偽装巫術師とあらくれ医官は、何度死んでも惹かれ合う

水野沙紀

後宮での呪い解決命令と再会

1「理不尽な命令と、あの人」

「お言葉ですが、この妃の元へうかがったのは私ではありません。

 そもそもこんな高位妃のところへ、新人の私が遣わされるはずないではないですか」


 大陸の東を占めるヤオという大国。

 都には巨大な宮廷がそびえ立ち、政務を執り行う外邸には、巫術殿ふじゅつでんという特殊な能力を持つ官吏が集まっている。


 その執務室に呼び出された新人の巫術師・辰焔シンエンは、お叱りを受けているところだった。

 渡された木簡もっかんを開いて、辰焔は目の奥に火花を散らす。


「本当に言葉が過ぎるな、お前は」

 窓を背に机に座る上級巫術師の道鍚ダオシは、辰焔の態度を低い声でたしなめる。

「だが辰焔、お前は後宮巫術師として登用された。

 後宮で起きたことには、責任を取ってもらわねばならん」


 軽く足蹴にする道鍚に向かって、辰焔はスッと目を細めた。

 相手は眼光を緩めない。

 頭に上った血が急激に引いていき、脱力感と醒めた心地を覚えた。


「そういうことですか。

 私のような新人であれば、どんな失態を犯そうとその首をねれば終わりますね。

 分かりました。失敗などいたしませんよ」

「おま……〈悟り〉を使ったか」

「ただの定石です」

「まったく小生意気な。妃たちから可愛がられているからと調子に乗るな」

「乗っておりません」

 木簡を最後まで読まずにカラカラと巻いていく。


 巫術を扱う者には、体系化された術式とは別に、それぞれ天から授かった固有の能力がある。

 辰焔には、生まれながらに人の考えを読む〈悟り〉が備わっていた。


 とはいえ、聡明な辰焔には、この上級巫術師の考えなどお見通し。

 後宮で妃に災いが起これば、それに関わった者に罪をなすり付けて事を終わらせられる。そうすれば、自分の身に害が及ぶことはない。

 そんな姑息な考えに、ささくれ立った気持ちを覚えつつも、仕方ないと諦める。


 ここ数カ月のあいだに、宮廷巫術師は五月雨式に登用されている。

 後宮で呪いや悪鬼が頻発しているせいだ。

 帝のお通いがあった妃ばかりが対象となり、子は流れるか、幼くして亡くなっている。

 世継ぎを育むための後宮が機能せず、尾ひれのついた噂話ばかりが一人歩きし、花の園も枯れ始めていた。


 そこで巫術師の出番となったのだ。

 だが、祓っても、防いでも、なぜか呪いや悪鬼のたぐいは入り込む。


 辰焔は木簡を小脇に抱えると、拱手きょうしゅをしてこうべを垂れた。

「己の役目は分かっております。お話がそれだけでしたら、失礼いたします」

 道鍚はふんっと鼻を鳴らし、「後宮での仕事だ。宦官のお前にはちょうどいいだろう」と嫌味を漏らした。

 それを背中で聞き流し、辰焔はそっと退室する。



 ……ここまでは、平静を保てていた……はずだ。

 回廊に出ると、強い風に煽られて幞頭ぼくとうを押さえた。ほうの袖がバサバサと顔に掛かる。それを振り払うと、袖の下、手首に巻いた鈴がちりんちりん、と高い音を立てた。

 はやる気持ちが、さらにたかぶっていく。

 辰焔は左右を見回し、人がいないことを確認すると、ぐっと顎を引いて足早に駆け出した。

 本来なら、知識人たる巫術師が見せてはいけない姿。だけど……。

 ついに来た。ついにこの日が来た。

 足音が回廊に響き渡っているが、心臓がドクドクとうるさくて、今は気にしていられない。


 人気のない建物の裏手で、木簡を開こうとして……手が震えていることに気づいた。何度もなんども開いて閉じてを繰り返す。

 朱い柱にもたれて、胸が膨らむほど深く息を吸った。青々とした香りが、風に乗って頬を撫でる。

 先刻は最後まで確認していなかった。見るのが怖かった。

 辰焔にとって、これは〈過去の焼き直し〉。

 だから、彼の名前がないはずは、ない……。

 生唾を呑み込んで、カラ……カラ……とゆっくりと開いていく。

 


 ――担当医官:景烈ジンリエ



 肺にいっぱいにたまった息が、ほぅと一気にあふれ出し、へなへなと腰から崩れ落ちる。

 胸にきつく巻いたさらしが少しだけ緩んだ気がした。

 巫術師用に仕立てられた外套の合わせ襟を直すと、地面についてしまった袖から、改めて鈴が小気味いい音を奏でた。気持ちを応援してくれている。


「やっと、会える……」


 柱にもたれかかり、頭をこてんと預けた。まぶたを落とすと、透き通るような青は閉ざされ、かつての記憶がまざまざと蘇る。


 最期は、月のない夜に、あの人の胸に抱かれて迎えることができた。

 どうして時が戻ったのかは未だに分からないが、景烈に会えることだけを期待して、来たくもない宮廷へやって来た。

 木簡を顔の前でぎゅうっと握りしめる。

 しばらくそうして気持ちを噛みしめると、辰焔は意を決して立ち上がった。


 文をしたためよう。


 任務で急に会うとなると、どんな顔をしていいか分からない。

 でも、どんな内容で?

 妃の件で相談があるといえば、性根がまじめなあの人なら来てくれるだろうか。

 口が悪いから、文句のひとつも言われそうだ。

 そんなことを想像するだけで、こそばゆい想いが込み上げてくる。

 なんでもいい。ひと目だけでも、会いたい。


 それに、伝えなければならないこともあるのだから。

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