逆タイムカプセル
伊阪 証
本編
作品の前にお知らせ
下記リンクに今後の計画のざっくりした概要が書いてあります。余命宣告の話もあるのでショッキングなのがダメなら見ないことを推奨します。
あと表紙はアルファポリスとpixiv、Noteでは公開してます。
表紙単品シリーズ→https://www.pixiv.net/artworks/138421158
計画周り→https://note.com/isakaakasi/n/n8e289543a069
他の記事では画像生成の詳細やVtuberを簡単に使えるサブスクの開発予定などもあります。
また、現時点で完結した20作品程度を単発で投稿、毎日二本完結させつつ連載を整備します。どの時間帯とか探しながら投稿しているのでフォローとかしてくれないと次来たかが分かりにくいのでよろしくお願いします。
今年の終わりにかけて「列聖」「殉教」「ロンギヌス」のSFを終わらせる準備をしています。というかロンギヌスに関しては投稿してたり。量が多くて継承物語は手間取っていて他はその余波で関連してるKSとかEoFとかが進んではいるけど投稿するには不十分とまだ出来てない状態です。
とはいえこの三部作と諸国民の神を終わらせつつ、あと十作品程度が今月の限界です。
紙の端が、指先にひっかかった。
いつもなら気にも留めない引っかかりなのに、その日は手が止まった。奥に押し込まれていたものが、薄い抵抗だけ残してこちらにずれる。折りたたまれた紙片。封はない。宛名もない。ひとつだけ、文字の輪郭が、折り目の外側からでもうっすら透けて見えた。
息を吸って、吐く。自分の呼吸の音がやけに大きい。
彼女は紙を開く。折り目はきつく、指でなぞると戻ろうとする。紙の繊維がこすれて、乾いた匂いが立つ。文字は丁寧だった。余白を無駄にせず、行の間隔が揃っている。書き出しの位置に迷いがない。
「十年後、俺は君に会えなくて後悔している」
一行だけで、肩がわずかに上がった。驚いたのか、笑いそうになったのか、自分でも判断がつかない。背中の皮膚が冷える。言葉の意味よりも、言葉の形が変だった。今ここにある紙が、時間の先にいる誰かの声みたいに見えた。
彼女はもう一度、同じ行を目でなぞる。読み直しても、文面は変わらない。変わらないのに、指先だけが落ち着かない。紙の端をつまむ力が強くなって、折り目が白く浮く。
何の冗談だろう。そう思った瞬間、彼女の視線が落ちた。
床に、紙がある。
白い。折りたたまれている。ひとつではない。二つでもない。机の脚の影、椅子の下、足元の狭い隙間に、同じ大きさの紙が点々と落ちている。彼女はしゃがむ。膝が床に触れる前に、紙を一枚拾った。指に乗る軽さが同じだ。開く。
「十年後、俺は君に会えなくて後悔している」
喉がひゅっと鳴った。彼女は顔を上げる。床の紙は、拾った分だけ減るはずなのに、減った感じがしない。視界の端に、まだ白が残る。慌てて別の一枚を拾う。開く。同じ。さらに拾う。開く。同じ。内容が同じというより、同じ紙を何度も拾っているみたいに錯覚する。
彼女は自分の持っていた最初の一通に戻る。見比べる。紙の厚み。折り目。インクの濃さ。どれも微妙に違う。違うのに、文面だけが揃っている。
差出人欄を見る。下の方、小さく名前が書かれていた。見覚えのある字。別の紙を見る。名前が違う。さらに見る。違う。違う。違う。学校の中で呼ばれている名前が、次々に出てくる。普段ほとんど話さない相手の名前も混じっている。遠い場所にいるはずの名前まで、ひっかかるように目に入る。
彼女は紙を握ったまま、立ち上がる。立ち上がったことで、視界が広がる。その広がった分だけ、白い紙が増えたように見える。机の周りだけじゃない。床のあちこちに、紙の角が覗いている。
背筋に汗がにじむ。口の中が乾く。唇をなめても戻らない。
彼女は手紙の束を一度、胸の高さでまとめた。まとめても、腕の中からすぐに滑り落ちそうになる。紙は軽いのに、量が重い。重さのせいで指が震える。震えが紙に伝わって、端がささやかに鳴る。
