近未来SFダンジョン「ダーク」それは人のエゴとAIの陰謀。広がる暗黒。魔石《ダークストーン》がもたらすのは、繁栄かそれとも破滅か
なつきコイン
プロローグ 校舎裏の午後
近接世界の近未来、FC2098年。
世界は10年前の「暗黒相転移事故」により一変していた。
かつて、岩手研究所都市(ILC)があった東北の山中は、現在「ダンジョン」と呼ばれ、
そのダンジョンの縁、旧研究都市の防災避難センターがあった跡地に建つのが、ダンジョンハンター養成校(DHTS)だ。
初夏を思わせる午後の陽が校舎の裏庭を斜めに照らすころ。
「天峰。お前たちのせいで村が――」
犬飼の声は低く、刃物のように鋭い。二階堂と三崎がその後ろで腕を組み、にやりと笑っている。大柄で体格の良い犬飼の髪は黒く短く、その顔には苛立ちと憎悪が張り付いていた。彼の言葉は、ダンジョンに飲まれた村と、そこで失ったものへの怒りが込められていた。
「おい、聞いたぞ。お前は『あの日』の生き残りなんだってな。あのクソ研究員どもの、忌々しい血を引くガキだろう」
犬飼ショウの低い声が響く。取り巻きの二階堂と三崎が、左右から威圧するようにユウキを取り囲んだ。
「その髪の色と目、あの事故の影響だろ。言い逃れはできないぜ」
ユウキは感情のない顔で、犬飼の言葉を静かに聞き流した。
「俺の村はな、このダンジョンに飲み込まれたんだ。家も家族も全部、あの研究所のせいで消えた。お前の親父とお袋がやった実験のせいで!」
犬飼の憎悪は純粋で、その感情は魔素のように重い。
「おい! 話を聞いているのか、天峰。お前は何も感じねえのか? その顔、その態度……人を人とも思わなかった研究員どもそっくりだ!」
犬飼が怒りのあまり、ユウキの胸倉を掴み上げた。
その時、校舎裏の影から、人影が現れた。
一人は、深い黒髪の長髪が印象的な美少女、氷室ルナ。紅蓮の瞳と、まるで感情という概念を知らないかのような無関心な表情が、彼女を近寄りがたい存在にしている。
彼女はDHTSに、文科省から送られてきた特殊な受講生であり、生徒たちの中で「実験体」と噂されていた。
そしてもう一人、ルナの背後に隠れるように、小柄で金髪短髪の少女、猫屋敷アサリがひょっこり顔を出した。猫耳風のヘッドセットと尻尾のような装飾をつけた彼女は、防護スーツのみで、制服を着ていない異端児だ。金色の猫目が、細められ、口元に薄い笑みを浮かべる。
「よせ」
ルナの声は冷たく、その一言に場の空気が震えた。犬飼は一瞬たじろぐ。
「弱い者いじめはよせだってさ」
アサリがルナの言葉を代弁する。
「それに、何を恨むかは自由だけど、ちょっとばかり知識不足だね。天峰は、その憎い研究員の息子であると同時に、あの事故で両親を亡くした被害者でもあるんだよ」
アサリが猫のような甲高い声で言った。
犬飼は一瞬たじろいだが、すぐに矛先をアサリたちに向けた。
「うるさい! 猫みてえな格好しやがって、てめえが尻尾を振っているそいつだって、文科省の実験体と噂されている! 研究所の事故で得た魔素を、何の良心もなく利用している張本人だろうが!」
罵倒を浴びせられたルナは、まるで犬飼が存在しないかのように無反応だった。ただ、その赤眼が、ユウキの背中を、観察するように見つめる。その瞳には好意の光はなく、あるのは『比較対象』を見定めるような冷たい好奇心だけだった。
ユウキはゆっくりと犬飼に向き直り、ルナの前に一歩出る。
「犬飼。用があったのは、俺に対してだろ。氷室は関係ない。俺の親のことで責めるなら、俺にしろ」
ユウキの冷静な態度に、犬飼の怒りは臨界点に達した。
「ふざけやがって! なにが俺にしろだ! テメエの親父が起こした事故のせいで、俺は地獄を見たんだ!」
犬飼はがなり立てながら、ユウキの顔目掛けて、渾身の右拳を振り抜いた。
ドスッ、という鈍い音が校舎裏に響き渡った。
犬飼の拳はユウキの頬に当たる寸前、不可解な停止を見せた。犬飼の体はバランスを崩し、その場に前のめりに崩れ落ちた。
何が起きたのか、二階堂も三崎も、アサリでさえ理解できなかった。ユウキは手を動かしていない。
ただ、犬飼の拳が接触する直前、周囲の空気が一瞬だけ歪んだように見えた。
犬飼は混乱と痛みで顔を歪ませた。
「な、何を……した?」
ユウキのその赤眼は、一瞬だけ、微かな光を放ったように見えた。
「勝手に転んで、何を言っている」
ユウキはズレた眼鏡を直しながら淡々と言い放った。
その時、リクルートスーツ姿の女性教官、秋津トウコが慌てた様子で校舎の角から姿を現した。彼女は正義感が強く、受講生のトラブルにはすぐ首を突っ込む性質だ。
「何事ですか! 受講生間の暴力は絶対許しません! 誰が先に手を出したんですか!」
トウコは倒れている犬飼を見て、ユウキを咎めるように睨んだ。
(だから、弱い者いじめはやめた方がいいと言ったのに……)
トウコの様子を見て、ルナがボソリと呟いた。
「手は出していませんよ、秋津教官」
ユウキは視線すら合わせず、冷静に答えた。
「猫屋敷さんたちに、経緯を聞いてください」
ユウキはそのままルナの横を通り過ぎ、さっさと立ち去ろうとした。ルナの無関心な瞳が、初めてユウキの背中に明確な『興味』の色を乗せた。
「待てよ、天峰! この恨み、絶対に忘れねえからな!」
地面に這いつくばったまま叫ぶ犬飼の憎悪を、ユウキはまるで聞こえていないかのように無視した。
トウコは困惑し、アサリは面白いものを見つけたように目を輝かせ、ルナは静かにユウキの後ろ姿を見つめ続けた。
「気をつけなさい。ここは訓練校だ。互いに切磋琢磨するために来ているはずだ。暴力は何も解決しない」
トウコが誰にでもなく叫んだが、その言葉は、どこか空虚に響いた。
ユウキの背中は、校舎の角を曲がるとすぐに見えなくなった。彼の歩みは速くはないが、確かに前へ進んでいる。胸の奥にあるのは、いったい何であろうか?
アサリが小さく鼻を鳴らし、情報を整理するようにルナに耳打ちした。
「犬飼は村を失った。恨みは深い。だが、あいつは単純だ。利用されやすい」
「リヨウ?」
ルナの声は冷たい。
アサリは肩をすくめ、猫のように笑った。
「校内にも、外にも、あいつを焚きつける連中がいる。魔石に魔道具、魔法、それに、謎の魔術と言われる能力、利権を得たい者は後をたたない」
ルナが魔術という言葉に眉を顰めたのを、アリサが見逃すことはなかった。
犬飼は校舎の壁にもたれ、拳を握りしめた。恨みは彼の血となり、行動の燃料となる。彼の視線は、いつか再びユウキと交わることを誓うように、暗く燃えていた。
初夏のような陽気でも、陽が翳れば寒くなる。校舎裏の午後は、いつもより冷たかった。ダンジョンは遠くに見えるが、その影は校内にも確実に伸びている。小さな亀裂が、やがて大きな亀裂へと広がる予感を、誰もが無意識に感じていた。
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