深瀬の秘密

藤浪保

深瀬の秘密

 私、桜井さくらい春子はるこはストーカーだ。


 対象は深瀬ふかせのぼる。隣のクラスの男子。


 自覚はなかったが、休み時間のたびに密かに追いかけ、放課後も可能な限り張り付いていると知った親友から、「ストーカーじゃん」と言われ、否定できなかった。


 私が深瀬に張り付いている理由は、残念ながら青春アオハルではない。怨恨えんこんでもない。ただの興味である。


 深瀬の周りでは、不思議なことが起こるのだ。


 その謎を解明するために、今日も私は深瀬を観察すべく、放課後の美術室までやってきた。


 バレないように、そっとドアを薄く開けて、美術室の中を覗く。


 ここはちょうど校舎の端、それも折れ曲がった先にあるから、美術室に用がある人しか訪れない。覗き見にはうってつけだ。


 中にはイーゼルが一台置いてあり、筆を手にした深瀬が背を向けて座っている。部活用の青いつなぎ姿だ。


 後ろ姿越しに、描きかけの水彩画が見えた。深瀬の絵はパステルカラーがふんだんに使われているのが特徴で、私は絵のことは詳しくないけれど、雰囲気が柔らかくて、綺麗だと思う。


 最近描いているのは、カラフルなオウムの絵だった。ジャングルの中、枝の上に止まっている。最初は色が薄くてぼんやりしていたのに、日に日に濃くなっていき、今は完成間近だと思われる。


 美術部で活動しているのは深瀬一人だけ。残りは幽霊部員らしい。だから、いつも放課後の美術室には、深瀬しかいない。


 いない、はずだ。


 だけど――。


 カタリと小さな音がして、私の視界の中に猫が現れた。黒と白のハチワレだ。


 高校の美術室の中に、猫。


 どう考えてもおかしい。


 どこから入って来たのか。まさか五階の窓からではないだろう。校内で飼われているわけもない。


 猫は歩き回ったり、毛づくろいをしたりと、自由にしている。


 と、絵に没頭していた深瀬が、ふいっと顔を下に向けた。


 視界に猫を認めて、びくりと肩を震わせる。


「またぁ!?」


 慌てて筆を置いて、猫を追い立てる。


 私の視界からは消えてしまい、深瀬が「ほら早く」だの「そっちじゃなくて」だの言っているのが聞こえてきた。


 しばらくすると部屋の中は静かになり、深瀬が「ふぅ」と息をつきながら戻ってくる。


 ……こんな風に、深瀬の周りでは、不思議なことが起こる。具体的には、生き物が現れる。猫が多いが、ハムスターや蝶、鳥だったりすることもある。


 私が最初に目撃したのは小鳥だった。高一の夏、昼休みに外でお弁当を食べようと場所を探していたら、ベンチで絵を描いている深瀬の肩に、小鳥が止まっていた。


 その小鳥が、ぴょんと深瀬の膝に降り立った時、深瀬は声を出して驚き、小鳥をさっとつかんだ。


 どうするのかと見ていたら、深瀬がぱっと手を開いた。でもそこに小鳥はいなかった。


 飛んで行ってしまった?


 いや、さすがに鳥が飛び立てばわかるだろう。


 深瀬が持っていたのは小さなスケッチブックだけ。夏の薄着の制服に、小鳥とはいえ仕舞っておけるスペースなどない。


 その時の私は、鳥が逃げた瞬間を見逃したのだろうと自分を納得させて、すぐにそのことは忘れてしまった。


 次に生き物を見たのは、半年後の冬だった。


 選択授業で訪れた美術室に忘れ物をしてしまった私は、放課後に取りに行った。校舎の最上階の端の人気のない廊下を曲がると、美術室に向かって歩く深瀬がいた。


 深瀬は青いつなぎと黒いセーターを着ていて、右腕にはキャンバスを抱え、左手には筆を洗うための黄色いバケツを下げていた。


 その足元に、猫がいた。


 深瀬の足取りに合わせて、ちょこちょこと横を歩いていく。深瀬は美術室のドアを開けると、自然にその猫を招き入れた。


(なんで、猫?)


 美術室で飼っているのだろうか。土日はどうするんだ。エサは? トイレは? 絵のモデルのために、一時的に連れてきているだけ?