この文面が本物だとしたら、怖い。怖いという感情が、理屈より先に出た。理屈を出さないと、足が動かなくなる。
彼女は目を閉じ、数を数えるように息を整えた。開ける。もう一度、床の紙を見る。あり得ない、と口の中で言って、声にはしない。声にしたら現実になる気がした。
あり得ない。だから、現実に落とす。
これは誰か一人の仕込みだ。
誰か一人が、同じ文面を量産した。名前を変えて、散らした。彼女が拾うところまで計算した。彼女の反応を見たいだけの、悪趣味な遊び。そういう形なら、この量も、この揃い方も説明がつく。説明がつけば、怖さは薄まる。薄まった分だけ、手が動く。
彼女はしゃがみ直し、紙を拾い集め始めた。読まない。読まないと決めて、読まない。折り目を揃えて、手触りだけで束にする。指先に残る感触がひとつひとつ違うことが、逆に落ち着きをくれる。違うなら、誰かが作ったものだ。作ったものには作り方がある。
彼女は一番上に、最初に見つけた一通を置いた。紙の角を揃えた。揃えた角が少しずれて、また揃え直す。その動きが、心拍を一定にする。
束を抱えて立ち上がる。腕にかかる重みが、今の自分の仕事を示してくる。
彼女は目線を前に固定した。
仕組んだのは誰だ。
一人だけだ。
その一人を見つける。今すぐ。今度こそ、ここで止める。
束を抱えたまま動くと、紙の角が腕に刺さった。痛みは小さい。小さいが、刺さるたびに現実に引き戻される。彼女はそのまま歩ける場所を探し、床の紙が少ないところに腰を落とした。
手紙を一枚、床に置く。
もう一枚、隣に置く。
さらに一枚。
置いた瞬間は全部同じに見えるのに、指で触れると違いがある。紙が硬いもの、柔らかいもの。表面がざらつくもの、滑るもの。折り目が強いもの、ふわっと戻るもの。インクが濃いもの、薄いもの。乾ききっている匂いがするもの、微かに新しい匂いが残るもの。
彼女は息を吐いた。吐いた息が少し温かい。温かさで、自分の手の冷たさに気づく。
一人が書いた。そう決めた。決めたから、今はその一人の作り方を探せばいい。
彼女は同じ文面のまま、差出人だけを変える方法を頭の中で並べる。印刷、複写、なぞり書き。だが、紙の繊維の癖まで揃える必要がある。折り方の癖まで揃える必要がある。インクの濃淡まで揃える必要がある。
彼女は手紙を一枚、机の端に当てた。光の角度を変えると、書かれた線の盛り上がりが見える。筆圧が強いところは紙がへこみ、薄いところは空気みたいに軽い。別の手紙を同じ角度で見る。へこみ方が違う。線の入り方が違う。文字の終わりが跳ねる癖が違う。筆先が紙を離れる瞬間の迷いが違う。
同じ文面でも、同じ手ではない。
その事実が、じわじわと胸の奥に沈んでいく。彼女は握った指をゆるめた。紙が音もなく広がる。広がった白が怖い。怖いから、作業に戻る。
彼女は分類を始めた。
紙質で三つに分ける。硬い、普通、柔らかい。
折り目で三つに分ける。きつい、普通、ゆるい。
インクの濃さで二つに分ける。濃い、薄い。
手紙は増えない。増えているように見えるだけだ。そう言い聞かせながら、彼女は黙々と紙を移動させる。指先が紙粉で白くなる。爪の間がざらつく。呼吸は落ち着いてきた。落ち着いてきたぶん、目が細部を拾うようになった。
差出人の名前を見て、手が止まる瞬間が何度かある。見覚えのある字。見覚えのある名前。それに引っ張られそうになる。
彼女はそこで、視線を紙の端に戻した。
名前は今はノイズだ。内容もノイズだ。今の自分が引っかかるものほど、相手の意図に絡め取られる。相手の意図があると決めた以上、絡め取られるのはまずい。
紙の端を見る。折り目を見る。インクを見る。
自分の都合で信じていい情報だけを拾う。
その割り切りが、少しだけ残酷に感じた。残酷さがあるということは、自分がまだ正常だということだ。彼女はその感覚を支えにした。
分類が進むにつれ、奇妙なことが浮かび上がってくる。
同じ文面のまま、字の種類が多すぎる。多すぎるのに、文のリズムは完全に一致している。改行の位置もほぼ一致している。句点の打ち方まで似ている。真似したにしては揃いすぎている。偶然にしては揃いすぎている。
