生きる②

 気を効かした校長の川田は、校長室に竜也を待機させた。桑田がまた竜也に危害を加える可能性があるからだ。しかし、彼女は職員室に居た事情を知らない人間から竜也が校長室にいることを聞いて、襲撃に近い形で乗り込んできた。

 その時、校長室には竜也と川田の二人がいたのだが、彼女はそんなのは関係無いと言わんばかりに竜也に迫った。

 川田は竜也と桑田を引き離す。

 「何をしている」

 「うるさい、邪魔だ」

 もはや、桑田は竜也にひざまつかせて謝罪させることしか頭にない。 

 

 夕方の六時、仕事を終えた竜也の母が到着した。竜也は誰か呼んだのかなと思ったのだが、呼んだのは桑田であった。

 校長室に待機していた竜也と川田が立ち、母は先生に軽い挨拶を交わし、ソファーに座る。

 「えっと、どうしたのですか」

 と川田が言うと、彼女は桑田先生に呼ばれてここに来たと言った。

 川田が今日の出来事を説明し、母は静かに顔色変えずに聞いていた。そして、全てを理解した母は、川田に尋ねる。

 「それで、桑田先生はどこに。謝罪をしたいのですが」

 「それはどういう意味で」

 竜也は、あぁ、やはりか。と思った。

 「どうせ、竜也が何かやらかしたからこんなことになっているのでしょう」

 「いえ、竜也くんは喧嘩で•••」

 「喧嘩ですか、我慢すればよかったでしょ」

 川田は絶句した。それは当然である。自分の子供が酷い目に遭っているのに、それを自分の子供が悪いことにしているのだから。

 川田はこのままでは埒が明かないと判断し、話し合いは後日当人同士でということでまとめた。


 その日の夜、竜也は母親から激しい叱責と暴力を受けた。母と桑田は知り合いどころか、仲が良い友人だったそうな。それなら納得だな、と竜也は妙に冷静になれた。類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。

 父は、竜也に向かって

 「土下座して謝れ。誠意を見せれば相手だって許してくる」

 と吐き捨てた。

 竜也にとって、父と母は宇宙人のようなものだ。何を話ても、常に一方的で会話のキャッチボールができない。この二人はもはや竜也の両親としての機能を果たしていなかった。それでも竜也がグレずに正常なのは竜也の祖父母のお陰であった。


