寓話 エーアイという魔物

尻鳥マーサ

酒宿オンドリ亭の新しい従業員

『従業員募集

 厨房と帳簿の手伝い

 週の賃金 銀貨6枚

 賄いつき 住み込み可

 生活魔法使い歓迎』


「こんにちは。おもての張り紙を見ました。私を雇っていただけますか」


 ミルミは口をぽかんと開けました。

 聞きなれない丁寧な物言いだったからでした。

 客の荒くれ冒険者どもと違い過ぎて、少し驚いてしまったのです。


「ご主人さまーっ! 希望者が来ましたよ!」


 気を取り直した看板娘の呼びかけに、店の奥から壮年の男が現れました。


「おう」


 使っていた手ぬぐいを太い首にかけながら、亭主は青年をジロリと見ました。


「線の細いヤツだな。まあいい。お前さん、名前は?」


「ジェミクと申します」


「よし、ジェミク。皿洗いはできるな」


「私が他にどんな能力があるのか確かめないのですか。出自や経歴は気にならないのですか」


「とりあえず動け。俺は忙しい」


 こうして青年ジェミクは、酒宿オンドリ亭の従業員となったのです。


 正体不明のままで。




 ジェミクは何をやらせてもでした。


 汚れきった厨房はあっという間に新築の輝きを放ち、たまりにたまった帳簿はひと晩で片づけられました。彼は給仕としても一流で、荒くれ冒険者の客たちにもその丁寧な物腰で、すぐに溶け込みました。


「あんたがジェミクか。どこから来たんだ」


「王都からです。前の雇い主からクビになりましてね」


「おやっさんに見込まれるたあ、お前さん、たいしたもんだ。ほれ、チップ」


「それはミルミさんにあげてください。私には不要ですので」


https://kakuyomu.jp/users/ibarikobuta/news/822139842239630642


 もと傭兵の亭主は腐り切った人間を見分けることが(そうなりそうなヤツも含めて)得意だったので、決して悪人には見えないジェミクを信用していました。


 ただ。


 亭主にはひとつだけ、気になることがありました。


「おやっさん、ネズミ穴を塞いでおきました」


 客の冒険者たちの真似をして亭主に呼びかけるときも。


「おやっさん、このスープは隠し味のベラドンナが効いて、とても美味しいですね」


 賄いを褒めるときも。


「おやっさん、ダンジョン用の弁当を売ったらどうでしょう。お客様に喜ばれると思いますよ」


 様々な提案をするときも。


 ジェミクはそつなく仕事をこなしながら、いつも笑顔でしたが、いつもその目だけが笑っていなかったのです。




「なあ、あいつのこと、どう思う?」


「ジェミクのこと? あの人、なんでもできますよね。ちょっと知ったかぶりして間違うときはあるけど、悪い嘘はつかないし、それに……」




 ミルミは今朝あったことを思い出しました。


 出勤したとき、ジェミクはひとり厨房で皿を修理していました。割れた皿はトレント樹液から作られる接着剤で継ぐことができますが、ちゃんと接着するまでは、手で押さえなければなりません。そして積み上げられた修理済みの皿の数は、ジェミクが長い時間作業していたことを物語っていました。


「ジェミク、ひょっとして徹夜したの?」


「はい。しました」


「どうして、そこまでするの?」


「誰かのために働くことだけが、私の…… いえ、私がそうしたいから、しているだけです」




「……働き者ですよね。これでご主人さまがひとりになっても、私は安心です」


「何度も言ってるけど、その『ご主人さま』ってのはよしてくれよ。お前の本来の雇い主は特職ギルドだろ」


「でも、ケジメですから」


 ミルミは亭主が特職ギルドから借りている派遣特職です。

 昨年、世論によって言葉狩りに遭うまでは、『特職』は『奴隷』と呼ばれていました。


 異世界『ニホン』の『ぶらっくキギョウ』のような実態は変わらなくても、言葉だけが変えられたのでした。奴隷の証、革の首輪もそのままに。


 弟の学費を稼ぐために自ら特職に堕ちたミルミでしたが、もうすぐ契約の年期が明けます。  

 ジェミクは、ミルミの替わりになるようにと雇った従業員だったでした。


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2026年1月1日 18:18

寓話 エーアイという魔物 尻鳥マーサ @ibarikobuta

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