第3話

「ここに、モンスターが?」


 少女が辺りを見渡すが、大きな影なども見当たらない。

 池の周囲はぽっかりと穴が空いたように木々もなく、大きく空が開いている。池はどれくらいの深さなのかは見ただけではわからないが、青く澄んだ水をたたえているのが見えた。魚の姿は見えない。


(とりあえず、くるっと回ってみようかな)


 のどかな光景につい気を緩めそうになるが、剣を持ち直して少女は池のへりに沿って歩き出す。

 背後からは当然のように男がのんびりとした足取りでついてきていた。


「ねー、シグレくん。ほんとに危ないから離れてた方がいいよ」

「だーいじょーぶ、だいじょーぶ。下がってるからさ」


 大丈夫かなぁ、と少女は口の中だけでもごもごとするが、やはり男はついてくるつもりのようだった。

 諦めて少女は男を伴ったまま歩き出す。

 歩いてみてわかったのは、池のへりがだいぶ濡れてぬかるんでいることだ。歩きにくいことこの上ない。

 気を付けて足元を確かめながら、ぐるりと池の周囲を回る。

 途中気付いたのは、これだけぬちゃぬちゃとぬかるんだ地面をしているというのに生き物の足跡がひとつも残されていないことだった。

 いつからこれほどぬかるんでいるのかはわからないが、水場だというのに動物たちの足跡すらないというのは不自然だと思った。


「他に水場があるのかな」


 それほど深い森ではないと聞いているし、他に湧き水や沢があるとも聞いていない。

 なにか知らないかと背後の男をちらりと伺う。

 気付いた男は首を傾げ、困ったように眉を下げた。


「ボクが聞いた限りでは、他に水場はないみたいだよ。まぁ、雨が降ったあとに短時間だけできる水たまりなんかはわからないけど」


 唯一の水場なら、そこに動物たちは集まるはずだ。もちろんモンスターだって。

 幼いころ、少女の祖父が教えてくれた。水は生き物にとって必要不可欠なものであること。動物たちの足跡のこと。水場に住む生き物のこと。少しだけモンスターのことも教わった。

 やっぱり不自然だ。なにかが引っかかる。

 じっと水面を眺める。

 陽光に反射してキラキラと輝いているが、大きな波紋はない。

 底が見えそうなほど澄んでいて静かな水の中が観察できる。でも、深さはわからない。

 違和感。


「……あれ?」


 少女は足を滑らせないよう気を付けつつ身を乗り出して池を覗き込む。

 後ろから男が危ないよと声をかけるが構わない。


 ――魚がまったく泳いでいない。


 それどころか水中にいるのをよく見かける虫の類いも見当たらなかった。

 異様なことに気付いた少女はこくりと唾を飲み込み、そっと池から離れるためにゆっくりと後退る。

 剣を握り直す。

 すーっと音もなく池の中心から波紋が広がった。


「あっ」


 ぬらり、水飛沫をあげて黒い影が池から現れる。

 日に照らされてぬたぬたと光る黒いウロコ。鎌首を持ち上げてこちらを見下ろすかがち(ホオズキ)のような三対の、六つの瞳。長い二対のヒゲはナマズのようで、長い首はヘビのようだが、ウロコは魚のように粘液で覆われているように見えた。

 水面から出ているだけでも見上げるほど大きい。少女の家の屋根よりも高い位置に頭がありそうだ。

 表情の見えない魚類の顔でそのモンスターは少女を見下ろしている。それでも友好的ではなさそうなことだけはわかった。


「わぁ、おっきい」


 剣を正面に構える。

 これが例のモンスターか。水場だというのに動物たちが近付かないのは当たり前だ。こいつがいるから池の中にも生き物がいないのだろう。


「どこにこんな巨体が沈んでたんだろうね。水深五メートル以上ないと無理じゃないかな。ってことはこれ、池じゃなくて湖なんじゃないかなぁ?」


 池から離れながら男がのんびりと言っているが、それどころではない。

 モンスターは音も立てずに池――男曰く湖――の中心からこちらに向かってきていた。


「下がってて、シグレくん!」


 はーい、と間延びした声を聞きながら少女は足に力を入れる。

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2025年12月19日 17:00
2025年12月20日 17:00
2025年12月21日 17:00

勇者リタの冒険~伝説の勇者の剣と三百六十五の魔王~ 伊早 鮮枯 @azaco_KK

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