3「月明かりが示す先」

 景烈は数瞬、固まってしまった。

「ほんとに美人なんだな。いや、宦官に美人っていうのも違うか。

 きれいな顔してる」

「よく言われる」

「生意気だな」

「それもよく言われる。医官殿は、見た目は武官のようだな」

「おう。俺もよく言われる」


 目が合うと、どちらともなく笑みがこぼれた。

 ぽん、と幞頭越しに額に手を当てられる。


「健康そうでよかった。ハリ艶もあるし、前なんてすっかり痩せこけて……ん?」


 え? と辰焔の中にも疑問が湧き上がった。


 だけど、景烈は不思議そうに小首を傾げるだけで、気の抜けた顔をしている。

「なんか見覚えある気がしたけど、気のせいだな」

「そ、そう」

 今生で会うのは初めてのはずだ。確かに辰焔が初めて辿った末路では老人のようにやつれてしまったけれど――どうして?


「それにしても小さいな、お前」

 特に気にした様子もなく、頭二つぶん上から降りかかる、少し憐れみを含んだ声。

 修行に身を置く者は、俗世を絶つため、幼少期に去勢手術を受けることもある。そのせいで、成長に差し障る。医官として、辰焔を前にそんなことでも考えているのだろう。

「医官殿が無駄にでかいんだ」

「まあな。しょっちゅう武官になれって言われる」


 頭に置いた手を離し、ボリボリと顎の無精ひげを掻いた。


「見た目は向いていそうだけど」

「ケッ。いつ死ぬかも分からない武官なんてやってらんねえよ。

 俺は無医村の出身でよ、流行り病で大勢死んじまった。

 それで医官になるために都に来たんだ。出世したら、無医村を減らせるよう偉い奴らに文句のひとつや二つ言ってやろうと思ってな。

 つっても、なかなか一筋縄じゃいかない」

「苦労したんだな」

「そういうお前もだろ?」

「私は……巫術師として育ったまでだ」

「そうか」


 出自のことは言えない。景烈も踏み込む気はなさそうだ。


「私も、これでも腕に覚えはある。明日の任務は、任せてほしい」

「はは。新入りの癖にずいぶんと自信があるんだな」

 バシンと強く背中をはたかれた。

「いった、何する!」

「呪いの類なら、危険が伴う。慣れないうちは無理すんな」


 軽く手を振りながら坂を下り始めた景烈。

 その広い背中を見つめながら、辰焔は高台に立ったまま「……優しい」と、宵闇に溶けてしまいそうなほど、か細い声が漏れた。

「あ?」

 振り向く景烈に、辰焔はなんでもないふうを装いながら、目線の高さが合った顔をまっすぐ見つめた。

「景烈」

 名前を呼ぶと、やはり胸が詰まる。それでも伝えなければならない本題はここからだ。

「覚えておいてほしいことがある。私は〈悟り〉だ。制御はできているから、普段は何を考えていようと、何も聞こえない。ただ、後から知られて疑われるのはいやだった」

「そうか」

 景烈はあっけらかんと請け合った。気味悪がられるのではないかと覚悟していたのに、拍子抜けにもほどがある。

「気にならないの?」

「は? 制御できてるんだろ。だったら別に関係ねぇじゃねえか。

 むしろ、その力使って、喧嘩っ早い武官たちが何考えてんのか見抜いてほしいくらいだわ。あいつら、稽古と称してやり過ぎて仕方ねぇし、酒の飲み方もなっちゃいねぇ」


 景烈は袖口をまくって見せた。

 幹のように太い腕に、「酷い痣と擦り傷……」と、辰焔は眉根を寄せる。


「おう。さっきみたいな奴、ウジャウジャいるぞ。お前も気をつけろよ」

「問題ない。それにしても、災難だな」

「まったくだ。けど、おかげでこういう危ない仕事が回ってくる。

 出世には加点になるから、悪いことばかりじゃねぇ」

「医官殿はよく喋る。心を読むまでもない」

「あー口が悪いのは減点されがちだな。特に妃の前では気をつけろって散々厳重注意食らったわ。いい生まれじゃねぇんだから、見過ごせってんだ」


 クス、と小さく吹いてしまった。

 景烈が横目で不貞腐れた眼差しを向けてくる。

「申し訳ない」

 口元を押さえて、まなじりを下げた。景烈は目を丸くし、ぱちぱちとまたたかせる。

「けど、頼りにしている」

「お、おう」

「そういえば、医官はどうして後宮に入れるんだ?

 男性の立ち入りは禁止なんだろう?」

 途端に、ぐにゃりを頬を引きつらせ、言い渋った。

「……お前、知らないのか」

「知らない。私は身分証を見せればそのまま中に入れる」

「……」

 顔を逸らして言い淀む景烈に、辰焔は俄然、興味が湧いた。とんとん、と坂を下って隣に立ってその顔を見上げる。


〈外で話すことじゃねぇよ、股間に鋼の檻をぶら下げるなんてよ〉


「へっ……くっ、ははははは! なんだ、そうだったの」

「おま、俺の考え読んだのかっ! 反則だろ!」

「だって教えてくれないから」

 顔を真っ赤にして「くそぅ」と額を抱える景烈に、辰焔はまたケラケラと声を立てて笑った。目尻に生理的な涙が浮かんでくる。

「こんなに笑ったのは久しぶりだ」

「そりゃよかったな。ま、とりあえず明日はよろしくな」

「こちらこそ」


 宮廷に来て三月。いや、時が戻ってから数年。心に溜まりに溜まったよどみが、ようやく溶けていくようだった。

 温かい気持ちが、じわりじわりと込み上げてくる。

 明日の任務だって、辰焔にとっては簡単なもの。

 早く終わらせて、時間が余ったら少しだけでも話せたらいいな。


 そんな淡い期待が浮かぶも、強い風が雲を流し、月を覆っていく。目の前は暗闇に閉ざされた。

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