未知の子

異端者

『未知の子』本文

 彼女は綺麗な子だった。


 ある日、中学三年の教室に登校してきた僕は椅子に座っている彼女を見て、ほうとため息をついた。

 窓際のその席では、まだ少し低い日が彼女の長い黒髪を照らしていた。その下の陶器のような白い肌との対比……人間というよりも、計算しつくして作られた人形のようだった。

 一見して無個性な制服も、彼女が着ていれば黒のショートドレスに見えた。

 転入生だと思ったが、クラスメイトは誰も話しかけなかった。HRホームルームの時間になって担任教師が入ってきても、彼女は紹介されることもなかった。

 この教師は、いつもぼさぼさ頭の冴えない男性教師で、生徒からは軽蔑されていた。何が起ころうと事なかれ主義で、見なかったことで済ましてしまうので、教室は荒れ放題だった。学級崩壊と言われても間違いではなかったと思う。……もっとも、誰も問題として取り上げないので、学校側も黙認していた節があるが。

 僕は比較的真面目な生徒なので、居心地は悪かった。授業中も大声で話す連中のせいで、半分も聞き取れない。

 そんな中、彼女は平然とノートにシャーペンを走らせていた。その姿は涼しげで、見ているだけで小気味よくなった。

 僕が学習意欲を失わなかったのも、彼女が居たからだった。そうでなければ、周囲の喧騒けんそうに巻き込まれて、僕も同類になっていただろう。

 僕は、何度も彼女に話しかけようと思った。しかし、すんでのところで思い止まってしまった。僕のような存在が、彼女に話しかけるなど恐れ多い――そんな気がしたからだ。

 どこか彼女は人間離れしているという印象を持っていた。他の誰とも関わらず、常に高みに居る「孤高」の存在だと認識していた。

 彼女が話すのは、聞いたことがなかった。一度彼女の声を聞いてみたいと思ったが、それは叶わぬままに卒業となった。


 クラスの大半は、地元では落ちこぼれ高校と言われる所に進学したが、僕はそこそこの進学校に進むことができた。

 彼女のおかげだと思った。彼女の姿が無ければ、僕は道を見失っていただろう。

 その後は、平穏な日々を過ごした。授業をぶち壊しにしようとするやからは居らず、すこぶる快適だった。高校では普通に授業を受けることができたので、成績は上がった。

 そのまま、地元では名の知れた大学に入学し、四年間で無事卒業して就職した。


 それから数年後の一月、あの時のクラスメイトから同窓会の誘いがあった。

 僕は面倒だと思いつつも、彼女のことを思い出した。

 当時はなんとなく聞けなかったが、今なら聞いてみても良いかもしれない。

 そう思って出席を承諾した。

 会場には、あの時の担任教師の姿もあった。

 僕は当時、比較的付き合いのあった奴に、彼女のことを聞いてみた。

「誰だ? それ?」

 最初、ふざけているのかと思った。

 だが、他の誰に聞いても彼女の話は出てこない。しまいには、僕の記憶違いだろうと言われてしまった。

 それをそばで聞いていた元担任は、突然聞いた。

「本当に……居たのか!?」

「え? 先生?」

「本当に、そんな女が居たのか!?」

 彼は既に酔っているのか、赤い顔をして僕の肩をつかむと激しく揺さぶった。

「は……はい。確かに見ました」

 僕がしどろもどろに答えると、彼の顔が見る間に青くなった。

「あの……先生?」

「違う! 俺は悪くない!」

「あの……」

「悪かったのは、あの学校だ!」

 半狂乱になった彼を、何人かが止めに入る。当時はヤンチャしていた連中も、昔よりは良識が備わっているのだな……と、妙なところに感心してしまった。

「何が、あったんです?」

 僕は男数人に取り押さえられている元担任に詰め寄った。

「どうしようも、なかったんだ――」

 彼は、渋々しぶしぶと言った様子で話し出した。


 彼が僕らの学校にくる以前、別の学校でも担任をしていた。

 しかし、そこも荒れており、イジメ等も絶えなかったという。

 その中で標的にされたのが、彼女だった。美しい容姿を持つ彼女は、周囲の嫉妬を買ったのだろうとのことだった。

 ことあるごとに彼女はイジメられたが、彼は止めようとしなかった。

 まだ新米で経験が浅く止めようがなかった――彼の弁だが、どうせ僕たちのクラスと同じように見て見ぬ振りをしたのだろうことは、容易に想像がついた。

 そうして、彼女は自宅で首を吊って自殺。遺書等はなく、学校から帰宅したばかりの制服姿だったことから突発的なものだと思われた。

 イジメていたグループは、こともあろうか授業中に酒で祝杯を上げていたそうだ。

 当時の学校は、責任を問われることを恐れて警察の捜査にも非協力的だったという。当然、彼も同様に知らぬ存ぜぬで通した。

 そのため、原因は不明のまま、イジメていた生徒たちは無事卒業していった。

 僕の見たのは、その彼女の幽霊に間違いないという。


「俺は悪くない! 当時の学校や社会が悪かったんだ!」

 周囲からは元担任に冷たい視線が突き刺さっている。それでも、彼は弁解という名の言い訳を続けようとする。

 それに我慢できなくなった僕は、無意識に彼のほおを殴っていた。頬の肉にこぶしがめり込む手ごたえがあった。

 周囲からは、歓声とも驚きとも分からない声が上がった。

「アンタが悪い! それを認めないから、彼女は――」

 それ以降は言葉にならなかった。

「違う! 違うんだ! 俺も本当は……」

 子どものようにぐずり出した彼は、一段とみにくく見えた。

「もういい! 帰る!」

 僕はそれだけ言うと、会場を飛び出していた。

 外の空気は寒く、頭が徐々に冷えていく気がした。


「ありがとう」


 どこからかそんな声が聞こえた。鈴のような声だった。

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