かごめ封印
月音
第1話
――約千年前の京都、安倍晴明の屋敷
夜明けが近づいていた。
東の空が、わずかに白み始める。まだ暗いが、もう夜ではない。
ーー夜と朝の境界、陰と陽の狭間。
安倍晴明は、自室で一人、筆を走らせていた。
傍らには、禍津日神を封じた封印の記録。全国十三ヶ所に配置した結界の図。
そして――千年後を見据えた、計画。
「封印は…千年しか持つまい」
晴明は筆を置き、窓の外を見た。
「いや、持たせねばならぬ。だが、千年後……私はいない。この術を継ぐ者がいるな……」
晴明は立ち上がり、庭へ出た。
【勾玉の創造】
太陽が静かに姿を現し、初光が庭をなぞるように広がった。
その光はまるで意志を持つかのように晴明の手のひらへ集まり、形を成し始めた。
晴明は指先を噛み、血を一滴垂らした。深く息を吹きかけると、
光は輝きを増し、やがて完全な勾玉に形を変えた。
「あの世に持っていくとしよう」
晴明が勾玉を懐に収めたとき、背後に気配を感じた。
振り返ると、そこには十二の影があった。
十二妖――晴明と共に、禍津日神を封じた者たち。
「皆、集まったか」
「はい、晴明様」
妖たちが一斉に答えた。
【六芒星の封印設計】
晴明は、広げた日本地図の上に、六つの印をつけていた。
「封印は、六芒星の形に配置する」
晴明が筆で線を引くと、美しい六芒星が浮かび上がった。
北の果て――蝦夷地
東北の山――出羽
関東の港――下総
中部の森――尾張
北陸の地――加賀
九州の高原――肥後
六つの頂点が、線で結ばれていく。
「六芒星は、陰と陽が完全に調和した形」
晴明が説明する。
「上向きの三角は火・陽・天を表し」
「下向きの三角は水・陰・地を表す」
「この二つが重なり合うことで、最強の結界となる」
晴明が中心――京都に印をつける。
「そして、その中心に十三番目の封印を置く」
晴明の指が、京都の印を強く押さえた。
「六つの封印が日本全土を守護し」
「中心の京都で、全ての力が統合される」
「六芒星の力が、禍津日神を永遠に封じ続ける」
妖たちは、地図を見つめた。
完璧な六芒星。
そして、その中心に輝く京都。
「美しい…」
結が呟いた。
「ああ」
晴明が頷く。
「これが、千年続く封印の形だ」
【十二妖と十二支】
子(鼠):千尋(ちひろ)
丑(牛):巌(いわお)
寅(虎):小雪(こゆき)
卯(兎):澪(みお)
巳(蛇):時雨(しぐれ)
午(馬):颯(はやて)
未(羊):和葉(かずは)
申(猿):舞鳳(まお)
酉(鶏):朱音(あかね)
戌(犬):真琴(まこと)
亥(猪):豪(ごう)
辰(龍):結(ゆい)
「これから千年、お前たちには封印を守ってもらう。だが、それだけでは足りぬ」
晴明は十二妖の円の中心に立った。
「封印を維持するには、人々の力が必要だ。祈り、想い、絆――それらが、封印を支える」
「しかし、千年も経てば、人は忘れる。だから…」
晴明は微笑んだ。
「歌にしよう。童たちが遊びながら歌う、歌に」
【歌の創作】
「聞け。これが、封印を維持する歌だ」
晴明は、扇で一人一人を指しながら静かに口ずさみ始めた。
『かごめかごめ――』
妖たちは、息を呑んで聞いた。
『籠の中の鳥は――』
晴明は封印の石を見つめる。
「これは、私が封じた禍津日神のこと。籠の中に閉じ込められた、悪しき鳥」
妖たちは頷いた。
『いついつ出やる――』
晴明の声が、力を帯びる。
「出してはならぬ。いつまでも、封じ続けるという誓い」
『夜明けの晩に――』
妖たちは首を傾げた。夜明けなのに、晩?
