると聞いたのを思い出す。

 本当のところ皆がどうなったのかは分からない。連絡する手段もなく、外に出て探すこともできない。

 私は一体いつからここにいたんだろう。時間の流れすらも曖昧だ。

 というより、覚えていようと努力しなかった。寧ろ積極的に現実を忘れようとしていた。

 好きな映画やバンドの映像を見て、好きな音楽だけを耳にして。好きな文章だけを読んで……。

 今なら分かる。本当は見たくない現実をちゃんと見るべきだったんじゃないかって。

 嫌いなものや都合の悪いことにこそ生きていく上で重要な何かがあったんじゃないかって……。今更そんなこと後悔したって遅いけど後悔せずにはいられなかった。

 私の身体はシェルターに入る前、特別な手術を施している。食べなくても生命活動を維持できるようになっていたが未知の有害物質とウィルスには対抗できない。だからシェルターの期限が切れれば私の生命活動も終わる。

 私は今まで何をやって来たのか……。

 緩やかに人生が終わりかけているっていうのに私は何も成していない。

 ただ好きな物に囲まれて、好きなことをしていただけだ。その事実が急に心にきた。

 ずっと締め切ったままのカーテンを思い切って開ける。

 美しい青い空に煉瓦造りのおしゃれな建造物。窓に取り付けられたボタンを押すと美しい風景が消え去った。

 代わりに現れたのは……黒い土だ。

 私はセミの幼虫のようにずっと深い土の中にいた。

 地上へ繋がる通路は寸断されたらしいとずっと前に通知があって以来、玄関のドアを一度も開けていない。開ける勇気もない。

 私は好きなものが散らばった床の上に仰向けになった。

 球状の照明と天井に写し出された友人達の撮った写真がぼやけて見えた。喉がひくひくして鼻水が出てくる。

 私は泣いた。声を上げて。生まれたての子どもみたいに。

 天井に写し出された友人や家族は私が泣いている姿を見て笑ってる。「どうしてそんなに笑ってるんだ」って言ってるみたいだ。もちろんそんなこと誰も言ってない。全部私の妄想だ。

 涙はなかなか止まらなかった。

 どうしようもない孤独とか。このまま誰にも知られず死ぬんだとか。皆に会いたかったとか。もっと家族と話したかったとか。

 色んな感情が溢れだして止まらなかった。

 泣き終わった後、冷静さを取り戻した私はこれからの自分のことを考える。

 もういっそのこと死んでしまおうか……。これ以上何も更新されない世界に耐えられそうもない。

 どうせシェルターの期限も近いのだ。わざわざ自殺なんて手間のかかることをしなくたっていい気もする。

 そうだ。私は今までと変わらず、好きなものに囲まれ、好きなことをして死を待てばいい。それ以外に選択肢はないはずだ。

 私はヘッドホンをすると好きな物が散らばった床の上に寝転がった。

 いつものようにお気に入りのバンドの曲を聴く。何度も聴き過ぎて所々音声が掠れた音楽を。

 このまま穏やかに。静かに人生が終わるのならいいじゃないか。これほど素晴らしい死があるだろうか?ある意味恵まれた死に方だろう。

 私はまるで棺の中で眠るように目を閉じ、お腹の上で両手を組んだ。

 ……いや。これじゃあ結局今までの私と一緒じゃないか。

 ヘッドホンを外して目を開けた。

 そうやって現状を保とうとするから私の世界は変わらないんだ。

 最期ぐらい、何か思い切って物事を成し遂げてみたらどうだろうか。歴史に名を遺す……のは大げさだけど、小さくてもいいから私が生きた証を残したい。

 机の上にあった小さなノートを手に取る。

 これにメッセージを残すのはどうだろう?

 今の私にできることはそれぐらいしかない。私は何かに憑りつかれたようにノートにメッセージを書いた。

 長い文章は書けない。

 誰が目にしても分かるように。単純に。私がいちばん伝えたいことを書き記す。

「よし……!」

 私の考えが文字として誰かに伝えられる、上手くいけば残るかもしれない。そのことがなんだかとても誇らしいことのように思えた。

 万が一のため、防腐ケースに入れる。私が土の上に倒れてもノートは腐敗せずに守られるはずだ。

 ずっと忘れていたワクワクした気持ちを思い出す。これから夏休みを迎える子どもみたいな気持ちだ。身体が熱く、心臓がドキドキと高鳴る。

 私は防腐ケースに入れたノートを手に玄関のドアへ視線を向けた。もうずっと閉ざされたままの扉だ。

 ここをひとたび開けてしまえばシェルターの安全性は下がる。今までのようには暮らせないだろう。

 今の私に恐れはなかった。ずっとぬるま湯に浸り続けるような世界から逃れることができるのだから。

 私の好きなもので溢れた部屋との別れも惜しくなかった。新しい世界へ行けるのなら好きだったものを手放すのも惜しくはない。

 スニーカーに足を通す。靴を履く感覚が懐かし過ぎて戸惑った。よろめきながらも玄関のドアを押し開ける。

 無機質なコンクリートで固められた灰色の通路が現れた。所々電灯が点いておりなんとか道が見える。

 壊されていない通路もあるはずだ。もしかしたら他のシェルターの住人に会えるかもしれない。

 私は覚束ない足取りで灰色の道を走り出した。こんな風に走るのも久しぶりだ。

 息が苦しいのは走っているからか。それとも地面に染み出した毒ガスのせいだろうか。

 私はただひたすらに走り続けた。時々こけそうになりながら、足をもつれさせながら……。本当は怖いはずなのに、今は何故かすごく楽しい気持ちが溢れてくる。追いかけっこをしている子どものように。走るたびに笑みがこぼれてしかたない。

