第3話 省庁間の確執と少年の処遇
FC2088年、ILC事故から三か月。
東京、内閣府の厳重な会議室。窓の外は冬の薄い光に包まれていたが、会議室の空気は重かった。長机を囲む面々の表情は、報告書の行間よりもさらに深い疲労を滲ませている。内閣特別調査室の室長、宮本サオリが議長席に座り、手元のタブレットを軽く叩いた。
サオリは鋭い視線を全員に向け、口火を切った。
「本日の議題は、『ILC事象』に関する現状の共有、および今後の対応についてです。高橋所長、まずは事故の経緯を、再びご説明いただけますか」
研究所所長、高橋サトルが、疲労の色濃い顔で口を開いた。
「はい。当初の目的であったダークマター生成は成功しました。しかし、AI『マギ』の演算ミス、もしくは予測不能な領域で、『暗黒相転移』と呼ばれる現象の連鎖反応が発生しました」
高橋はモニターにLC実験棟の立体図を映し出す。
「この結果、高濃度のダークマター粒子が流出。ご存知の通り、実験棟内部の職員は全員が被曝し、遺体は蒸発するように消滅しました。現在も高濃度のダークマターは人体に極めて有害であり、立ち入り禁止区域は刻一刻と拡大しています」
高橋はそこで一呼吸置き、静かに続けた。
「現在、最も重要な課題は、ダークマターの『被曝許容範囲』と『人体への影響』を見極めることです。その鍵は、事故現場で高濃度ダークマターに被曝しながらも生き残った、天峰研究員の幼いご子息にあると考えています。我々は早急に、その少年の詳細な検査を実施したい」
高橋の提案に、防衛省代表の制服組、近藤イオリが即座に反論した。
「それは認められません、高橋所長」
近藤は冷徹な目で高橋を睨みつける。
「少年は、両親を目の前で失うという極度のショックを受けています。彼の精神状態を考慮すれば、研究所に戻すのは酷です。それに、彼は現在、現場で彼を救出した特務部隊隊長、赤城シンヤのもとでの生活に、唯一心を開いています」
文科省代表の橘花マリコが、近藤の言葉を遮るように優雅に口を挟んだ。
「近藤さん。彼の命に関わる可能性を無視するおつもりですか? 未知の物質の影響下にある彼の身体に今後どのような変化があるかわかりません。彼の命を守るためにも研究所での検査が必要です」
「防衛省にも、一流の医療機関はあります。検査が必要なら、我々が責任を持って行います。お前たち研究所の『実験動物』にはさせない」
近藤は語気を強めた。
サオリが会議の空気を一変させるように、静かに介入した。
「少年の処遇について、内閣特別調査室としての見解を述べます。少年の精神的安定は最優先事項です。よって、引き続き赤城隊長のもとで保護します。少年の意思を尊重します」
近藤は小さく頷き、橘花は悔しそうに表情を歪ませた。
次に、自衛隊員隊長、赤城シンヤが立ち上がり、現状の報告に移った。
「ILC事象発生から三か月。汚染地区の封鎖ラインは日々後退しています。高濃度のダークマターが流出した森は、現在『ダンジョン』と化し、我々が確認しただけでも数種類の『怪物』が発生し、拡大を続けています」
赤城は、防護服のカメラが記録した映像を会議室のモニターに映し出した。それは、森を徘徊する異形のゴブリン型の怪物や、四足歩行する狼のような怪物、植物が変異したようなタイプの怪物たちの姿だった。
「怪物? 現実なのか、赤城隊長」
宮本サオリは冷厳に問い質した。
「はい。幻影などではありません。こちらが隊員との戦闘の映像ですが、隊員の盾や防具に明らかな爪痕が残っています。間違いなく、物理的な実体を持っています」
「これは、ダークマターの影響で発生した生物で間違いないのか?」
「はたして生物と言えるかどうか……。映像の続きを見てください。隊員が怪物に留めを刺しました。すると、全ての個体が、蒸発したように消えてしまいます」
「研究員の遺体が蒸発したように、高濃度のダークマターの影響ではないのか?」
「この場所は、そこまで濃度は高くありません。それに、研究員は、着ていた白い作業着以外、何も残していませんでしたが、怪物の場合、漆黒の小さな石を残します」
高橋サトルが身を乗り出した。彼の目は、怪物の映像ではなく、怪物が消滅した後に地面に残った謎の石に釘付けになっていた。
「やはり……。その怪物が残した石、サンプルが欲しい。ハイパーコンピュータ、アキオンΣのAI『マド』の推測では、それはダークマターの結晶である可能性が高い。我々は、それを『ダークストーン』と呼称している」
高橋の表情が熱を帯びる。
「マドのシミュレーションでは、このダークストーンは極めて高効率なエネルギー源になる。実現すれば、日本の資源問題は一気に解決する」
近藤は鼻で笑った。
「お前たちの下請けをするつもりはないぞ、高橋。そもそも、そのAI『マド』は、あの事故を起こした『マギ』の姉妹機だろう。信用できるわけがない」
橘花がすかさず口を挟んだ。
「ならば、防衛省のガイアに計算させてみればいい。結果はきっと同じになるわ」
「だが、その結晶がダークマターなら、人体に有害だろう」
「だからこそ、少年の検査が必要なのです! ダークマターの結晶が人体にどのような影響を与えるか、少年の被曝状況と照らし合わせなければ、ダークストーンを安全に利用する道は開けません!」
宮本サオリは深く息を吐き、苛立ちを押し殺した。省庁間の縄張り争いが、国家の危機を前にしてすら繰り広げられることに心底うんざりしていた。
「静粛に」
宮本の声が会議室に響く。
「ダークストーンがエネルギー源となる可能性は、国家の重大事です。よって、怪物の討伐、ダークストーンの確保は自衛隊の責任で実施。回収された結晶の解析は、高橋所長と研究所が責任を負う」
宮本は言葉を選びながら、少年の処遇について最終的な指示を出した。
「少年の検査については、検査項目を研究所で作成、ただし、実施は防衛省の医療機関での実施とします。情報の緊密な疎通と、特別調査室への逐一報告を義務付けます。いいですね」
近藤は不満を顔に出しながらも、宮本の命令に渋々承諾した。一方、橘花マリコの口元には、目的の一部が達成されたことを示すかのような、薄く、計算高い笑みが浮かんでいた。
会議が解散した後も、赤城シンヤは会議室を去らず、一人、モニターに映る幼い少年の写真を見つめていた。その華奢な体が、受け止めなければならないのは、現場で見た白い作業着、消えた両親の姿だけではない。これからどれほどの苦難に直面するのか。赤城は深く、静かに、胸中でその境遇を案じた。
会議室の窓の外、冬の光は変わらず薄く差していた。だが室内の決定は、これからの現場の動きを決定づける。ダンジョンは拡大を続け、怪物は姿を変え、ダークストーンを巡る利害は国家の深部へと食い込んでいく。少年の検査は、科学と政治の交差点に置かれた小さな灯火だ。誰がその灯を守り、誰が利用しようとするのか……答えはまだ、誰にも分からなかった。
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