芥川龍之介の小説『河童』に、河童による「可笑しい」出産が描かれます。
胎内で赤子が意識を目覚めさせており、父が「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」と問います。赤子は「僕は生れたくはありません」と答えます。すると赤子は堕胎されます。
事前に「生まれたいか?」と問われたならば、生まれていなかった。両親の勝手により産み落とされた。その物言いは、(河童ではない)人間社会では倫理を侵す最悪の暴言とされますが、精神を病んで自殺した芥川龍之介が生前に残した本音に思われてなりません。言い残すには手紙でなく架空の小説として書く必要がありました。消されないように。
生命の進化により人類が誕生して以来、全ての人が生まれてよかったと思える社会を築くことに成功した時代はありません。生まれてこなければよかったと思う人にいかに接するか、自分が捨てられたと知ったときにいかに振る舞うか、この二つの問いは消えません。そして、絶対多数の幸福を実現できたとき、極少数の捨て駒とされた人達が堕ちる闇は暗さを増すというパラドックスを抱えていて。
本作で、影の主役達が陥った事態は凄絶です。生半可に生きている私達から見て、彼らが社会を恨むことは当然と感じられます。では、極少数の彼らが納得したいがために、絶対多数を不幸に突き落とすことは許されるでしょうか。
数十人を救うために一億人を突き落とす「奇妙な」トロッコ問題は実行を許されるでしょうか。
そうしなければ浮かばれない数十人に生まれたと知ったとき、貴方は実行を思いとどまれますか?
厳しい題材を扱うには、厳しい覚悟が必要とされます。本作を貫く、厳格な記述、広範な背景知識、暴力的政治思想を描きつつ穏健な思想の軟弱さと準備不足を指摘する視点、それらにより堅固な基板を形成して、一般市民を巻き込む犯罪が絶対悪でありつつも否定しきれないことを述べます。「犯罪」と呼ぶことが既に傲慢とも指摘して。
本作を読み、心を痛めたり涙を流したりするうちは、私達は救われています。
涙が涸れ、心が凍てついた、その先に何を選択しますか。貴方ならば。
集団の愚かさと救いがたさの物語です。
〝こども未来計画〟
そう呼ばれる計画が策定された未来。
日本の少子高齢化を解決するための法律。人口増加促進法が制定された日本の話です。
そこで同法に従い、代理母により産出された者を〝未来児〟と呼び、期待とともに蔑視した社会が作品の舞台となります。
歪んだ政策が呼び起こす悪意と怨念が織りなす群像劇は読む者に問いかけます。
倫理とはなにか。許されるざることとはなにか。人はどれほど他者に無慈悲になり得るのか。
古来より、複数の奴隷を巧く扱う方法として用いられて来た方法があります。
奴隷のなかに序列をつけることです。
しょせんは同じ奴隷。
なのに些細な違いで奴隷は互いを憎み合い、その憎悪は奴隷の主人には向かわなくなるのです。
群れで生きる動物である人の習性なのでしょう。
常に群れの順位を決めたがる。
本編の未来児の境遇をみると、作中の世間は国民たちは、未来児を虐げても良い者。
蔑ろにして良い者と早々に決めてしまったような印象がありました。
そんな社会はディストピアです。
構成員自らが作る自らの地獄です。
そこに未来児は生きて、そして決心するのです。
いずれこの国、日本と戦争をすると。
決別と分断の物語でもある本作。
しかし、物語ではないかもしれません。
未来児はいないとしても。
境遇や格差、世代や階層の間で個別化と分断の起きる亀裂は、もう見えているのですから。
ほら、あなたの周りに蟠りはありませんか?
見えていない、だけではないですか?
未来で起こりうるかもしれない「もしも」の可能性。
人間心理というか、社会における集団の反応というものを考えた場合、「条件が揃えば同じことは確実に起こるんじゃないか」と読んでいてヒリヒリとした気持ちを味わわされます。
とある施設で襲撃事件が起こり、中にいた人々が大勢被害に遭う事件が起こる。
施設は「未来児」と呼ばれる、「国に施策の結果として生み出された子供たち」が暮らす場所となっていた。
本作ではそういった施策がどのようなもので、どういった経緯で実行されるに至ったか。そして襲撃者の正体や、被害に遭った子供たちの「その後」について触れられていくことになります。
「未来児」のような存在が生み出されることは、少子化などが問題視されている今の世の中だったら、本気で政府が「施策」として取り入れることもありうる。
でも、それを実行してしまった場合、人間感情としてどうしても本作で語られているような未来が作られる可能性があると感じました。
「人間の中に、『別種の人間』が作られてしまったら?」
異分子の排斥、自分と異なる人種への偏見や嫌悪。それは人類の歴史の中でも繰り返されてきたこと。
そうした中でまた別種の「自分たちとは違う存在」が生まれたら、一体どうなるか。
人間というものの業を掘り下げつつ、「起こるかもしれない未来」が描き出された、とても真に迫って来るモキュメンタリー作品でした。
先ず初めに、この作品の衝撃は今までに
類を見ない程に 現実 への危惧を
孕んでいる。それと同時に、今迄コメディ
寄りの短編やホラー、人情味溢れる壮大な
SF、何処かの国の感動的な擬史…そして
深く考察させられるミステリー、優しさ
溢れる人間ドラマを書いて来た作者の、
敢えて 心 を殺して挑んだ
社会派SFホラーである。
そう遠くない未来の日本で。少子高齢化は
更に加速する。時の政府の方針として
『人口増加促進法』なるものが施行され
政府主導で『子ども未来計画』なるものが
実行に移される。
机上の空論で為された施策は後々に
破綻するも、不自然な理論の下に生まれた
『未来児』達は、国民からの理不尽な
悪意に晒され続け…。
遂に決してあってはならない 悲劇 が。
それは世間を震撼させたものの、理不尽な
悪意の連鎖は深い絶望感を伴って二十年後
更なる 事件 を巻き起こす。
熱意に満ちた女性記者、事件の真相を探る
警察官、当時を知る者達の様々な供述に
かつての悲劇が、全く別の 貌 を得て
甦って来る。
そこに、答えはあるのか。
救い はあるのだろうか。
物を書く、という 意義 を持つこの
作品を。そして、作者渾身の執筆と勇気を
心から讃えたい。
故に、
決して目を逸らしてはならない。
何故ならばこれは
我々の 現在 であり 未来 にも
なり得るのだから。