〖お題フェス「未知」〗玉座を降りた王🐾初めての恐怖

月影 流詩亜

前編 下僕の眼差しが告げる🐾運命という名の異変



 ​朝の光が窓から差し込み、床に四角い光の模様を描いた。

 この模様は俺、トラ様にとって「行動開始。下僕サトシに食事を要求する時間だ」を告げる神聖な合図である。


 俺はこの家の絶対的な王だ。


 ソファは俺の玉座であり、サトシは俺に食事と快適な環境を提供する従順な下僕である。

 俺の人生は、完璧な日常という名の規則によって統治されていた。


 ​いつものように玉座から立ち上がった。


 ​最近、ほんの少しだけ違和感がある。

 立ち上がるたびに、体が「重い」のだ。

 獲物(ねずみのおもちゃ)を追って走り回った日の後のような、わずかな疲労感。

 俺はそれを「最近のサトシの甘やかしで少し太ったせいだろう」と結論付けた。


 王たるもの、多少の重厚感は必要だ。


 大したことではない。


 ​ 俺は次の定位置である窓枠へと移るため、いつものようにソファと窓枠の間を跳躍しようとした。

 これは俺にとって息をするのと同じくらい簡単な儀式だ。


 ​ふっ、と軽く床を蹴った。


 ​◇


 ​跳躍するはずの俺の強靭な筋肉が、まるで鉛を流し込まれたように重く、力を失っていた。


 体は宙に浮いたが、軌道を修正できない。


 窓枠には届かず、ドンッと鈍い音を立てて私は床に落ちた。


「……何が起きた?」


 ​俺はすぐに立ち上がろうとした。


 王が床に転がるなど屈辱的だ。


 だが、足が震えて上手く踏ん張れない。


 まるで自分が、昨日までとは違う、馴染みのない重たい檻の中に閉じ込められてしまったかのようだ。


 ​ 俺の強さ、俺の速さ、俺の支配力……全てを可能にしていた「力」が、どこかへ消えてしまった。


 この初めて味わう感覚は、全くの未知であり、恐怖だった。


 王の体が、王の命令を聞かない。


 これは許されない反逆だ。



 ​◇


 ​床で混乱している俺に、サトシが慌てて駆けてきた。


「トラ!?どうした、大丈夫か!」


 ​最近、俺が少し跳び損ねたり、水を飲む回数が増えたりするのに気づいて、サトシも「気のせいかな」と流していた節がある。


 だが、彼は俺の様子を見て、それが気のせいではないと悟ったようだ。


 ​サトシは俺を抱き上げた。


 普段なら私は抗議するが、力が入らず、抵抗することもできない。


 ただ、彼の腕の中でぐったりとしているしかなかった。


 ​サトシの胸の鼓動が、普段よりも速く、強く響いている。

 彼が発する声は、いつもの「安心の音」ではなく、「焦燥」と「悲哀」という、未知の感情を帯びていた。


 俺の体の不調とサトシの感情の乱れが、強くリンクしている。


 俺に起こった未知の恐怖は、サトシにも伝わっているらしい。


 ​サトシは俺の背中を撫で、「ごめんな、すぐに病院に行くからな」と、俺には理解できない「未知の言葉」を繰り返した。


 それは、ただ事ではない「決定」を意味する響きを持っていた。



 ​◇


 ​次に俺が最も不快に感じる行為が始まった。


 俺はケージという牢獄に入れられ、『車』という、不安定な乗り物に乗せられた。


 ​そして辿り着いた場所は、消毒薬と病的な他の動物の匂いが充満する、不潔で未知の空間だった。


 白い服を着た人間(獣医)が、俺の体を触り、嫌な器具を当ててくる。

 そして、皮膚に鋭い痛みを伴う未知の行為(採血)をされた。


「シャーッ!」


 ​俺は威嚇の声を上げたが、それは微かに空気を震わせるだけで、すぐに引っ込んだ。


 俺は、自分がこんなにも無力であることを痛感した。

 俺の体に、一体何という未知の病原が入り込んだのだ?


 どうすれば、この理不尽な力の喪失を止められる?


 俺は無力感に震えながら、サトシの顔を見上げた。


 彼の顔は朝よりもさらに深く、悲しみに満ちた未知の表情をしていた。



 ​ ◇


 ​長い時間の後、家に戻ることができた。


 ​ サトシはすぐに食事の準備を始めた。


 だが、皿のカリカリには、不快な匂いのする粒(薬)が混ぜられていた。


 俺はそれを食べるのを拒否した。


 これは未知の、不純な異物だ。


 ​するとサトシは、皿を私の前に押し付け、低い声で言った。


​「頼む、トラ。食べてくれ。これ、お前のために必要なんだ」


 ​サトシの眼差しは、今まで一度も向けられたことのない、切実で、泣きそうな、未知の眼差しだった。


 ​ 俺は、この不快な粒を食べなければ、サトシがこの悲しい顔を続けるだろうことを理解した。


 俺の体がどうなっているのかは未知のままだが、少なくとも、この危機的な状況を俺はサトシと共有している。


 そして、俺の行動がサトシの感情を左右する。


 ​ 俺は迷った末、その不快な匂いの粒をカリカリと一緒に、まるで不本意な義務を果たすように少しずつ口に入れた。




 ​(後編へ続く)


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