晴明は微笑んだ。
「今がまさに、夜明けだ。だが、あえて晩と言う。矛盾した言葉こそが、封印を強固にする」
「封印を強固に…」舞鳳が呟いた。
『鶴と亀が滑った――』
晴明は、部屋の壁を指差した。そこには、鶴と亀の掛け軸が掛かっている。
「鶴と亀は、長寿の象徴。だが、それが滑る――これも、逆説だ」
『後ろの正面だあれ――』
晴明は、扇で顔を隠しながら真後ろを
当てる。
「さて、私の真後ろにいるのは…誰だ?」
妖たちは、お互いを見た。
晴明の真後ろには――結が立っていた。
「結か?」
「はい、晴明様」
結は静かに答えた。
「真後ろは結だ!」
晴明が朗らかに言うと、妖たちは一斉に笑った。
「ワハハハ!」
「当たりました!」
「結、お前が真後ろだったのか!」
結も、珍しく笑顔を見せた。
「なるほど…」
舞鳳は呟いたが、
その表情は、どこか硬かった。
晴明は扇をパチッと閉じた。
「この歌を、全国の童たちに教えよ。遊びとして、歌い継がせよ。すれば、封印は永遠となる」
「承知しました」
十二妖が、一斉に頭を下げた。
晴明は、朝日を見つめた。
「千年後…私の力を継ぐ者が、必ず現れる」
「その者が、お前たちと共に、再び封印をするだろう」
晴明は振り返り、妖たちを見た。
「待っていてやってくれ。そして、力を貸してやってくれ」
舞鳳が前に出た。
「晴明様、約束します。千年、いえ、それ以上でも…私たちは待ちます」
他の妖たちも頷いた。
「では、行け。全国へ散れ。そして、封印を守れ」
「はい!」
妖たちが、一人ずつ消えていく。
最後に残ったのは、結だった。
「結」
「はい」
晴明は静かに問うた。
「……気づいたのか。十三番目のことを」
結は静かに頷いた。
「はい」
「すまぬが、皆には黙っていてくれるか」
「はい」
結は視線を落とし、拳を握りしめた。
「……できることなら、私が代わりに」
「お前は、優しいな」
晴明は微笑んだ。
結は何も言えず、ただ深く頭を下げた。
そして、静かに消えた。
「さあ、始まりだ。千年の、封印の歴史が」
◇◇◇
ーー現在
帝都大学の片隅。
廃部寸前の狭い部室で、桃矢は一人机に向かっていた。
所属は「民俗怪異研究会」。
かつての部員は全員卒業し、今では桃矢だけが残っている。
それでも彼は、かごめの封印に関する文献を探し続けていた。
最近、ネットの奥深くで奇妙な地図を見つけた。
『十三ヶ所の封印点』と記された、手描きの不気味な地図。
投稿者のアカウントは削除され、誰が描いたのかさえ分からない。
だが十三の印だけが、妙に桃矢の脳裏に焼きついて離れなかった。
「……明日から夏休みだし行ってみるか」
独り言を呟き、リュックを肩にかける。
その底には、彼が生まれた時に握っていた勾玉がしまわれていた。
淡い乳白色の、不思議な石。
由来は不明。家族は「お守りみたいなものだ」と言うだけ。
母は言っていた。
「あなたが生まれた時、小さな手にこれを握っていたの。誰が渡したのか、誰も知らない」
桃矢自身も深く考えたことはない――
今日までは。
◇◇◇
市街地から離れた雑木林の先。
地図が示した“第一の封印地”は、古い祠の跡だった。
折れた鳥居。崩れた祠。苔むした礎石。
切れた注連縄と色褪せた御幣が、風にかすかに揺れている。
「……荒れてるな」
その瞬間――
リュックの中で、カチリ、と硬い音が鳴った。
「……ん?」
勾玉がひとりでに飛び出し、
空中でふわりと浮かび上がって光を放ち始めた。
「……え? なんだよ、これ……!」
次の瞬間、桃矢の耳に低く苦しげな声が響く。
『……失せろ』
耳元で囁かれたようで、頭蓋の奥へ直接流れ込んでくるような声。
「誰だ……?」
周囲を見回すが、誰もいない。
声は強まり、
『失せろ……失せろ……ッ!』
頭痛が鋭く突き刺さる。
膝が崩れそうになる。
足元の落ち葉がざわりと逆向きに揺れた。
風がないのに。
そこから黒い煙のような"何か"が湧き出した。
それは煙でも影でもない――
憎悪そのものが、形を持とうとしているような。
空気が冷たくなる。
息が白くなる。
全身の血が、逆流するような感覚。
形の定まらない影。生き物のような意思だけがこちらに迫る。
桃矢の背筋が凍りつく。
「……っ、なんだよ……これ……!」
影が伸びて触れようとした瞬間――
勾玉が閃光を放ち、影を焦がすように後退させた。
まるで「桃矢に触れるな」と言わんばかりに。
それでも声は止まらない。
『失せろ……戻れ……戻れ……ッ!』
呻くような声が頭に響き、桃矢は後退した。
頭が割れそうだ。視界が揺れる。
「くそ……なんなんだ……この声……!」
誰だ。何が起きている。
そして――なぜ、自分の勾玉が反応している?
