献花
坂本懶惰/サカモトランダ
献花
未知。例えば、桜の木の下には、どんな未知が埋まっているのか、という問いを考えよう。
ここで、考えるべきものは未知でなければならないので、埋まっているそれは、桜の木の下という状況と、あらゆる関連付けが「なされない」ものでなくてはならない。例えば、あの有名な掌編によって、死体はその関連付けの最たるものとなったので、ゆえにか、死体がここに埋まっているということはありえない。死体が埋まっているのなら、それは想像のつくことであって、それは新しい未知とは言い難い。
とりあえず、私は未知でないものを挙げて、この文学部の部室の床に広げた模造紙に、書いていく。埋まりきらないようにと、小さい文字で書いていく。それを挟んで向かいには、あなたがいる。どことなく吟遊詩人を思わせる座り方で、擦り切れた文庫本を読んでいる。開け放たれた窓から吹き込む春風によって、模造紙がめくれそうになるのを、あなたはそこに文庫本を置くことで解決した。それ以来、あなたは遠くを見ている。あるいは、窓の外の桜を見ている。まさに今、満開になろうとしているそれの、しかし既に散り始めた花弁の渦を見て、じっと呼吸をしている。
先週、先輩方の卒業式が終わった。これから私たちは、成長期の歯のように、生え変わった上級生となる。とはいえ永久歯になるつもりはない。一生を高校生として過ごすのは、なんとも愉快そうではあるけれど、それと同じくらいに、開かれた未来というものに期待をしている。
とりあえず、再来週から、この文学部は私の手中に落ちることになる。先輩方の私物(その多くは、何のキャラクターともわからない大小様々なぬいぐるみである)で満ちていた本棚には、やっとまともに本を置けるようになる。書架は書架としての自覚を取り戻すだろう。あなたは、図書室に足繁く通うので、金のかからない奴ではある。よって、部費のすべては私のものだ。新年度、開幕から買いまくって行こう、とくだらないジョークを考え、それが口をついて出る。あなたは、確実にそれを聞いているのに、反応する素振りも見せない。
部室は、これから古本で満たされるであろう狭い部室は、その革命にも似た激しい嘔吐を耐え抜いて、今となっては、信じられないほど広く感じる。二人で隅々まで掃除したので、埃のひとつも残っていない。と言っても、ほとんどは几帳面なあなたがやっていたのを、私は机に乗っかって足をゆらゆらと揺らしながら見ていただけであるけれど。
先輩方には、いい人も悪い人もいた。けれどこうして私たち二人だけになってしまうと、寂寞とした感傷に襲われる。遠くの音がよく聴こえる。後輩はいないので、私たちがこの文学部の最後の代となるのだろう。
そんなことを考えて、「埋まっていないものリスト」は着実に埋まっていく。死体、タイムカプセル、ビール瓶や空き缶、肥料、陸に打ち上げられた、かつて花筏だったもの、クラスで飼っていた何らかの生物の遺骸、と書いていく。いや、ペットの死骸は死体のうちに入るだろう、と、あなたが訂正する。私は、それもそうか、と納得し、その項目を二重線で消す。そして書き続ける。不発弾、王家の墓、モンゴリアンデスワーム、あるいは、何らかの密輸のための待ち合わせ場所となっており、末端価格で数千万の違法薬物が埋まっていてもおかしくはない。
というか、埋まりうる物質のすべては、桜の木の下に埋まっていたとておかしくない。たとえ、それが月や太陽であったとしても。
と、私は身も蓋もないことを口走る。
あなたはそれを聞いて、長く溜息を吐く。メガネを押し上げて、では、何なら埋まっていないのか、と静かに私に問いを投げた。
私は、非物質的なもの、例えば、感情。と答えた。例えば、初恋だとか。
あなたはじっと私の目を見ている。それは懐疑とも好奇とも、あるいはもっと他の、しかしなんら複雑ではない、あるひとつの名状しがたい感情を湛えていた。その真剣さが、私には急に気恥しく思えて、もう、と、あなたの左肩をばしばし叩く。あなたはくるりと背を向けて、なるほど、しかし、それはそれで埋まっていそうなものだ。と言う。
