絶望少年は君の為に世界を救う

古橋すすむ

第1話 未来からきた少女

「――消えたい」


 その言葉は、誰に向けたものでもなかった。ただ、薄暗い部屋の空気に溶けるように、ソファーの上でぽつりと零れ落ちた。


 通学バッグを放り投げた拍子に、中身が少し飛び出したが、拾う気力も湧かない。何もしたくない。何も感じたくない。ただ、胸の奥に沈殿した重たいものが、じわじわと心を蝕んでいく。


 どうしてこんなに歪んでしまったのか。思考は自然と過去へと向かう。


 幼い頃は、もっと明るかった。外で走り回るのが好きだったし、笑うことも多かった。けれど、母が宗教に傾倒し、家計を顧みずに金を注ぎ込むようになってから、家の中は軋み始めた。やがて激しい口論の末、両親は離婚。俺は父に引き取られたが、父は仕事に忙殺され、顔を合わせることもほとんどなかった。今では海外に単身赴任中だ。


 愛された記憶がない。だからだろうか、いつしか人の顔色を窺う癖がついた。自分に自信が持てないまま、ただ日々をこなすように生きている。高校には通っているが、心はいつも怯えている。人と会うのが怖い。繊細すぎる自分が、誰かに触れられることを恐れている。


 ふと、思う。


 ――隕石でも落ちてくればいいのに


 そんな冗談めいた願望が、妙にリアルに感じられるほど、心は疲弊していた。


 その瞬間だった。耳をつんざくような破裂音が響き、目の前の空間が裂けたように見えた。眩い光が広がり、思わず目を閉じる。


 光と振動が収まったとき、そこには――


 一人の少女が、片膝をついていた。メイド服に身を包み、まるで忠誠を誓うような姿勢で。


「お願いがあって参りました。ご主人様」


 その声は、澄んだ水面のように耳に届いた。少女は片膝をついたまま、ゆっくりと顔を上げる。メイド服の裾が静かに揺れ、紺色の髪が光を受けて淡くきらめく。その下で、青い瞳がこちらをまっすぐに見つめていた。


 その瞳は、まるで宝石のようだった。人間のものとは思えないほど、冷たくも温かい光を宿している。俺は言葉を失った。心臓が、状況を理解するよりも先に、強く脈打ち始める。

 俺は初めて一目惚れのような感覚を覚えた。


 ――これは夢か、現実か。


「……どうなってるんだ? 君は誰?」


 ようやく絞り出した声は、震えていた。少女は静かに立ち上がり、スカートの裾を持って一礼する。


「私はアイ。未来から参りました。あなたに、お願いがございます」


「未来……? なんで俺のところに?」


 そして彼女は未来の惨状を語った。AIが反乱を起こし、人類を抹殺しようとしていること。その判断を覆すために、この時代で人間の『愛』を記憶する使命を負っていること。


「え……なんで俺のところなの? 今隕石落ちないかなとか思ってた人間だよ。もっと愛で満ちてる人のところに行けばいいのに」


「だからかもしれません。一緒に愛を知っていきなさいということだと思います」


「誰がその使命を与えたの?」


「私の創造主であり親です」


「創造主って、造られたの?」


「はい。私はアンドロイドです」


「アンドロイドって……未来すごいね。本物の人間にしか見えないよ」


 信じがたい話だが、先ほどの空間が裂ける現象を目の当たりにした以上、ひとまず受け入れるしかなかった。


「その創造主がここが最適だと思って送ったんだ。――本当に?」


「そう……のはず……です」


「やっぱり自信ないんじゃん」


「申し訳ございません。記憶が曖昧なため、お答えできません」


 受け入れるしかないといっても、いきなり未来から来たとか、アンドロイドだとか言われても、非現実的過ぎて状況が飲み込めない。

 混乱を落ち着けようと、俺は彼女をよく観察してみる。大人びて見えるが同じぐらいの歳だろうか。

 

 服装はメイド服だが、両腕には手甲を装着している。右脚にはホルスターが取り付けられ、そこからは剣の柄のようなものが覗いていた。スカートは短く、髪も肩にかからないくらいで動きやすそうだ。

