初雪に口付けを

吾妻 奈都

白雪

 文官は内で書類仕事、武官は外で宮中警備。

 この違いは周知の事実だろう。

 とはいえ、実は位の高い文官は武官を兼任することがあるし、武官の長は書類仕事をこなさなければいけないなどの例外はある。

 いずれにせよ、しがない一武官でしかない者には関係ない話で、昇進に興味が無ければ気にする必要性は皆無。

 ――だったはず、なのだが。

 藤原ふじわらの友嗣ともつぐは、目の前に積まれた書簡の束に溜息を吐いた。

 内裏の警備を担う近衛府このえふは、もちろん武官の集まり。中将という役職に就いているとはいえ、外での仕事が主である。

 本来ならば目の前の書簡はすべて、大将である藤原道綱みちつなが処理をするべきものだった。

 友嗣ともつぐは上司の顔を思い浮かべる。

「あの人は、弓しか取り柄がないからな」

 溜息を吐きながら、誰に聞かせるでもなく独りごちた。

 藤原道綱みちつなといえば、和歌で名の知られる母を持ち、兄弟にも今を輝く藤原道長みちながや、なか関白かんぱくとして有名で娘を帝に嫁がせた道隆みちたかなど、世に名を知らしめる人物ばかりである。

 だというのに、道綱みちつなはいささか馬鹿であった。弓を引かせれば天下一品、性格も容姿も悪くないどころか良い部類だか、頭が足りない節があるのだ。

 そんな彼に書簡仕事などできるはずもなく何かと理由をつけては逃亡するので、友嗣ともつぐは仕方なくそれらを請け負っている。

 他の中将に頼もうにも、彼らは彼らで文官を兼任しているから忙しい。

 道長からもよろしく頼むと言われている手前、無碍むげにもできない。

 まったく、とんでもないところに就職してしまった。仕事が嫌いなわけではないとはいえ、これでは嫌気も差すというものだ。

「いつも御苦労様です」

「そう思うなら、手伝ってくださいよ。とうべん殿」

 書簡を届けに来たらしい藤原行成ゆきなりが声を掛けてきたので肩をすくめると、彼はそれを完全に流して、手に持つ紙の束を差し出してきた。

 予想通りの反応だったので特に何も言わず、それらに目を通す。大将でなければならない書類はなさそうだ。

 とうべんとは、宮中の雑事などを司る蔵人所くろうどどころの頭という意味で、行成ゆきなりの現職である。

 この藤原行成という男は、能吏として道長などから一目を置かれている人間だった。

 顔立ちは整っているにもかかわらず、真面目で仕事熱心なうえ愛想がないことで、女性陣からの評判はすこぶる悪い。だが、朝廷では重宝されている。

 身分が高くはない家に生まれたというのに、蔵人頭くろうどのとうという出世職に就いているあたり、それがはっきりしているだろう。

 そういえば彼が口の端を上げて笑ったところなど見たことないな、と考えながら、昨日渡されていた書類を取り出して手渡す。

 行成は受け取るなり目を通し、確かに、と言って脇に抱えた。

「そういえば」

 行成が話を切り出すように呟いたので、書簡に通していた視線を彼に移した。

 表情からは、何を考えているか分からない。いつものことだ。

 行成は空を見上げて、言葉を続けた。

「雪が降りましたよ」

「雪? そりゃ、そんな季節ですから」

「初雪です」

「ああ、そういえば。十二月も二十日あまり四日経って、やっとですか」

 今年は異常な気象であった。本来ならば秋の半ばから終わりごろには降り始める雪が、まったく降らなかったのである。

 おかげで凍死者は例年よりも少ないけれど、本来ならこの時期には流行らないはずの病が流行るなどして、大変だった。

 いつもならば仕事を増やすだけなために好まれない雪を、今年は誰もが望んだものだ。

 自分を含め、多くの人が、初雪に安心しているに違いない。

「せっかくなので、歌でも送られたら如何ですか? お相手はいらっしゃるのでしょう?」

「そういうとうべん殿こそ、せい少納言しょうなごん殿と良い仲と聞きましたよ。歌は送られないのですか?」

生憎あいにくと、歌は下手なもので」

 行成は、歌で名の知れた祖父と父を持つ。しかしどうやら、本人は歌が苦手らしい。たしかに、彼が誰かへ歌を送ったという話は聞いたことがない。女性人気が低いのも、それゆえだろう。

 だからこそ、歌の名士である清少納言との仲が噂になっているのだ。その噂もどこまでが本当かは定かではないが。

 友嗣は、ふむと少し考えて、口を開いた。

「なら、一筆書かれては如何です? 貴方の書は、喜ばれるでしょ」

「さあ、どうでしょうか。私の書など、たいしたことは無いですし」

「またまた、ご謙遜けんそんを」

 友嗣の言葉に、行成は肩をすくめる。その表情は相変わらず能面のようだが、困ったように笑っているようにも見えた。

 歌に才がなくとも、行成もまた秀でた才を持っている。それが書だ。 彼の書は宮中でも評判で、誰もが土下座をしてでも欲しがるほどであった。贈り物としてこれ以上のものは無いだろう。

 そうでなくとも、良い仲の相手からの文が嬉しくないはずもない。

 行成は、友嗣の言葉に気が向いたらと返し、右近衛府を去った。

 その後ろ姿を見送ってから、窓から外を眺める。一段と冷えると思っていたら、雪が降っていたのか。なるほど寒いわけだ。

 歌か、と考えて、友嗣は真っ白な紙を取り出す。

 歌のやり取りは得意ではないけれど、たまには良いかもしれない。彼なら、下手でも笑って受けとめてくれるだろうし。

 そう思い、筆を取る。


 待ちわびし 空より落つる 白雪に 君の姿を 覚えつつ見ゆ

 ――待ちわびていた雪の白さを見て君の姿を思いながら眺めているよ。


 技巧という面では拙いが、出来は悪くないはずだ。彼の肌の白さ、彼の可憐さをよく表していると思う。

 直接言うと彼は照れて悪態を付いたあと拗ねてしまうけれど、せめて文にしたためるくらいは許されるだろう。

 手近にいた者に文を託して、友嗣は仕事を再開した。

 きっと、悪態を付きながら、そして恥ずかしがりながら、返し歌を詠むのだろう。

 そう想像をしながら、返歌を待つのであった。


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