第4話 最強の力と、静かな森の朝
朝日が昇るよりも早く、鳥の声で目を覚ました。
柔らかな光が木々の間から差し込み、湿った空気が肺を満たす。
俺は布袋から乾いた果実を取り出し、軽く噛みしめた。
ほんのり甘く、少し酸っぱい。森の香りが舌の奥に残る。
――いい朝だ。
王都での息苦しい空気を思い出すと、この静けさが嘘みたいだ。
昨日開墾した土地を見渡すと、夜露をまとった土が淡く光っている。
アルディネアが少しだけ魔力を流したおかげで、土地が息を吹き返したのだ。
その気になれば今すぐ作物を植えられそうだ。
「さて、今日から本格的に動くか。」
まだ人のいない地とはいえ、ここを拠点にするなら基礎が必要だ。
水、食料、住居、警備。まずはそれを整えなければ。
焚き火の跡を踏みならしながら、泉へと向かう。
朝靄の中、青白く光る泉は幻想的で、まるでこの世のものではない。
水面を覗き込むと、自分の顔に淡い金の模様が浮かんでいた。
竜との契約の紋が、鼓動に合わせて動いている。
昨日よりも明らかに濃くなっていた。
『人の子よ、妙な笑みを浮かべておるな。』
背後から聞こえる声に振り返ると、アルディネアが森の端から姿を現した。
彼の巨体が日を遮り、影が俺をすっぽり包み込む。
だが、もうその存在に怯えはなかった。
「強くなってる気がするんだ。この力、昨日よりも体に馴染んでる。」
『当然だ。契約の魔力は日ごとに汝の体へと融合していく。
力を扱うほどに器が拡がり、身体そのものが進化する。』
「つまり、“チート級強化”ってやつだな。」
笑うと、アルディネアが首を傾けた。
『その言葉の意味は知らぬが……おそらくそうであろう。』
「問題は、この力をどこまで使っていいかだな。俺、派手に壊したくはないんだ。」
『己を制する者こそ、真の強者。力を振るい過ぎぬ覚悟もまた智慧だ。』
竜の言葉に頷き、俺は掌を見つめた。
そこに集中すると、空気が震え、淡い魔力の粒が生まれた。
握り締めると温かく、緩めると霧のように散る。
意識を向けると、風が渦を巻き、草がなびいた。
「……悪くない。」
この力があれば、魔獣だろうと盗賊だろうと恐れることはない。
それどころか、この辺境を繁栄させられる。
腕まくりをして、泉の傍の土地に向かう。
目印として石を並べ、小さな区画を作った。
畑を作るなら、まず排水と水流の調整だ。
俺は腰を落とし、手を地に当てた。
頭の中で描くのは、緩やかな水路。
泉の水を一定量だけ導き、湿り過ぎない自然な流れ――。
「《水脈形成》。」
言葉とともに掌から力が伝わり、地面が震えた。
小さな川のように土が割れ、泉の水が脈を走る。
やがて、それはまるで古来からそこにあったかのように整った道筋を描いた。
「……おお。」
『おまえ、初めてにしてはやるな。』
と思ったら、アルディネアが呆れたような声を出した。
『人の術にしては無茶苦茶な精度だ。よほど相性が良いらしい。
この力を完全に使いこなせば、国ひとつ造ることもできよう。』
「国か……」
少し考えてから、首を振った。
「俺はそんなに大それたこと、今は興味ないな。
畑を耕して、温泉つくって、人が笑える町ができりゃそれで十分だ。」
『……欲の少ない人間よ。だが、それ故に面白い。』
泉の水面が音もなく揺れた。
そこから、昨日出会った精霊ニネの声が風と共に届く。
『聞いていたわ、アレン。静かに暮らすと言いながら、本気で土地を変えるなんて。』
「どうも、朝から働く癖が抜けなくてね。精霊様、何かアドバイスを?」
『ふふ……そうね。この土地は水が多すぎるから、日差しを取り入れるといい。
あと、南側に風を通す道を作れば、魔物も寄りづらくなる。』
「了解。さすが自然の守り手だな。」
『軽口を。まあいいわ。私は森が豊かになるなら反対しない。』
ニネの声が消えたあと、アルディネアがひとつ咳払いをした。
『風の道を作るのは汝だけでは難しい。手伝ってやろう。』
「お、それはありがたい。」
竜の翼が開かれ、空気が震えた。
その一振りで、森の上層部の枝葉がざわめき、日光が流れ込む。
陽射しがまっすぐ新しい畑に降り注ぎ、湿った土が宝石のように輝く。
感嘆が漏れた。
「まるで神の仕事だな、アルディネア。」
『当然だ。我を誰だと思う。……まあ、庭仕事など久しぶりだがな。』
軽口を交わしながら、昼まで作業を続けた。
風路を整え、幾つかの小高い丘を削り、先ほどの水脈を交差させる。
地形が見事に変わり、自然の循環ができあがっていく。
作業を終える頃には太陽が真上に昇っていた。
俺は汗を拭い、泉の水をすくって口に含む。
冷たくて、驚くほど甘い。
まるで自然が祝福しているかのようだった。
『どうだ、辺境の住み心地は。』
「最高だよ。静かで、飯もうまいし、何より空気が生きてる。」
『ふむ。王都に戻りたいとは、もう思わぬか?』
「戻る? はは、それはないな。
今さらあんな場所で貴族遊びするぐらいなら、ここで畑耕して温泉に浸かってたいよ。」
アルディネアが低く笑った。
『なるほど……そう申すだろうと思っていた。』
日が傾き始めるころ、俺は畑の中央に石を積み、小さな炉を作った。
火を起こして、昨夜の肉の残りを焼く。
香ばしい匂いがあたりに広がり、煙が青く空へ昇る。
これだけで、まるで新しい街に灯がともったように感じた。
口の中に広がる味を楽しみながら、俺はふと呟いた。
「ここにいつか人が来たら、一緒に飯を食いたいな。
そういう場所にしていきたい。」
『おまえという人間は、本当に奇妙だ。我の見てきたどの王、勇者よりも物欲がない。
だが、だからこそ、誰よりも“生”に近いのかもしれぬ。』
アルディネアの声が静かに響く。
その言葉が泉に反射し、木々がざわめいた。
やがて日が暮れ、茜色が森を包む。
俺は火のそばで寝転がり、昇る煙越しに空を見上げた。
空の端に、一番星が瞬いている。
風が頬を撫でる。寂しさはない。
ただ、心の奥から湧いてくるあたたかい満足感だけがあった。
「最強の力があっても、求めるのは静かな朝か。俺らしい。」
手を泉の方向にかざし、握る。
光が小さく揺れ、掌の中にひとつの熱が宿った。
それは怒りでも野心でもない――確かな、生きるための力。
こうして辺境の地“アルディナ領”は、ゆっくりと芽吹き始めた。
神竜と共に暮らす青年の、穏やかで逞しい日々が、ここに始まったのだった。
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