#SNS学園 教祖の子、インフルエンサーになる

愛良絵馬

一本目・フォロワー獲得1WeekVS

第1話・boy meets girl

 入学初日。

 俺は未来永劫続くのではないかと思われるほど、長い坂道を登っていた。

 ここが普通の高校だったら、『心臓破りの坂』と命名され、毎朝野球部や吹奏楽部の部員たちが、汗水、時には嘔吐を流して駆け上がっていくのではないだろうか。

 しかしここ、未来創造インフルエンス学園ではそうはならない。

 登校初日のインフルエンサーの卵たちが、自撮り棒やGoProを片手に坂道を楽しそうに後ろ歩きしていく。

 ……って、なんだよこの光景。

 目の前に広がる異様な現実を、改めて観察する。

 茶色、金色はもちろん、赤に青、派手な髪色の生徒たちが多い。そして、その派手な髪色に負けない顔立ちをしている。はっきり言うと、顔良すぎ。どいつもこいつも美男美女だ。

 うっすら記憶に残る地元中学と比較してみると、学年1可愛いと言われるようなレベルがゴロゴロいる。偏差値で例えると、60を軽く超えているということか……?

 思わず、自らの頬に手を当てる。至極平々凡々な、なんなら若干濁った瞳を思い出し、少し背中を丸めてしまった。

 そんな奴らが、後ろ歩き。つまりは、遥か彼方に見える学園の入り口を背景に動画を撮影している。

 Live撮影かもしれない。そう思うと、迂闊に背後を横切れないし、くしゃみやおならをしてはいけない、と妙な緊張が走る。

 特殊な教育をしている特殊な学校だということは分かっていたが、我ながらやばい所に入学してしまったのでは……? この調子では四六時中、ずっと妙な緊張感を味わわなくてはいけないかもしれない。

 天かける竜のような、自由な生活を追い求めてここにきたのに、早くも暗雲が立ち込めてきた瞬間だった。


 ひらりと、前を歩く少女から、何かが地面に落ちた。


 反射的に、それを目で追う。

 ゲジゲジ⁉︎

 

 桜の花びらの上に落ちた、細長く、黒く、ふさふさとした物体に身がすくむ。

 一歩後ずさり、まじまじとそれを見てみると、生き物ではなかった。

「…………これ、『つけま』か?」

 しゃがんで、動かないことを再度確認し、物体をつまみ上げる。

 半月型の土台に、ふっさふっさと黒い毛がたくさん生えている。うん、間違いなくつけまつげだ……。

 拾ってしまったつけまつげをつまんだまま、歩き出す。

 先ほどの少女の背中は、前方に見えていた。少し駆け出せば、すぐに追いつくだろう。

 だがしかし。

 目の前の少女を観察する。

 艶やかな白のような、銀のような髪が、腰のあたりまで伸びている。この学園らしい、派手な髪色だ。

 特徴的な柄のスカートから、スラリと伸びる足は白く細い。長い髪から見え隠れする腰も細い。

 後ろ姿からでも分かるほど、スタイルが良い少女だった。豊かな白髪と相まって、まるで白百合のようだ。

 そんな初対面の少女に対し、落としたつけまつげを手渡す……?

 半目になりながら、その状況をシミュレーションしてみる。

『すみません……。あの、これ落としませんでしたか?』

『あ! 私のつけま! 何触ってるの、キモすぎ!!!』

 脳内でイケイケの少女に罵倒され、グサっと小心なハートが傷つく。心を落ち着けようと、永遠誦唱えいえんえいしょうを唱え始めた口元を、慌てて右手でふさいだ。

 俺は、こんなものに縛られない俺になるんだ! 固い決意を思い出し、力強く拳を握った。

 そう、変わる。変わるんだ。

 握りしめた拳をそのまま、走り出す。

「すみませぇん! そこの、白い髪の人!」

 少女が立ち止まり、振り返った。

 息を呑んだ。

 可愛い子だろうと予想していたが、その美しさは想像を遥かに超えていた。パッチリと開いたエメラルド色の瞳は、宝石のように輝いている。彼女が振り返ると、白銀の髪が軽やかに舞い、その中に桜の花びらがちりばめられたかのように見えた。まるで一枚の絵画のようだ。

「…………えっと?」

 短い沈黙のあと、少女がふっくらとした愛らしい唇を開いた。たった3文字の、フルートのように澄んだ声が空気を揺らす。

 少女の規格外の可憐さに、とぎまぎしながら右手を差し出す。

「ほら、これ! つけまつげ! 落ちてきたんだけど、君のじゃない?」

「あっ……」

 少女は、何かに気がついた顔をして、俺の顔をじぃっと見つめ始めた。

 ……え? なんで? 見るのは普通、差し出した右手じゃないの?