 どれぐらい走っていただろうか。

 カンカンカンッと梯子階段を駆け上がる音が辺りに響き渡る。

 あともう少し。あともう少しで私は地上の光を浴びることができる。

 天井の取り付けられた、回転させて開けるタイプの扉……潜水艦のハッチのようなものを掴むと最期の力を振り絞って回転させる。

 ガシャンッと開錠される音と共に私は眩しい光りに包まれた。

「え……?」

 壊れた建物や兵器、死体。目を覆いたくなる光景が広がっていると思っていた。

 私の目の前に広がっていたのは……。未来都市だった。

 背の高い、サーバーのような無機質なビル群に宙を行き交う見たことのない乗り物。戦争の痕跡などどこにもない世界が広がっていた。

「す……すごい!」

 実はもう私は死んでいて、私が見たい世界を見ているだけかもしれない。あるいは本当の私はまだシェルターにいて夢を見ているか……。

 それほどまでに目の前に光景は現実離れしていた。

「どっちでも……いいか……」

 新しい世界を目にして私は信じられないほどほっとしている。良かった。私の世界以外にも世界があって……。

 急に息苦しくなる。呼吸する度に肺が痛んで上手く息ができない。

 浅い呼吸を繰り返しながら地上に這い出る。身体全体が金属になってしまったかのように重い。

「はあっ……はっ、はっ……」

 私……もう駄目なんだ。ここで終わりなんだ。でも、最後に私が好きなもの以外のものを見ることができて良かった……。

 こんなに外の世界がすごいんだったら……私の書いたノートの言葉なんて大したことないな……。もっとすごいこと、かけばよかった……。


 


「ねえ。これは何?」

 男の子が母親に向かってガラスケースの中を指差す。博物館に展示されていたのはどこにでも売っていそうな普通のノートだった。

 母親は痛ましい表情を浮かべて沈黙する。

「これ、ただのノートの落書きじゃん。どうして博物館にあるの?」

「これはただのノートなんかじゃないの。……私達人類の教訓にするべきもの」

「これが……?」

 母親はしゃがんで幼い子どもと視線を合わせると男の子の肩の上に手を乗せて語り始めた。

「●0年前に世界全体で戦争が続いた時期があったの。この地域は特に色んな化学兵器が使われてね……。酷いあり様だった。病気になったり身体に異常が出て亡くなる人がたくさんいた。だから一部の人達は地下シェルターで何とか生き延びようとしたの。地上は汚染されていて、戦争が終わっても外に出ることはできなかった。人が良きれるような環境に戻すには数百年はかかる見立てだったらしいわ」

「数百年も?でも僕らは平気だよ?」

 男の子が首を傾げる。

「それはね……。私達の身体は汚染に対抗できるように、生まれたらすぐに手術をしたからよ」

 男の子は目を丸くさせ、口をぽかんと開けた。

「戦争が終わってすぐのころは人が生きるために環境を整えるのにかなり苦労したそうよ。だからシェルターに居る人達のことは忘れられたの……というか、忘れようとした」

「どうして?」

 母親は大きなため息をつくと一呼吸置いた後で口を開いた。

「地上にやってきた人達は戦争に勝った人達……。私達の御先祖様ね。国は自分達がやってきた酷いこと、化学兵器を使った痕跡を歴史から消そうとしたの。だから……シェルターの出入口を壊したり、塞いだ。シェルターに取り残された人たちに戦争が終わったことも知らせなかった……」

「……」

 男の子は真剣な表情で母親の話を聞いていた。

「報復……やり返されるのが怖かったんでしょうね。シェルターの人達は特殊な手術を受けているという情報があったから。怖がられていたの。それと生存者の証言というのは戦争に勝った国にとっては脅威でもあったから……。それでもシェルターの出入口がまだ残されている場所があった……」

 母親は顔を上げると展示されたノートを見る。

「このノートはシェルターの生存者のものなの」

 男の子顔が明るくなる。

「じゃあ、ひとりは助かったんだ!」

「いいえ。彼女は地上に出た瞬間……汚染されていた空気にやられて亡くなったの」

「そんな……。そんなのって酷いよ」

 泣き出しそうな男の子を母親が優しく抱きしめた。

「本当にね……。でも彼女の存在がきっかけに戦争の記録を正しく残す運動が盛んになったの。歴史を改ざんするべきではないって。そのまま現在の平和運動にも繋がって行った。だから私は今、こうしてあなたを博物館に連れて行って話してるの。昔は被害者の展示になんてどこにもなかったからね」

 男の子は母親の肩から顔を離すとノートを指差した。

「なんて書いてあるの?」

 母親は男の子の目を見ながら答えた。

「『私はずっと私の好きなものしかない世界にいて不安で退屈でした。あなたは今、どんな世界にいますか?幸せですか?』」

「どうして読めるの?」

 母親はふふっと柔らかく微笑んだ。

「学校で習ったから。あなたもこれから学校で習うと思うよ」

「ずっと何も知らされずに、ひとりぼっちで地下に潜んでいたんだね……」

「過ちを胸に平和に感謝して生きなければね。それがしっかり理解できたのならお家に帰りましょう」

 母親は立ち上がると男の子の左手を握りしめた。

「うん……」

 男の子は手を引かれながらノートが展示されたガラスケースを何度も振り返る。 絶対にあのノートの言葉、筆跡を忘れてなるものかと自分自身に言い聞かせた。




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