 次の日の夕方、学校での話し合いが始まった。

 竜也、竜也の母、川田、桑田、磯野、磯野の母での話し合いである。

 しかし、この日の話し合いは困難を極め、もはや正常とはかけ離れた状況であった。

 まず、本来であれば味方であるべきの母は竜也に、しきりに謝罪させようとした。それを見た桑田先生は母に同調しているのか、嫌な笑みを浮かべている。

 そして、桑田先生は

 「まずは、謝りなさい」

 と吐き捨てた。

 それに対して、竜也は無言を貫く。これは竜也ができる唯一の抵抗であった。痺れを切らした母は、

 「謝れ」

 と言いながら竜也を引っ叩いた。

 川田は竜也の母の行動を咎め、語尾を強めにし、感情を抑えながら、

 「彼を一方的に悪いと決めつけるのは違うでしょう」

 と反論するが、

 「黙ってくれませんか」

 と返され、川田は絶句してしまった。川田は竜也から彼の母の話を聞いていたが、まさかここまでとはと思い、思考が停止してしまう。

 ここで、竜也にとって予想外の援軍が入った。磯野の母親である。

 彼女も桑田先生と同じく、竜也の母と知り合いだった。だから、竜也は嫌な予感を感じ慨嘆していたのだが、その予想はいい意味で裏切られた。

 「いや、それはおかしいでしょ」

 「何が」

 「私の子が竜也君の本を奪って投げたから、竜也君は怒ったのよ」

 「我慢すればいいじゃない。そうすれば丸く収まるのよ」

 「話を聞いてるとうちの子が悪いじゃない」

 「違うでしょう。問題なのは竜也君が暴力を振るったこと」

 話を遮るように磯野は、

 「いや、僕が悪いよ。先に本を投げたんだか」

 と言った。

 すると、仲間を得て気分が良くなったのか桑田が、

 「いい、あなたは被害者なの。黙ってちょうだい」

 と吐き捨てた。

 その後も話し合いは続くが、話し合いの体をなさず混乱を極める。その台風の目となっているのが、竜也の母と桑田だ。この二人は満足したかのような余裕がある。しかし、竜也含め、その周りの人間は明らかにこの二人に飲まれていた。

 その場で竜也は、

 「わかった。もういいよ」

 と話を切り上げた。その場に居た竜也に味方をしていた人間は、一斉に竜也に目を向ける。そして、暫くの沈黙の後に、

 「じゃあ、悪かったと認めるのよね」

 と母が言った。

 「認めねえよ」

 そう言い返すと、母の表情が険しいものに変化した。それを見た竜也は、あぁ、俺がわるいのならともかく、俺の味方をしてくれないのだなと慨嘆した。

 「わかりました。私もいいです。お父さんが明後日、帰ってくるからその時に話をしましょう」

 そう言って竜也の母は教室から一足先に出て行った。

 桑田も竜也を一瞥してから校長室を出て行き、台風の目は過ぎ去った。


 次の日から竜也の母は竜也の事、例えば洗濯や料理を竜也の分を放棄するようになる。更に、村八分目にし、竜也を完全にいない者扱いとした。竜也はこれで母と父を身限り、祖父に連絡して暫く厄介になることとなった。それを聞いた母は、竜也に向かって、

 「二度と帰ってこなくていいよ。私もあなたの事は息子だと思わないから」

 と吐き捨てたものだった。

 

 祖父と祖母は学生寮を階上で経営していた。竜也はこの二人に懐いでおり、祖父と祖母も初孫ということもあり、竜也を可愛がった。しかし、硬い職業に就いている竜也の父と母はそれをよく思わなかったのだ。

 じつは、祖父の慎太郎は昔ヤクザをやっていた。

 戦後暫くしてから、当時は合法であったヒロポンなるものを、漁師達が採ってきたナマコと物物交換をし、それを売りながら生計を立てていた。

 その後、彼はどのような失敗を犯したのかは不明であるが、そこから逃げ、青森県八戸市に流れ着いたのだ。そこで、自分の蓄えを使って、階上に学生寮「磯崎寮」を立ち上げた。以前は東京で派手に暮らしていたが、今は青森の田舎町で静かに暮らしている。


 あの日の話し合いの後に川田は、竜也に両親以外に頼れる親戚はいないかを尋ねていた。竜也の母を見て、このまま放置する事はできないと判断したそうな。この川田の判断は結果的にいい方向に動く。

 竜也は父方の祖父母を思い浮かべ、川田に伝えた。

 祖父母宅兼磯崎荘は階上にある小さなスーパーマーケットの横を通って、更に進んだところにある。

 敷地内は二棟の建物があり、二階建てで今現在は十五人ほどの短大生が下宿している。その二棟の建物の向かいには、祖父母が暮らす自宅兼食堂がある。

 その、祖父母の自宅に竜也と校長の川田と祖父母がお互いに正座をして向かい合う形になっていた。

 「と、いう事情で•••」

 今までの事のあらましを竜也の祖父母が説明し、川田の話が終わる。すると、祖父の慎太郎は竜也に確認した。

 「今のは本当か」

 「うん、本当」

 慎太郎の顔が険しくなり、川田に詰めよった。その喧嘩っ早いのは流石、元ヤクザと言ったところだ。

 「アンタの部下が俺の孫に手を出したと。それでソイツはここには来ないのか」

 そう言われた川田は、頭を下げて、

 「それが面白くないのは充分、承知しております。しかし、桑田先生は、今何をするのかわからない状況です。ですので、彼女をここに連れてくる事はしませんでした」

 「なるほど」

 「今日は竜也君をお願いしたくて参上した次第であります」

 「わかった。わざわざご苦労様。こうやってお菓子をわざわざ手土産に持ってきて、そんな気もまわしてくれて。けれどもね、これだけじゃ足りないよ」

 「私に出来ることがあれば」

 「今度の話し合い、俺も参加させてくれ」

 「•••わかりました」

 

