扉の向こう側
於田縫紀
扉の向こう側
サービス開始して十年ほどとなる、今となっては老舗だ。
内容は『偽りの神によって地獄のような世界に堕とされた人々が、魔物や悪魔、天使と戦いつつ偽りの神と神の国打倒を目指す』というもの。
俺はこのゲームがサービス開始になった大学時代から、ほぼ毎日ログインしている。
このゲームのために生きている、というほど依存している訳ではない。
ただ何となく波長があって、就職した後も続いているという感じだろうか。
ログインするのは仕事が終わって、風呂に入って、軽く食事を済ませた後の、深夜の2時間程度。
そんな感じで、ゲーム世界が俺の日常に組み込まれている。
今日もいつも通りベッドに横になり、HMDをつけてログイン。
何も考えず、マハカドマ・ロードと名付けられた
この
しかし俺にとっては、ちょうどいい散歩道程度の感覚。
何せ10年間、ほぼ毎日この世界にいるのだ。
武器や防具は最強クラスだし、最難関と言われている
もちろんアップデートがあれば、マップも少しは変わるだろう。
ただし『ナラカ・オンライン』の運営は、世界が一変するような大規模な改変は行わない。
そして最後の大型アップデートは、地球側の時間で3ヶ月前で、『ナラカ・オンライン』の時間で約2年前。
だからマハカドマ・ロードについては、裏道的な部分までほぼ全部知っている。
そのつもりだった。
そんなマハカドマ・ロードの第9階層、コキュートスと呼ばれる凍り付いた川が流れる荒野を歩いている時だった。
俺はふと、強烈な違和感をおぼえた。
何だろう。気になった方角を改めて確認してみる。
右側、壁のようにそそり立っている岩山が、違和感の原因だった。
本来は自然に見えている筈の岩肌のテクスチャが、何故か一部崩れて、途切れている。
その途切れた部分に、微妙に周囲の岩肌テクスチャと不整合な感じで、洞窟っぽい穴が見えていた。
テクスチャの崩れも、こんな洞窟っぽいものも、今までなかった筈だ。
ならこの洞窟は新たな通路だろうか。
テクスチャの崩れは何らかの作業ミスだろうか。
検索窓を開いてお知らせを確認。
マップの更新は、この前の大型アップデート以来行われていないようだ。
なら運営が意図していないバグだろうか。
確かにテクスチャの崩れ方はバグっぽい。
しかし中にある洞窟っぽい穴は、しっかり作り込まれたものに見える。
俺は少しだけ考えた後、その洞窟へと近づく。
テクスチャが崩れた場所に触れないように注意しつつ、洞窟内へと足を一歩、踏み出す。
瞬時に周囲の風景が変化した。
周囲は洞窟内の広場といった感じの場所。
背後にさっき俺がいた、凍り付いた川が流れる荒野が見えた。
そして俺の正面には、岩壁に張り付いた扉があった。
青銅製っぽい重々しい、いかにも何かありそうな扉だ。
大きいが、装飾は特にない。それどころか取っ手もない。
開ける方法が不明なまま、ただ閉じている。
近づいた瞬間、通知ウィンドウが開いた。
「この先へ進むと、ログアウトできなくなる可能性があります」
警告ではなく通知だ。
立ち止まって、念の為メニューを開いてみる。
異常はない。
ログアウトボタンも今のところ存在する。
俺は立ち止まったまま、扉を観察する。
残念ながら、見た以上の情報は特に無さそうだ。
それでもこの先に進めば、未知の新たな世界が待っている。
そんな予感がした。
更には何者かに誘われているような気もする。
俺がこの先に進むことを、期待しているような感じも。
それでも俺は立ち止まったまま、努めて冷静に考えようとする。
此処はどういう場所で、今の通知は何を意味しているのだろうと。
ログアウト出来なくなるというのは、どういう意味にとらえるべきなのだろう。
このゲームに囚われたまま、現実に戻れないということだろうか。
それとも雰囲気を重視した、単なる演出だろうか。
それともこの空間はバグで、通知の内容には意味がないのだろうか。
わからない。
でも、それでも。
俺はゆっくりと、後ろへと下がる。
確かに俺はオープン以来、このゲームに入り浸っている。
会社員になってからも、出張だのでもない限り1日2時間はログインしているし、休日は8時間以上入りっぱなしという時もある。
しかし何が起きてもかまわないというほど、俺はこのゲームに全てをかけていない。
あくまでこのゲームは、俺の日常生活の一部。
一部であって、全部ではないのだ。
だからここで、元の世界に戻れなくなる可能性があるなんてリスクをとるべきではない。
三歩下がったところでメニューを呼び出し、スクリーンショットを撮る。
この場所に確かに俺が来たという証拠、もしくは記録と記憶のため。
パシャ。
乾いたシャッター音と、一瞬光ったフラッシュ。
メニューを開き、スクリーンショット一覧にここの風景が残ったのを確認した後、
俺は回れ右をして、洞窟の外へと向けて足を踏み出した。
◇◇◇
その日はそのまま、すぐにログアウトした。
無事に自分の部屋のベッドで横になっていたし、特に身体に変わった事は無かった。
ただ気にはなったので、翌日、帰ったらすぐにスーツを脱いで、ベッドに横たわってログイン。
あの場所へと向かう。
迷うことはなかった。地形も道順も、はっきり覚えていた。
しかし、あの洞窟は無かった。
岩山のテクスチャも自然で、不整合を起こしていたり崩れたりしている面は見当たらない。
あの洞窟も、何処にも存在していない。
何度も周囲を歩き回ったが、見つからなかった。
嫌な予感がして、保存したはずのスクリーンショットを確認する。
ファイルは存在しなかった。
クラウドにも、バックアップにもない。
掲示板を漁ったが、それらしい報告は一つもない。
昨日の状況を書き込んで情報提供を求めてもみたが、意味のある回答は無かった。
更には運営に問い合わせてみた。
こんな定型文が返ってきただけだった。
「お問い合わせの件につきまして、該当するオブジェクトは確認されておりません」
数日後、俺は悟った。
あの扉には、もう出会えないだろうことを。
あの場所やあの扉が夢だったのか、バグだったのか、何者かによる意図的なものだったのかはわからない。
それでもあの扉を通れたのはあの時だけで、そして俺はそれを逃したのだろうと。
それからしばらくして、俺は『ナラカ・オンライン』にログインしなくなった。
何となく波長が合わなくなったと感じたからだ。
そして……
◇◇◇
あの扉のことを私が思い出したのは、それから30年以上後のことだった。
『ナラカ・オンライン。ついにサービス終了へ』
そんな記事を、ネットのニュースで見たのがきっかけ。
そういえば、何故毎日ログインしていたあのゲームを辞めたのだろう。
そう考えて、そしてあの洞窟と扉のことを思い出したのだ。
私はあの時、先へと進めなかった。
そのことに後悔はない。
決してその後が順調だったとか、楽しいことばかりだった訳ではない。
特に成功した訳ではないし、生活水準もごくごく中流程度。
それでも私が辿り着いた今は、そう悪いものじゃないと感じているから。
それでも私は、思いをはせてしまう。
今此処にいることは、間違っていないと判断している癖に。
もしあの時進むことを選択していたら、どうなっていたのだろうかと。
もはや辿り着くことが出来ない、未知のままで終わってしまった可能性と、その先に対して。
扉の向こう側 於田縫紀 @otanuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます