愛の在庫、代筆しました。 ~恋だ愛だは品切れ中につき、完全遠隔操作《フルリモート》で愛を囁く~

すまげんちゃんねる

第1話 『愛の贋作師と、聖夜の特級案件』

「申し訳ございません、お客様。ただいま『』はメーカー欠品となっております」


 もし俺がコンビニの店員なら、今夜は手引書マニュアル通りの笑顔でそう連呼していただろう。

 十二月二十四日。クリスマスの街は赤と緑の暴力的な色彩で塗り潰されている。行き交う人々は互いの視線の湿度や声のトーンから「今夜いけるかどうか」を高度に読み合い、愛という名の即興劇エチュードを演じている。

 俺にはその脚本スクリプトが透けて見える。

 誰が主導権を握り、誰が嘘をついているか。すべてが手に取るようにわかる。

 ……、俺は自分の舞台に上がることができないのだが。


「……く、九条くじょう。ま、まだかよ。緊張で心臓が口から出そうだ」


 背後で震える声がした。

 俺は手元の温かい缶コーヒーを一口啜ってから、眼下の校庭を見下ろした。ここは旧校舎の踊り場。冷たい鉄の手すりとコンクリートに囲まれた俺の隠れ家アジトだ。

 目の前には、依頼人クライアントNO.402、図書委員の田中が立っている。彼はこれから、中庭のベンチで待つ女子生徒に告白をする手筈になっている。


 俺は振り返り、計算し尽くした角度の笑みを浮かべた。

「大丈夫だ、田中。心拍数の上昇はお前が本気である証拠だ」

「で、でも……もし断られたら……」

「断られない」

 俺は断言した。データに基づいた事実として。

「彼女は今、マフラーを口元まで上げているだろう?あれは防寒じゃない。お前への期待と不安を隠している兆候サインだ。お前が踏み込めば、彼女は受け入れる準備ができている」

「ほ、本当か?」

「ああ。プラン通りに行け。冒頭の『ずっと見ていた』で三秒の。この沈黙が、彼女に『肯定イエス』と言う準備時間をあたえる。……行け。今のなおはかっこいいぞ」

「……!わかった、行ってくる!」


 田中は憑き物が落ちたような顔で駆け下りていった。

 俺は手元のタブレット端末を起動し、校庭に設置したマイクの音声を拾う。


『……うん。私でよかったら』


 数分後。恥じらいを含んだ承諾の声。

 俺はストップウォッチを止めた。完璧な仕事だ。二人の性格、関係性、シチュエーションを分析し、最適な解を出力した。


「……任務完了ミッション・コンプリート


 タブレットに報酬の着金通知が表示される。一万五千円。

 俺の名前は九条レン。正体不明の『恋愛代筆屋ゴーストライター』。

 俺にとってコミュニケーションとは才能ではない。技術スキルだ。正しい言葉を正しい順序で入力すれば、人間は思い通りに動く。

 だが、技術で得た好意に何の意味がある?

 そこに本当の「俺」はいない。だから俺の心はずっと品切れソールドアウトのままだ。


「よう、ゴースト。今日もいい仕事してるじゃねえか」


 不意に踊り場の空気が変わった。

 鼻につく高価な香水の匂い。振り返らなくてもわかる。学園のカースト最上位、御子柴みこしばだ。

 雑誌モデルのような整った顔立ちと、俺のような「裏方」を見下す隠しきれない優越感。


 俺は愛想の良い営業スマイルを貼り付けて振り返った。

「やあ、御子柴。悪いが新規の予約は三ヶ月待ちだ」

「ハッ、相変わらず食えねえ野郎だ。だが、俺の頼みは断れないぜ?」


 御子柴は俺の胸に分厚い茶封筒を押し付けた。

 その厚みから中身を計算する。約十万。高校生が出すには異常な額だ。

 彼の視線がわずかに泳いでいる。焦り、プライド、そして……恐怖?


「……誰だ?」

 俺は営業スマイルを消した。

「その金で、誰を落とせと言うんだ?」


 御子柴は、ニヤリと笑ってその名を口にした。


有栖川ありすがわセナ」


 俺は眉をひそめた。

 有栖川セナ。大手財閥の令嬢にして、この学園の『』。

 その美貌はガラス細工のように繊細だが、彼女に近づいた男は全員、その氷点下の視線で凍結粉砕されている。


 だが、俺が反応したのはその悪名高さのせいではない。

 いつだったか、放課後の図書室の片隅で彼女を見かけたことがある。

 彼女は分厚い詩集を読んでいた。周りには誰もいなかった。取り巻きは遠巻きに彼女の「家柄」を見ているだけで、誰も彼女自身を見ていなかった。

 その時の彼女の横顔が――どうしようもなく「俺と同じだ」と思ってしまったからだ。


「……悪いが、返金する」

 俺は封筒を突き返した。

「彼女は無理だ。俺の脚本スクリプトを使っても成功率はゼロに近い」

「はあ?お前の勝率は一〇〇%だろ?天才脚本家様が怖気づいたか?」

「分析力の欠如だな。俺が一〇〇%なのは、勝てる相手しか選んでいないからだ」


 俺は御子柴に一歩近づいた。

「有栖川セナは『空気』を読む達人だぞ。お前のような大根役者が丸暗記した台詞を喋ったところで、最初の三秒で見抜かれる。『その言葉、誰に書かせたの?』とな」


 彼女は自分に向けられる好意の裏側にある『』を瞬時に読み取る。

 俺が他人を操作するように、彼女もまた、他人を分析し拒絶している。

 いわば最強の矛(俺)と、最強の盾(彼女)だ。


 御子柴は舌打ちをした。

「だから頼んでんだろ。俺は今日のイブのパーティーで彼女を落とさなきゃなんねえんだ。……失敗したら、お前のこの裏稼業、生徒会に全部バラすからな」


 典型的な脅迫。

 普段なら録音データを突きつけて逆に脅し返すところだ。

 だが、俺の思考回路プロセッサは別の可能性を弾き出していた。


 有栖川セナ。誰の言葉も届かない孤独な要塞。

 もし、俺の「技術」を極限まで高め、彼女の分析能力すら上回る『完璧な嘘』を作り出せたら?

 それは、俺というコミュニケーションの怪物が唯一対等に渡り合える相手との『対話』になるのではないか?


 退屈だったのだ。

 人の心が読めすぎてしまうこの世界は、俺には簡単すぎて退屈だった。

 だが今夜、聖なる夜。初めて、俺の計算が通じるかわからない強敵ヒロインが現れた。


「……いいだろう」

 俺は口元を歪めた。恐怖ではなく挑戦者の笑みで。

「ただし、通常の『台本暗記プラン』では絶対に落ちない。やるなら『特別特急案件プレミアム・プラン』だ」

「なんだそりゃ」

「お前の脳みそは使わない。俺が直接、お前の体を操縦する」


 俺は鞄から黒いジュラルミンケースを取り出し、緩衝材に包まれた米粒のような極小のデバイスをつまみ上げた。

「超小型骨伝導イヤホンだ。髪に隠せば絶対に見えない。こいつを耳に入れろ」

「おいおい、カンニングかよ」

「いいや、遠隔操作リモート・コントロールだ」


 俺はデバイスを御子柴の耳にねじ込んだ。

「有栖川セナは、会話の『間』や『揺らぎ』から嘘を見抜く。固定された台本では対応できない。だから俺がリアルタイムで指示を出す。会話のすべて、呼吸のタイミング、視線の動きまで、俺がその場で生成し、お前の頭蓋骨に直接送信する」


 御子柴は目を丸くし、そして下卑た笑みを浮かべた。

「ハッ、なるほど。楽でいいな。俺はただのスピーカーってわけか」

「そうだ。思考を停止しろ。自我を消せ。お前は今日から、俺というOSを走らせるための最高級端末ハイエンド・デバイスだ」


 俺は踊り場の窓から、雪が降り始めた灰色の空を見上げた。

 ガラスに映った俺の顔はひどく疲れているように見えたが、その瞳の奥には久しぶりに火が灯っていた。


 契約成立だ。

 行くぞ、特級案件。俺たちの手で、氷の女王を攻略ハックしてやる。

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