 様々な疑問が頭の中を駆け巡ったが、とりあえず美術室に突入することにした。だって私は忘れ物を取りに来たのだから。


 ノックをし、要件を告げて、美術室に入れてもらう。


 入ってすぐ――教室の後ろの壁の前にイーゼルが一台置いてあって、深瀬はそれを隠すように立っていた。私は昼間に座っていた席まで行って、置き去りにしてしまったポーチを手に取る。


 これで私の目的は達成された。ここにはもう用はない。


 だけど、さっきの猫はどこに行ったのだろう。


 教室内をさっと見回しても、猫はいなかった。


「さっきここに、猫が入っていかなかった?」

「猫? なんで?」


 深瀬はきょとんとした。当然だろう。私だって突然そんなことを聞かれたら、困惑するに違いない。


 だけど私は、深瀬が一瞬肩を揺らしたのを見逃さなかった。


「ちょうどそんな感じの猫だった。白黒のハチワレの」


 私がキャンバスを指差すと、深瀬は顔を強張こわばらせた。

 

 背中を見せた猫が、見返り美人のようにこちらを振り返っている。背中の毛並みが塗りかけで、全体的に色が薄い。


 よく見ようと近づくと、深瀬が立ち塞がった。


「僕、人に絵を見られるの、慣れてないから」

「ごめん」


 その顔が本当に嫌そうで、思わず一歩下がる。


 何かを隠そうとしているのはわかったけど、これ以上は駄目だと悟った私は、「見つかったし、もう行くね。お邪魔しました」と言ってその場を後にした。


 それ以来、どうしても気になってしまい、私はストーカーになった。あれから、かれこれ半年も観察を続けている。


 深瀬が立ち上がった。キャンバスから二歩離れてオウムを観察し、筆を取って手直しをして、また離れて観察する。


 何度か繰り返した後、やっと納得がいったのか、大きくうなずいた。


 たぶん、完成したのだ。私が深瀬の絵が完成した瞬間を見たのは初めてだった。いつも、いつの間にかキャンバスが新しくなっていた。


 密かに感動していると、突然、バサリと音が聞こえた。


(羽音?)


 かと思うと、絵の中のオウムが


「お前もかー!」


 深瀬が叫ぶ。


 同時にオウムが飛び立った。


 3D映画のように飛び出てきたオウムの足を、深瀬がむんずとつかむ。


 そして、そのまま遠心力を利用して、ビターンッとキャンバスに叩きつけた。


「くそっ、この絵も駄目か」


 深瀬は片手で顔を覆い、がっくりと頭を垂れる。


 オウムはいなくなった。いや、


 頭をガシガシと掻いた深瀬が、筆を入れたバケツを持って近づいて来る。


 離れなきゃと思うのに、私は動けなかった。完全に腰が抜けていた。


 ガラッとドアが開き、廊下に座り込む私を見て、深瀬は目を丸くした。


 そして、ぽつりと呟く。


「見た?」

「見た」


 はぁとため息が落ちて、ドアが大きく開けられる。


「入って」


 有無を言わさぬその声に、私は従うしかなかった。




「――つまり深瀬は、この辺の土地神様の血を引いていて、描いた絵を具現化できるってこと? すごいじゃん」


 長々と説明されたけど、端的に要約すると、そういうことだ。深瀬の近くによく生き物がいたのは絵から出てきていたからで、消えたのは絵に戻ったから。ハチワレは飼い猫で特によく描くモチーフらしく、あの冬に見た猫は、描きかけの絵とは別の絵から出てきていたらしい。謎が解けた。


「全然すごくない。コントロールできないし。それに僕は、絵を描くことを仕事にしたいんだ。なのにコンクールにも出せない」

「出せばいいじゃん」


 一度絵に戻るともう出てこないらしい。なら、戻した後に応募すればいい。


「駄目だよ。これはもう、僕の絵じゃない」


 深瀬がキャンバスを指差した。描かれたオウムは羽根の一本一本の羽枝まで見えるような精巧さで、くちばしや爪は硬く、目はしっとりと濡れている。近くで見るとこんなにすごいのかと圧倒された。


「すごいリアル。本物みたい」


 私が褒めると、深瀬は口を尖らせた。


「一度絵から出るとそうなるんだ。僕はそこまで描き込んでない。こんなのコンクールに出せない」


 これなら一発で金賞が獲れてしまいそうだけれど、そういう問題ではないらしい。受賞しても、自分の力でなければ意味がないのだろう。


「出てこないこともあるんだよね? ならさ、その条件を探そうよ。私も協力するからさ」

「ありがたいけど……なんで?」

「面白そうだから」


 深瀬は釈然としていなかったが、口止めをするには私を協力者にした方がいいと思ったのだろう。渋々了承してくれた。


「じゃあさ、今まで出てきた生き物に共通点があるか考えようよ。猫、小鳥、ハムスター、蝶、オウムは出たんだよね? 前に描いてた亀は?」

「なんで知ってるんだよ」

「あ」


 その後、ストーカー行為を白状させられて、めちゃくちゃ怒られた。

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