第8話 目覚める領主の資質
翌朝、ベルナスの村は驚くほど清々しかった。
死の匂いが消え、空気にわずかな花の香りが混じる。
昨日まで灰のようにくすんでいた大地が、朝露を帯びて輝いていた。
人々の笑い声も、少しぎこちないながら戻ってきた。
俺は井戸の脇に立ち、新しく澄んだ水を汲み上げた。
その透明さに、村人たちが息を呑む。
「信じられん……昨日まで黒く濁っていたのに。」
老人が震える声でそう言い、膝をついて水をすくった。
その顔に、久しく見なかった“希望”の色が宿っている。
「飲んだ途端に力が湧いてきた……まるで若返ったみたいだ……!」
「たぶん、魔力の循環が戻っただけだよ。瘴気に押し潰されてた土が息を吹き返したんだ。」
俺がそう言うと、男は涙ぐみながら頷いた。
その光景を見て、思わず苦笑いが漏れる。
まるで“神聖な儀式”でも見たかのようだ。
正直なところ、俺自身もこれほど上手くいくとは思ってなかった。
瘴気の循環を断つだけならともかく、泉と地脈を繋げたことで、村全体の魔力の流れが一変した。
自然が本来の姿を取り戻せば、人も蘇る。それがこの世界の理らしい。
「アレン様、このあとどうすればいいでしょうか!」
「まずは畑を整えよう。昨日の雨で土が柔らかくなった。作物を植えるなら今がいい。」
「作物を……? この土地ではもう何も実らないと諦めておりました。」
「諦めるにはまだ早いさ。」
俺はその場にしゃがみ込み、掌を軽く地に当てた。
すると、草の根が静かに蠢き、固い泥がふわりとほぐれていく。
地面が生き返るようにして柔らかくなり、種を植える準備が整う。
村人たちが息をのんだ。
「魔法……なのですか?」
「いや、これは土地の力だ。俺がやったのは、ちょっと背中を押しただけ。」
村人たちは顔を見合わせ、やがて我先にと鍬を手に取った。
その目の輝きは、昨日の死にかけた村人たちとは別人のようだ。
どんな立派な魔法より、この“やる気”こそが一番の奇跡だ。
夕刻まで働き詰めたあと、老女が炊き出しの鍋を持ってきた。
湯気の立つスープに、久しく嗅いでいなかった香りが混じる。
畑で採れた根菜を使った、質素ながら温かい料理だった。
「アレン様も、どうぞ。お口に合うかわかりませんが。」
「ありがたい。……ああ、うまい。塩加減が絶妙だ。」
「まぁ……! びっくりしました。領主様が“うまい”なんて言ってくださるとは。」
「俺はそんな偉いもんじゃない。ただの追放貴族だ。」
「ですが、この村を救ってくださった。もう、どんな貴族よりありがたいお方です。」
……困った。そこまで感謝されると落ち着かない。
俺はもともと、のんびり森で暮らすつもりだったんだ。
それが気づけば人の中心に立ち、村の未来を見守る立場になっている。
背後で、いつもの低い声が響いた。
『人は力を求め、やがて“導く者”を生む。汝がその器ならば、拒であっても選ばれよう。』
「アルディネア、おまえ……いつの間に来たんだ。」
『姿は見せずとも、風が通る限り、我は汝の傍らにある。……この村、人の気配で満ちてきたな。』
「そうだな。生きることに貪欲というか、たくましいよ。」
『それこそが人の力だ。だが、次を考えねばならぬ。』
「次?」
『この村を守るだけでは足りぬ。外の者を迎え入れ、この地を一つの“国”とするのだ。
それが、竜の加護を受けた領主に課せられし宿命。』
「国、ね……そんな大層な真似、俺にできるか。」
『汝はもう始めている。己の手で地を癒し、人を導いた。
領主とは、冠ではなく“責”だ。人と土地の生を守る者こそ、真の支配者。』
竜の声に、胸の奥で何かが響く。
昨日まで孤独だと思っていた。だが、今は違う。
自分を頼る声があり、守るべき命がある。
それは決して鎖ではなく、力を強くするものだ。
俺はゆっくり立ち上がり、暮れなずむ空に目を向けた。
雲の切れ間から金色の光が差し込み、村を包み込んでいる。
「……よし。決めた。」
周囲の人々が顔を上げる。
俺は穏やかに、しかしはっきりと宣言した。
「この村を中心に、新しい共同体を作る。
森と人が一緒に生きていけるような土地をな。」
「つまり、領主さまが本格的に指揮を?」
「まぁ、そういうことになる。けど命令ではなく提案だ。
全員で考えて、全員で作ろう。働きたい者は畑へ。手先の器用な者は工房を。
森の素材で細工を作れば、交易の道も開けるはずだ。」
「交易……王都の商人が来るようになりますか?」
「来たら歓迎しよう。ただし、森を乱す者は入れない。
ここでは“人と自然が対等”がルールだ。」
村人たちがいっせいに拍手した。
それは派手さはないが、胸に響く拍手だった。
誰もが心の底から“生きたい”という意志を取り戻している。
夜が訪れ、村の中央に焚き火が灯った。
初めての祝いの宴だ。
子供たちが残り木を集め、大人たちが串焼きを作る。
いつの間にか、笑い声と歌声が響いていた。
俺は少し離れた場所からそれを眺めていた。
火の光に照らされた人々の顔は、まるで未来そのものだった。
アルディネアの声が、静かに頭の奥で響く。
『どうだ、人の子。命の輪が輝いておるだろう。
これが汝の創造した“新しい世界”の始まりだ。』
「俺が、か……。いや、きっと皆のおかげだ。」
『そう思えるうちは、まだ正しい。慢心こそ滅びの種だからな。』
竜の声音は、どこか愉快そうだった。
俺は思わず笑みをこぼした。
「アルディネア、俺はおまえに出会って本当によかったよ。」
『ふむ、人にそう言われるのは久しいな。
では、今日の祝いに我から贈り物をしよう。』
風が一陣、村の上を駆けた。
すると、焚き火の火花が夜空に舞い上がり、星のように煌めいた。
村人たちが歓声を上げ、子供が手を伸ばす。
『竜の息吹を借りた光の加護だ。
これより、この地を異獣も疫病も侵せぬ。』
「……ありがとう、アルディネア。」
空を見上げると、満天の星の間に黒い翼がゆるやかに広がっているのが見えた。
その姿は神話めいて、同時にどこか温かかった。
火の粉が消え、夜が深まる。
人々の笑い声が少しずつ静まっていく。
俺は燃え残った薪に視線を落とし、小さく呟いた。
「俺はもう、ただの追放貴族じゃない。……領主として生きる。」
風が頷くように木々を揺らす。
その音はまるで祝福のようだった。
こうしてアレン・グランディアは、辺境の小さな村を再生し、
本当の意味でひとつの“国”を築く第一歩を踏み出したのだった。
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