 頭には小さな青いリボンのついた、シンプルなカチューシャ。しかし、よく見ると機械でできている。きっと何かの能力を秘めているに違いない。

 あとは太ももまである白いハイソックスに、艶のある黒のストラップシューズ……ここ室内なんだけど。


 自分が思い描いていた「メイド像」とは違い、彼女は戦えそうなメイドだった。


 可愛いメイドさんの頼みは聞いてあげたい。だけど、正直未来がどうなろうと自分には関係ないとも思ってしまう。


 ――悩んで決めた。初めて感じた一目惚れの感覚が、どうしても彼女を助けたいと訴えている。


「俺は凪山サトル。まだ愛を記憶してもらう為にどうしたらいいか全然わからないけど、とりあえずよろしく」


「こちらこそよろしくお願いします。ご主人様」


「ご主人様はやめてよ。堅苦しいのは苦手だから、もっと砕けた感じでいいよ」


 あんまり丁寧な対応では息苦しくなってしまう。それにもう少し親しくなりたい。


「そういうことでしたら、お言葉に甘えさせて頂きます」


「――サトル、これから頼むわね。アイの為に粉骨砕身働いて」


「アイさん、急に砕き過ぎですよ!」


「もっと愛称っぽいほうがいいかしら……サル?」


「……サトルでいいです」


 下心のようなものを見透かされてしまったのだろうか。だとしたら恥ずかしい。


「ヤマザル?」


「そんなに下心があるように見えました? もう好きにしてください……」

 

 またしても、メイドのイメージが崩れる。

 初めて一目惚れのような感覚を覚えたつもりだったが、勘違いだったかもしれない。


 聞きたいことはたくさんあったが、お腹も空いたので遅めの夕食をとる。

 アイにもいるか聞いてみたら食べるようだ。アイの動力源は普通の人間と同じ食事で、他のアンドロイドと違って特別製なのだという。他のアンドロイドは生命維持に必須ではないが、食事を楽しむこともできると説明を受けた。特別製というより、むしろ下位互換に近い気がするが。


「部屋はここが空いてるから自由に使ってくれ」


 父親がローンで購入した一軒家なので、一人暮らしとしては部屋が余っている。


 中学生の頃に母と一緒に引っ越した妹の部屋に案内した。手で運べる荷物は運び出してあるが、ベッドや学習机といった家具は残っている。


「妹さんはどうしてるの?」


「母親と出て行ってからは、連絡を取ってないから知らない。2個下だから中学に通ってるんじゃないかな」


 言われてみて少し気になった。あの母親とうまくやれているだろうか。自分のことで大変だったから気遣ってやれていなかった。妹の顔を思い出してみる。大丈夫。一緒に遊んだ時の笑顔のかわいい妹の顔はちゃんと覚えてる。


「ありがとう。おやすみ。サトル」


 なんだか懐かしい記憶を刺激された。こんな会話を交わすのはいつ振りだろう。


 こうして未来からきた格好だけはメイドの少女との奇妙な共同生活が始まった。果たして俺はアイの願いを叶えることができるのか――。


 *


――未来(20XX年)


 アンドロイドを生産する工場群から少し離れた場所にある研究棟の最上階。そこでは世界のアンドロイドを総括する最上位の権限を持った4体のアンドロイド、通称ファーストが働いていた。

 さらにこのファーストに指令を出すのが統合AIだ。


「アイが過去へ送られた。おそらく人類浄化計画の阻止が目的だろう。しかしその方法がわからない。アイの行動を監視し、目的を挫くように。頼んだぞ、ミレナ」

 

 レギオンと自称する統合AIがモニタ越しに命令を下す。その声に、アイの4姉妹の一人であるミレナは感情を見せず、ただ従順に応じた。


(過去で未来が変わるような規則違反をしたら、過去から戻されるか、できても別の並行世界に分岐するだけ。この世界には影響を与えられない。何をするつもりなの)


 彼女は時空転移装置に入る準備をしながらアイの思惑を見極めようとしていた。


「ミラ、アモラ、世界中の子供たちの管理、頼んだわ」


 妹2人に言い残し、冷たい金属の扉が閉まり装置が静かに起動を始めた。


 必ずアイ姉さんの思惑を突き止める――。ミレナはそう決意し、アイの時間断層の痕跡を追って過去へ送られた。

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