『……継ぐ者よ……来たか……ようやく……』
先ほどとは違う声。
深く、静かで、諦めと希望が混ざったような声。
桃矢は、光と闇の狭間で息を呑んだ。
次の瞬間――
──ズゥ……ッ……
空気が歪むような湿った音。
祠の奥から、新たな黒煙があふれ出し、桃矢へ伸びてくる。
『……去れ……』
声が頭に直接響く。
桃矢は耳を塞ぐが、声は止まらない。
『去れ……近づくな……ぁ……』
勾玉の光が脈打つたび影は後退するが、
すぐに憎悪を増したように形を変えて襲いかかってきた。
「う、うわ──!」
桃矢は後ずさって石段に足を取られ、体が傾く。
影が迫る。全身が凍りついた。
──その刹那。
風が爆ぜた。
いや、それは風ではなかった。
白い光が弧を描き、黒い影を切り裂く。
軽い着地の音。
白い装束が、風に揺れる。
「──間に合ったか」
前方から聞こえた低い声。
銀色の瞳が、桃矢を一瞥した。
前方から聞こえた低い声。
黒い影が真っ二つに裂け、悲鳴のような音を立てて消える。
静寂が戻った。
桃矢は、呆然とその背中を見上げた。
銀の瞳。風に揺れる前髪。
白い装束の青年――まるで光の残滓をまとっているようだった。
青年はゆっくり振り返る。
「お前……大丈夫か」
「え、あ……はい。でも、今の何──」
桃矢の言葉を遮るように、青年の瞳が細められる。
視線は、桃矢の胸元……いや、宙に浮かぶ勾玉へ。
「……まさか」
青年は小さく息を呑んだ。
「その勾玉……お前が“継ぐ者”か」
青年は一歩近づく。
「俺は舞鳳まお。申の妖だ」
「……妖……?」
「千年前、安倍晴明様と共に禍津日神を封じた十二妖のひとり。
この封印地を守っている」
「封印……? 十二妖……?」
情報量が多すぎて、頭が追いつかない。
舞鳳は祠を振り返りながら言う。
「ここは十三ヶ所ある封印地のひとつ。
晴明が禍津日神――災厄の化身を封じた場所だ」
桃矢は息を飲んだ。
「十三ヶ所……俺が見つけた地図と同じだ」
「お前がその勾玉を持っているなら、導かれるのは当然だ」
舞鳳は勾玉を見る。
「晴明は千年前、自分の力を継ぐ者が現れると予言した。
その証がその勾玉だ」
光は静かに輝いている。
「俺が……継ぐ者……?」
「おそらくな」
舞鳳の表情が曇る。
「封印は限界に近い。このままでは崩壊する。
お前はその勾玉で封印を強化できるはずだ」
「で、でも俺、何も……」
「今はまだだ。だが一緒に封印地を巡ってくれ。
十二妖は千年、お前を待っていた」
舞鳳は桃矢の肩に手を置いた。
◇◇◇
歩きながら舞鳳は言う。
「十三ヶ所の封印地には、それぞれ俺たちが配置されている」
「十三ヶ所なのに十二妖……?」
「俺は二ヶ所を守っている。十三番目は特別だから……」
「なんで舞鳳だけ……?」
「いずれ分かる」
舞鳳は古びた紙を取り出した。
「これが封印地の配置図だ。
お前の見つけた地図より正確だ」
「次はどこへ?」
「北だ。子の妖・千尋がいる地」
舞鳳は歩き出す。
「行くぞ、桃矢」
「あ、はい!」
桃矢は慌てて後を追った。
勾玉は静かに光っている。
――「これでいい」と言うように。
雲の切れ間から光が差す。
千年前の封印。十二妖。そして自分の運命。
まだ何も理解できていない。
だが、
「待っててくれ……みんな」
桃矢は小さく呟いた。
こうして、封印を巡る旅が始まった。
だが、桃矢はまだ知らない。
十三番目の封印地に、何が待っているのかを。
そして、自分がなぜ選ばれたのか――その理由を。
勾玉が、静かに脈打った。
まるで、何かを語りかけるように。
かごめ封印 月音 @tsukishimamomo
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