 次の日、今日は月曜日。竜也は慎太郎から待機を命じられた。桑田の行動が異常で、竜也に対して危険が伴う可能性があったからだ。

 竜也は祖父宅で祖母と一緒に過ごしている。

 祖母のタエは、

 「大丈夫だよ。おじいちゃんに任せなさい」

 と言った。

 慎太郎はヤクザ時代、色々な交渉事を担当してい、これくらいの問題は朝飯前だそうな。

 竜也は今、不思議な感覚だった。

 両親と一緒に暮らしていた時は常に不安で、今はその不安は全く無い。この違いはやはり、守られているかいないかであろう。

 竜也は久しぶりに、誰かに守られているという安心感を享受することができた。


 話し合いは、川田、慎太郎、桑田の三人で行われた。

 まず、慎太郎は話し合いの前に竜也から話を聞いて自分が有利になる情報を得た。当然ながら、それは竜也に対する桑田の暴力である。そのカードをどのタイミングで切るのかを考える必要があった。

 慎太郎は終始相槌を打つだけで、自分の意見を言う事はしなかった。そんな、彼の様子を見た桑田先生は大した脅威では無いと判断し、

 「大体、今回の騒動は竜也君が暴力を振るったことが原因です。彼に責任を取らせるべきでは」

 と言った。

 慎太郎にとって、これが反撃の狼煙となる。

 今回の騒動のきっかけは、竜也と三人組の喧嘩であった。そして、その後に桑田は竜也の態度が気に食わないなどと言って暴行を加えたのだ。

 「なるほど、それならば是非先生も責任を取らなくてはいけませんな」

 「どう言う意味で」

 「警察に被害届を出すと言うことです。なんなら教育委員会でもいい。アンタは今、暴力の責任を取れと言った。アンタが竜也にやったことは暴力じゃないか」

 「あれは、しつけで」

 桑田はたじろいで、しどろもどになった。ここからは慎太郎のペースになり、話がスムーズに進んだ。

 最終的に、桑田は折れた。慎太郎は、竜也に対しての謝罪を求めたが、拒否した。その代わりに出した条件は、M小学校の退職。慎太郎は、なら、それに加えて竜也には二度と関わらないことも条件に加えろ、と言って桑田はこれも受け入れた。

 話がまとまり、桑田は力無く教室を出て行った。

 慎太郎も教室を出て行こうとしようとしたら、川田に呼び止められ、

 「いや、見事なものですな」

 と、関心された。

 「どうも。けど、これは校長先生がやるべきだったでしょう」

 「そうです。あなたの言う通りです」

 彼は校長先生が黙ると思っていたが、予想に反した返事だ。少し、驚いてしまった。

 川田は続ける。

 「今回の一件で、自分の無力さを実感しました。本来であれば、あなたの言うとおり学校側が仲介に入り、解決すべきだった。しかし、日本の学校は、それがなかなか難しいのです」

 「ほう」

 「ですから、私は見切りをつけたいと思います」

 「辞めるってことですか」

 「直ぐには辞めません。私は何もできなかった。だから、せめて今年を入れて二年、竜也君が卒業したら辞めます。最後まで、償いとしてあの子を守らなくては」

 そう言った川田は、どこか寂しげだった。

 「まあ、頑張ってください」

 そう言って慎太郎は、校長室から立ち去った。

 

 

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