揃いすぎていることが、逆に気持ち悪い。
彼女は一枚、あえて丁寧に読み直した。目で追うだけだ。意味に踏み込まないように、ただ文字の配置だけを見る。
「十年後、俺は君に会えなくて後悔している」
同じ。どれも同じ。揃いすぎている。
彼女は舌の裏に鉄みたいな味を感じた。噛みしめたせいで歯が痛い。痛みは、余計な想像を押し戻すのに役立った。
一人が仕組んだ。そうじゃなかったら困る。困るが、困るだけでは事実は曲がらない。
彼女は分類した山を見渡した。硬い紙の山。柔らかい紙の山。折り目がきつい山。ゆるい山。濃いインクの山。薄いインクの山。そのどれにも、差出人の名前が混じっている。偏りがない。偏りがないということは、作り手が一人だとしても、わざわざばらけさせる手間をかけていることになる。
手間の方向が不自然だった。
ここで彼女は、ようやく自分の最初の方針が間違っていたことを認めた。犯人を探す、という方針そのものが、相手の思うつぼかもしれない。犯人が一人であると決めた瞬間、視界が狭くなる。
狭くなると、見えないものが増える。
彼女は手紙の束を見下ろし、拳をほどいた。紙がふわっと戻り、互いに擦れて小さな音を立てた。音が止むまでの間、彼女は何もせずに待った。待てたことが、自分にとっての合図になった。
犯人探しじゃない。
起点探しだ。
最初にこれを書いた一通。最初にこれを送った一人。そこだけが意味を持つ。そこを見つければ、他がどうであれ、束はただの結果になる。
彼女は最初に拾った手紙を、分類の外に置いた。机の上の、少し高い場所に置く。手の届く範囲に置くが、他の山とは混ぜない。混ぜたらまた迷う。
次に、分類した山をもう一段階だけ絞ることにした。
一番古そうな紙。
一番折り目が少ない紙。
一番余計な癖がない紙。
誰かが最初に書いたなら、そこには無駄が少ないはずだ。無駄が少ないものが、増えたものに埋もれているはずだ。
彼女は指先を鳴らさないように息を止め、最初の一通を探す手の形に戻った。
一番古そうな紙を選ぶと、指先が紙の縁にわずかに引っかかった。黄ばみではない。黄ばみなら均一に変わる。これは、紙の表面だけが少し荒れている。長く空気に触れていたものに出る荒れ方だった。
彼女はその一枚を山から抜き、机の上に置いた。
次に折り目が少ないものを探す。折り目が少ないというのは、単に折っていないのではない。折ったのに、何度も開かれていない折り目だ。紙の戻り方が違う。指が折り目をなぞったとき、抵抗が小さい。
彼女は折り目の抵抗だけを頼りに数枚を集めた。集めた紙を重ねると、端のラインが微妙に揃わない。切り方が違う。紙のサイズが違う。そこに、同じ文面を載せたという事実だけが浮いて見えた。
手の中の紙を一枚ずつずらし、最後に残った一枚を前に置く。
紙が、軽い。
軽いというより、余計な重さがない。紙の端が真っ直ぐで、折り目も必要最低限で、触れたときの紙粉が少ない。乱暴に扱われていない。作業の途中で擦れた感じがない。
彼女はその一枚を開いた。
「十年後、俺は君に会えなくて後悔している」
同じ文面。なのに、胸の奥のざわつきが一段だけ静かになる。意味が刺さるのではなく、刺さり方が決まる。紙の上の文字が、他の手紙と同じではない。字そのものが違うのではなく、線の置き方が違う。文字の最後が揃っている。ためらいが少ない。言い切るように書かれている。
彼女は目線を下へ送った。
差出人欄の名前が、そこにある。短い。見慣れた形。見慣れたのに、今まで見落としていた形。
指が止まる。指先が紙から離れない。紙が熱を持っているわけではないのに、手のひらが温かく感じる。
彼女は息を吸って、吸い切れずに止めた。
一人が送った。それがズレた。ズレた先で誰かが読んだ。読んだ誰かの未来が変わり、未来からまた送られた。増えた。増えた結果がこの山だ。山の中で、最初の一通だけが、いちばん整っている。
整っているからこそ、増殖の起点になった。
