知らない世界で俺は名前を失った

野林緑里

第1話

少年が目を覚ますと周囲が木々に囲まれた場所だった。どこにでもありそうな山道なのだが、なにかが違う気がしてならない。


だからといって都会生まれの都会育ちである少年が山に訪れたことがあるかといえば生まれてから16年の中でほんの数回程度。ゆえに日本のあらゆる山は未知の世界そのもの。


なにかが違うという感覚はおかしいことのように思えた。


少年はすくっと起き上がると、自分の状況にただ戸惑うばかりだ。なぜここにいるのか。さっきまで都会にいたはずだ。


それなのになぜ見知らぬ山のなかで自分は倒れていたのか。少年は必死に記憶を探るもはっきりとした答えは出ない。


ただ横断歩道を渡っていると蛇行している車が自分の方へと迫ってきたシーンだけだ。


「あっそっか。俺、車に跳ねられて死んだのか」


その言葉とは裏腹に少年の口調はどこか冷静だ。


冷静?  


いや違う。


「えええええ!!!」


そう悟った瞬間、少年は悲鳴を上げた。


「うるさいなあ。何叫んでんだよ」


すると、何かを手に持った少年が近づいてきた。その服装はあきらかに自分たちが着るようなものではない。ゲームの世界に存在しそうな服装だ。



「……誰だよ、お前」


叫び声を上げた少年は、近づいてきた少年を警戒するように睨んだ。だが相手は気にした様子もなく、手にしていた籠を軽く持ち上げる。


「見た感じ、迷い人だろ? さっきから腹の音、山に響いてたぞ」


「……鳴ってねえし」


そう言い返しながらも、少年の腹が情けない音を立てた。


「ほらな」


少年はくすっと笑い、籠の中から赤く熟れた果物をひとつ取り出した。りんごに似ているが、表面にはうっすらと金色の斑点がある。


「食えよ。森実もりのみ。甘くて水分多いから、目覚めたばかりのやつにはちょうどいい」


「いや、知らない人からもらったもん食べるほど俺、警戒心なくない」


「じゃあ俺が食う」


そう言って一口かじる。果汁が弾け、甘い香りが漂った。


「……毒じゃない証明、これで十分だろ?」


少年はしばらく葛藤した末、恐る恐る果物を受け取った。


「……いただきます」


一口かじった瞬間、目を見開く。


「甘っ! なにこれ、めちゃくちゃうまい……!」


「だろ?」


少年は満足げに頷いた。


「俺はキイってんだ。あんたは?見たところ、この国のものじゃないっぽいが……」


「俺?俺は……」


少年は果物を握ったまま、動きを止めた。少年は記憶を探る。自分が高校生であることもわかるし、親の顔もわかる。最近付き合い出した彼女の顔もわかる。それなのになぜか自分の名前だけがすっぽり抜けていたのだ。


「俺はだれだっけ?」


少年がとぼけたようにいうとキイは籠の中に入っていた果物を落としそうになり慌てて体勢を戻す。


「なんだ?それ?お前は名無しなのか?」


「そうみたいだ。うーん。俺は東京生まれの東京育ちで親父は商社マン、おふくろはパート店員。姉貴は大学生で俺は高校生」


名無しはブツブツとつぶやく。しかし、その単語の殆どがキイが聞いたことのないキーワードだった。


「お前、未知の街から来たのか?」


「は? 未知の街? いやいや東京だぞ!

日本の首都だぞ」


名無しがそう言うもキイにはさっぱりだ。


「あっ、もしかしてお前はタカマガハラからきたのか?」


「は?タカ?」


今度は名無しが訝しむ番だ。


「ようするにお前は異世界から転移してきたんだよ。お前は俺たちのいうところの未知の世界“タカマガハラ”からきた人間ってこと」


その言葉に名無しは納得した。



そういうことだ。


アニメや小説でよくある死んで異世界転移したということになるのだ。


もしそうなら、この世界で名無しはなにをするのだろうか?


名無しはキイと名乗った少年をじっと見た。


するとキイが突然立ち上がる。


「あっ、もう日が暮れる。この森は夜になると妖魔の機嫌が悪くなる。だから日が沈む前に街へ戻ろう」


「え?」


「来いよ。俺のアジトに連れて行く」


「いいのか?」


「いいさ。見て見ぬふりはできねえだろ?」


「ところでお前何者?」


「俺? 俺はキイだよ。鍵師のキイ。まだ駆け出しの冒険者さ」


その後名前を失った少年はキイの相棒であるドラゴンによって“ムメイジン”と名付けられ冒険者となり、未知なる世界での暮らしが始まった。

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知らない世界で俺は名前を失った 野林緑里 @gswolf0718

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