確かに、桜の木の下という環境で発生したすべての出来事は、記憶となってその地面の下に堆積しているのだろう。あー、ダメかー。そんな私にまた背を向けて、あなたは窓の外を眺めている。眺めているように見える。そのじつ、あなたが何を見ているのか、それは明確に、私にとって未知だった。そして、それをもっとよく知りたいと常々思っている。そんな自分の感情に、私はまだ気付いていない。
少し、外の空気を吸いに行こう、と、あなたは私の手を引いて、桜の木の下へと連れ出した。それは唐突なことで、私は少々混乱しながらも、引っ張られるままに歩き出した。
踵を踏んだままの運動靴で、私たちは桜の木の下、その幹に、それぞれ反対からもたれかかって、ちょうど背中合わせのような構図になる。そうして他愛もない二三の言葉を交わして、あなたは、ちょっと微笑んだ。
そして、桜の木の下に何が埋まっているのか、実際に掘って確かめればいい、と言った。それもそうだ、何かが出てくれば、もちろん面白い。何もなければ、それはそれで納得がいく。校庭のはずれにある体育倉庫に入り込んで、ラインカーや綱引きロープには目もくれず、真っ直ぐに大きなシャベルを盗み出す。
桃色の樹冠の下へと戻って、私たちは交代でその根元を掘り返していく。その単純な重労働の最中にも、穴には花弁が舞い落ちていく。まだらの薄桃色が、無情にも土と混ざって汚れていく。穴はやがて、十分な深さに達した。これ以上掘り続けるのは、ふたりの貧弱な文学部員には難しいだろう。
なーんだ、結局何も埋まってないじゃん。
と私は言った。額に滲んだ汗を手の甲で拭う。軽く息が切れて、その場でしゃがみこむ。
そして、あなたは言った。
やっぱり、桜の木の下には、死体が埋まっているべきだ。
と。
その声は、何と形容するべきか、静かな興奮や、それとも惜別の悲哀、そして、朝の始めの始めにかけられる、おはようという挨拶にも似た調子だった。
あなたは背後から私の頭にシャベルを振り下ろし、私はその一撃を受けて、ごとり、と倒れる。元々しゃがんでいたので、倒れるというよりかは転がるという方が近いだろう。彼は、意識を失った私、あるいは一瞬で絶命した私を抱き抱え、さっきまでふたりで掘っていた穴へと、静かに横たえる。
桜の木の下には、やっぱり死体がよく似合う。
とあなた独り言ちる。そして、こうも言う。
君は、ここに初恋が埋まっているだなんて宣ったけれど、それは、案外、間違いという訳でもなかったのかもな。
その言葉は、私には届かない。
なるほど、未来は知ることができない。いつ私の人生が終わるのか、いつ文学部が消滅するのか。ちょっと前まで知ることの叶わなかったそれらは、思っていたよりずっと早かった。文学部も人生も、ややこしい友人関係やまだ参考書を買っただけの受験勉強も、そして何より、青春も、思っていたよりもずいぶん早く終わってしまったなあ。
未だ知られざる過去のもの、と書いて未知。
あなたが何を考えていたのか、なんて、考えてもずっとわからなかった! まさか両想いだったなんて知らなかったし、しかもあなたが私の気持ちに気付いていないとは!
それとも、これが成就してしまう恋だとわかっていて、それでもなお、いや、だからこそ、この終わり方を選んだんだろうか。あなたは変な人だから、それもまた、ありそうな話だ。真意は、終ぞわからないままであった。
今はまだ知ることの叶わない未来のこと、と書いて、未知。
あの日、これから何があの桜の木の下に埋められるのだろうか、なんて、そんなことは考えもしなかった。まして、まさか自分が埋められるなんて!
挙句、こんな終わり方に妙に安心している自分がいる。というのも、また、昨日の私にとっては未知そのものだったであろう。普通に生きていたら、死ぬまで知ることのない安寧だったんじゃないか、とさえ思う。
けれど、そんなことたちは、一瞬でシャットダウンされた私には、最期まで未知のままであった。
だらしなく踞るような姿の私は、ふたりで掘った穴に、ちょうどよく収まっている。
あなたは私の、凍えた身体に土をかけていく。
春風の代わりに、と、土をかけていく。
桜が、そのうえに徒花を手向ける。
桜の木の下には、死体が埋められている。
献花 坂本懶惰/サカモトランダ @SakamotoRanda
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