 見つめられ続け、居心地が悪くなり、視線をそらす。そらした視線の先に、右手のつけまつげがあり、気になって顔を上げた。

 少女はまだ、俺の顔を見つめ続けていた。どこか遠くを見るような目だ。そんな彼女の左目と右目を比べると、なるほど、どこかアンバランスだった。

 答えを知っているから一目瞭然だ。左のまつげに、明らかにボリュームが少ない。

「きゃぁ!」

 俺の視線に気がついたのか、少女が悲鳴を上げて、片膝でしゃがんで左目を押さえた。

 うむ。

 白髪碧眼の少女がする姿勢として、120点をあげたい。厨二病心くすぐりすぎ。

「あ、えっと。あ、ありがとう。あ、あははははは〜! 今日の入学が楽しみすぎちゃって、実はうまく眠れなかったんだよねぇ。それで、ぼ〜っと起きたら遅刻スレスレで! 慌ててたけどメイクもヘアセットもできて、完璧って思ってたんだけどなぁ」

 真っ赤な顔で、早口でまくしたてられた。そのまま、ひったくるようにつけまつげを受け取る。つけまつげを片手にどうするのかと思いきや、少女は制服のポケットから小さな手鏡を取り出して開き、

「えいっ!」

 丁寧に、右のつけまつげを取り外した。丁寧にハンカチで包み、手鏡と一緒にポケットにしまっている。

 驚く俺を見つめて、どこか照れくさそうにしながら、

「ほら、左右のバランスってめっちゃ美人度に影響するっていうじゃない? あたしってべつに、すっぴんでも美人だしっ!」

「は、はぁ……」

 声をかけた時の勢いは消え、コミュ障らしく、美人の言葉に圧倒される。

 少女は慌てたように、

「いやいや、そこは自分で美人っていう? っとか突っ込んでよ! なんか痛い人みたいじゃん」

 と言って、しゃがんだ姿勢のまま、上目遣いに俺を見つめた。

 しかし、つけまつげを失った少女の顔は、やはり美人だった。メイクをしていない方が魅力的だと判定する人も多いだろう。だから、反応に困る。それから、視線にも困る。

 少女のワイシャツはなぜか胸元が2つも3つも開いており、角度的にちょっとブラジャーまで見えていた。……胸、結構でかいな。

「……! もうっ!」

 再び俺の視線に気づいた少女が、シュバっと素早く立ち上がった。彼女の瞳はより一層鋭く、強気なカーブを描きながら、こちらを睨みつけるように見つめてくる。

 沈黙が訪れる。

 な、なんなんだ……? 謝罪待ちか……? いやしかし、謝ってしまえばこちらに非があるとを認めるようなものだ。すなわち、勝手におっぱいを見つめて、あなたを視姦していましたと白状したも同然。

 入学初日から、インフルエンサーの卵である少女に、そんな誤解をされてはどうなるのか。想像しただけで身震いがしてくる。

 俺は、自由な生活を求めてここにやってきたのだ。その自由の崩壊がこんなのっけから、しかも自らの親切心によって引き起こされるなどあってはならない。

 俺は強気に、こちらにやましいことなんてありませんと、少女の緑色の瞳を見つめ返してやった。

 沈黙のまま何秒も、何十秒も過ぎていく。

 それからようやく、少女が観念したように小さく言った。

「……あたしのこと、わからない?」

 あっと、息を呑んだ。

 背中へすぅっと冷や汗が流れる。と同時に、あたりを見回した。自撮り棒片手に登校していた生徒はどこへやら。気がつくと、俺たちは注目を集めていた。

 しかも、ちょっとやそっとの注目ではない。数十人の生徒が足を止め、遠巻きに俺たちを囲んでいる。こちらにスマホを向けているものまでいた。

 俺たちと言ったが、注目の中心は明らかに、白髪の少女の方だった。女子生徒達が、指を差し、きゃあきゃあと騒いでいる。目は完全にハートだ。

 俺は改めて、少女と向き直った。白髪。緑目。特徴的な容姿だが、全然ピンと来なかった。

「……わりぃ。俺、あんまりSNSは見ないんだ」

 こんな学園に入学しておいて、場違いも甚だしい告白だった。

 少女は俺の言葉に、ポカンと口を開けた後、慌てて口元を押さえて——


 瞳いっぱいに、涙を溢れさせた。


「は?」

 ほうける俺の前で、少女は次から次へと大粒の涙を流し、桜の花びらの上に落としていく。

 その様子を見ていた取り巻き達から、悲鳴のような歓声と、カメラのフラッシュがたかれていく。

「え、え、え、え、え⁉︎」

 慌てふためく俺の前で、少女は涙を止めようと、必死に袖でそれを拭う。

「ご、ごめっ、ごめん、ね」

 嗚咽の中で、少女は笑っていた。悲しみを堪えて、無理をして笑っていた。

 その表情に、どうしようもなく、心がざわめいた。

 どうにかしてあげたいのに、何もできることはなかった。

「あたし、佐々木鈴蘭。みゅげってアカウント名で活動してるの。よろしくね!」

 大輪のような笑顔を浮かべるが、涙はまるで止まってはいなかった。そのチグハグな表情を浮かべたまま、佐々木鈴蘭と名乗った少女は手を振った。

 そして、背中を向けて駆け出していく。心臓破りの坂などものともせずに、颯爽と。

 後に残された俺は、呆然とその背中を見送る。

 …………今の、なんだったんだ?

 ぱしゃっと、カメラのシャッター音で正気に返った。ハッとあたりを見回すと、鈴蘭目当てにカメラを向けていた取り巻き達が、今度は俺にカメラを向けていた。

 再び、冷や汗が湧き出る。入学初日なのに、ワイシャツが湿っぽすぎる。

「っく」

 カメラから目を背けるように視線を下に向け、駆け出す。

 ぜえぜえ言いながら坂道を駆け上る、散々な登校初日だった。

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