その異世界人は「にゃー」と鳴く。
石動なつめ
1
この世界には時々、違う世界から何者かがやって来る。
便宜上『異世界人』と呼ばれている彼らは、私たちと同じ人の姿をしている時もあれば、まったく違う獣の姿をした生き物の時もある。
そして今回は『獣』の方だった。
白くふわふわとした毛並みをして、私の両手で抱えられるくらいの獣だ。
「にゃーん」
獣は空中に出現した異世界を繋ぐ魔法陣の中から現れた。
そして地面に軽やかに着地をしたと思ったら、くりくりした青い瞳で私を見上げて、妙にかわいらしい声でそう鳴いた。
これまでの人生で遭遇したことのないまったくの未知の生き物の登場に、私は緊張しつつ口を開く。
「こんにちは」
「にゃーん」
挨拶をしてみたが、返ってきたのはそんな言葉だ。どうやら言語形態は違うらしい。
獣の姿をしていても意志疎通が可能な場合があるのだが、今回は出来ないパターンらしい。これは困った。
「これでは名前も呼べないではないか……」
「にゃーん」
獣は再びそう鳴いた。何を言っているのか分からないが、私の言葉には反応をしてくれているようだ。
恐らく意味は通じていないだろうが、人懐っこい顔でこちらを見上げる獣の様子から、友好的な種族なのだろうと推測する。狂暴な相手ではなくて良かったと私は胸を撫でおろした。
私も魔法使いの端くれなので対処は可能だが、呪文を唱えている間に攻撃を受ければ無事では済まない。異世界人と遭遇して命を落とした前例もいくつか存在するのだ。
「にゃーん。にゃーおーうー」
そんなことを考えていると、獣は私の脚に体を擦りつけ始めた。
獣はごろごろと喉を鳴らしながら、私のズボンを獣の毛塗れにしていく。
先日新調しばかりの、履き心地の良い黒色のズボンがあっと言う間に白黒である。
「これは……もしやあなた方流の挨拶か?」
「にゃ!」
返事があった。
……いや、もしかして私の言葉を理解しているのか?
先ほどは言葉も言葉の意味も通じていないと思ったが、それにしては反応がある。
お互いに言語形態が違うのに意味は通じているとなると、この獣は恐ろしく知能が高いのだろう。
私は軽く慄いて、ごくりと唾を飲み込んだ。もしも失礼を働けば、どんな仕返しが待っているかと想像したのだ。
最悪の事態が頭を過る。この獣に食いちぎられ、無様に荒野に転がる自分の姿を想像し、私は身震いした。
それを回避するために私がするべきことはやはり挨拶だろう。何事も最初が肝心だと、魔導塔の教官も言っていた。
私は獣に「失礼」と断りを入れると、その体を両手でそっと持ち上げた。
……何だこのふわふわは。何だこの温もりは。
想像以上の触り心地の良さに、獣を持ち上げたままの態勢で私は固まった。
「みゃーん」
その間、獣はゆらりゆらりと尻尾を揺らしている。
どうしたの、とでも言っているように首まで傾げていた。
獣のその動作に、私の胸の中にこれまで抱いたことのない感情が湧き上がってきた。
「かわいい……」
そう『かわいい』だ。
この世界の獣とはまったく違うふわふわさ、やわらかさ、円らな瞳、そしてその愛らしい声……そのすべてが「かわいい」に繋がっている。
……違う。そうではない。私が今すべきことは、獣のかわいらしさに目を目を奪われることではなく、友好関係を示すために挨拶をすることなのだ。
私は自分にそう言い聞かせると、獣の体に吸い寄せられるように顔を近付けた。そして顔を擦りつけて――……。
「ふわふわ……」
——陥落した。
まるでうららかな春の日差しに包まれているような、そんな心地良さを感じてしまった。もう駄目だった。
この未知の生き物は、確かに私へ危害を加えてはこない。
しかし、それよりももっと恐ろしい魅了の魔法を使いこなしていたのだ。
長年魔法と共にある私だが、この獣がいつ魔法を使ったのか見抜けなかった。もしかしたら自動的に発動する魔法だったのかもしれない。
「にゃーん!」
獣は術中にはまった私を見ながら、楽しそうな声で鳴いている。
最初は恐怖を覚えたが、獣のその様子を見たら、負の感情などあっと言う間に霧散した。
この獣のために何かしたい。
私の胸に残ったのはそんな使命感だけだった。
もはや魅了の魔法を解こうなどという考えも消え失せてしまっていた。
「……腹が減っていないか?」
「にゃう!」
「そうか。では何か食べに行こう」
私はそう言うと、獣を大事に腕に抱いたまま歩き出した。
これが私が未知の獣の下僕となった日の出来事である。
その異世界人は「にゃー」と鳴く。 石動なつめ @natsume_isurugi
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