彼女は紙を折り直さない。折り直したら、折り目が新しくなる。証拠を削る。彼女はその一枚を両手で挟むように持ち、机の上の他の手紙を視界の外へ押しやった。
押しやった紙が、静かに滑る。音が小さい。小さい音でも、今はうるさい。
彼女は立ち上がった。立ち上がった瞬間に、床の手紙の白が視界に入る。さっきより多く見える。多く見えるのに、もう拾う必要がない。
必要なのは、この一通だけだ。
彼女はその一通を胸の前で押さえ、歩き出した。
迷う方向がなくなると、足音がまっすぐになる。
相手は、そこにいた。
目立つ位置ではない。人の流れの中心でもない。けれど視界の端に引っかかる場所に、いつも通りの距離で立っていた。彼女はそれを、今まで「いつも通り」だと思って見過ごしていたのだと気づく。名前を紙で確認した瞬間に、あの位置は偶然ではなくなった。
彼女は歩く速度を落とさない。落とさないことで自分の心臓の音が追いついてくる。追いついてきた音が、足元から体の奥へ響く。
相手が彼女に気づく。目が合う。相手の表情が一瞬だけ固くなる。固くなるのは、笑う準備ではなく、逃げる準備の前に出る硬さだった。
彼女は紙を突きつけなかった。突きつければ、相手は守りに入る。守りに入った瞬間、この話は未来の言い訳になる。未来の言い訳になったら、また失敗する。
彼女は紙を胸の前に押さえたまま、距離だけを詰めた。相手が一歩引く前に、彼女は止まる。止まっても、目は逸らさない。
彼女は口を開いた。声は思ったより低かった。
「これ」
それだけ言って、紙を少しだけ見せた。文面は見せない。差出人欄だけが相手の目に入るように角度を調整する。相手の視線が紙に落ちる。落ちた瞬間、相手の喉が動いた。言葉が出ないときの動きだ。
彼女は続けた。
「十年後の話はいい」
言い切ると、相手の眉がわずかに動いた。反論の準備の動き。彼女はその準備が形になる前に、もう一言を置いた。
「今、会いに来た」
相手の肩が下がる。下がったのに、手は動かない。逃げる手も、隠す手も出ない。動かないまま、相手は彼女を見る。見られていることに慣れていない目だった。慣れていないのに、どこかで覚えている目だった。
彼女は紙を、相手に渡さなかった。渡したら相手が握る。握ったら、また未来の責任が相手に戻る。彼女は紙を自分の胸元に戻し、もう一度押さえた。
「失敗したのは未来でしょ」
相手の唇が少し開く。やっと言葉が出る気配がする。しかし彼女は、その気配に甘えない。気配を待ったら、また引き伸ばしになる。
彼女は最後を短く言った。
「今はまだ、ある」
言い終えた瞬間、どこかで紙が擦れる音がした。微かな音。彼女は反射的に視線をずらしかけて、踏みとどまる。ずらしたら、また紙の山に戻る。戻ったら、また迷う。
彼女は相手を見続けた。
相手はようやく息を吐いた。吐いた息が、笑いに似た形になりかけて、途中で崩れる。崩れたまま、相手の声が出た。
「……ごめん」
その一言で十分だった。理由を聞いたら、未来の講義になる。講義になったら、彼女はまたあの山に飲まれる。
彼女は首を横に振る。否定ではなく、切り替えの合図として。
「謝らなくていい」
彼女は足元の空気の重さが変わったのを感じた。さっきまで、背中に張り付いていた圧が薄くなる。何かが終わったときの薄さだった。
増え続けるように見えた白が、増えない。
そのことを確認するために、彼女は紙の束の方へは振り向かなかった。振り向かずに分かる程度の変化だった。視界の端が静かになっている。紙の角が風に揺れる気配がない。音がしない。
彼女は胸元の一通を、指で軽く押さえた。紙はそこにある。重さは変わらない。けれど、重さの意味が変わった。
相手が彼女の手元を見たまま、ゆっくりと言った。
「……今度は」
彼女は頷く。言葉を先に取る必要はない。頷きだけで決着がつく場面だ。
「うん」
その返事は短い。短いが、逃げる余地を残さない。
それ以上、白は増えなかった。
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