第2話 狼少年と誤解

「はあ? うっかりローンチボタン押しちゃって、校舎が宇宙に飛び出した? バカ兄、まだ寝ぼけてんの?」


 鈴音は呆れ果てたように溜息をつき、俺の額に手を伸ばそうとする。熱があると思われているらしい。

 だが、俺は本気だ。いや、本気で焦っている。


 俺は必死の形相で、三画面コンピューターの中央モニターを指さした。


「いいから、この画面を見ろ! この分厚い雲海を! これは校舎の下部に設置された外部カメラの映像だ。俺たちは今、物理的に地球を離れてるんだよ!」


「はいはい、すごいすごい。高画質なスクリーンセーバーだね。もう子供じゃないんだから、そんな合成映像であたしを騙せると思わないでよね」


 鈴音は鼻で笑って、スマホの画面に視線を戻してしまった。

 ……やばい。日頃から、編集技術を悪用して鈴音をからかっていたツケが、最悪のタイミングで回ってきた。

 今まさにここで繰り広げられているのは、現代版『狼少年』の寓話だ。


 俺は頭を抱えたくなったが、ふと重要な事実に気づく。


「待て、鈴音。さっき『隣の部屋で練習していた』って言ったよな?」


「そうだよ」


「ってことは……バンドメンバーの『スターダスト』の連中は、全員隣にいるのか?」


「うん。休憩中だから、みんなスマホいじったり寝たりしてるけど……」


 俺は天を仰いだ。

 被害者が増えた。俺と妹だけでなく、学園のアイドルたちまで巻き添えにしてしまったらしい。

 どう弁解すればいいんだ。切腹か? 宇宙空間で切腹すれば許されるか?


「鈴音、スマホの電波強度を確認してみろ」


「え? なんで急に……」


「いいから! 圏外になるはずだ。もしまだ地上にいるなら、俺の編集技術がどんなにすごくても、電波まで偽造できない!」


 鈴音は怪訝そうな顔をしたが、言われるままにスマホの画面を見つめた。

 その顔色が次第に青ざめていくのが分かった。


「……あれ? さっきまでフルだった筈なのに……圏外?」


 彼女は何度か機内モードの切り替えを試みたが、状況は変わらない。


「ウェブページも……読み込めない。もしかして、本当に飛んでるの?」


「だからそう言ってるだろ」


「やばい……たぶんそれ、あたしたちのせいかも」


「は? なんでそうなる」


 俺がボタンを押したからだ、改めて強調しようとした矢先、鈴音が震える声で予想外の推理を披露した。


「だって、今回の新曲……サビの最後の歌詞が『広大な宇宙へ飛び立て!』なんだよ」


「……は?」


「メインボーカルの夏帆かほ先輩がそのフレーズを熱唱した直後に、すごい振動があったの! タイミングが完璧すぎたし……たぶん、それがトリガーだったんだと思う」


 つまり、俺がポチッた発射ボタンのせいではなく、花園夏帆はなぞのかほの熱いソウルが物理法則を無視して校舎を打ち上げたと言うのか。


 そんなマ〇ロスみたいな設定、あるわけがない。

 言霊魔法なんてファンタジーも存在しない。


(いや、まてよ……?)


 俺は冷静に考える。

 もしかして、このハイテク宇宙船には『音声認識機能』が付いていて、偶然その歌詞を起動コマンドとして誤認した可能性は――?

 いや、それにしたってセキュリティガバガバすぎるだろ。


 俺が「違う、俺のクリックミスだ」と言い出せずにいると、突如として頭上からノイズ混じりの音が響いた。


『――ピン・ポン・パン・ポーン♪』


 間の抜けたチャイム音。だが、それは校内放送のスピーカーからではなく、制御室の埋め込みスピーカーから直接響いていた。


『あー、あー。マイク・オーケー』


 どこか愛嬌のある、透き通るような少女の声がスピーカーから響いた。

 さっきの無機質なカウントダウンとは打って変わり、まるでデパートの案内係のような丁寧な口調だ。


『ごきげんよう、ご搭乗中のお客様。ようこそ、星の船へ』


「……は?」


『わたくし、本船の案内係ナビゲーターを務めます、自律型AIのユメミと申します』


 ユメミと名乗ったその声は、嬉々として告げた。


『これより当船は、地球圏からの離脱は見事に成功いたしました! パチパチパチ』


 スピーカーから、自画自賛の拍手音が流れる。

 だが、次の瞬間、彼女は申し訳なさそうに、けれどあくまで事務的なトーンでこう続けた。


『しかしながら、お客様に一つだけ、ささやかなご報告がございます』


「……報告?」


『はい。先程の急発進により、本船の備蓄エネルギーは――間もなく、底をつきます』


「は?」


『現在はエンジン停止中。宇宙船は漂流状態にある。つきましては、生命維持を最優先するため、ただいまより「重力制御システム」をオフにさせていただきますね』


 え、待っ――

 そのアナウンスが終わるか終わらないかの、絶妙なタイミングだった。


 フワリ、という浮遊感が全身を包んだ。

 足の裏から、床の感覚が消える。

 胃袋がせり上がるような、エレベーターが急降下する時特有のあの感覚。


 俺の身体は、物理的な重力の枷から解き放たれ、ゆっくりと空中へと投げ出された。


「……うわっ!?」


 隣で短い悲鳴が上がった。

 見れば、鈴音も宙に浮いていた。彼女の長い髪がクラゲの触手のように広がり、スカートの裾がふわりと逆立っている。


 ギターケースが、スマホが、飲みかけのペットボトルが、キラキラと輝きながら俺たちの周りを漂い始めた。


『それでは皆様、今後のエネルギー補給プランについて、前向きなご相談をさせていただきたく存じます』


 無重力空間に、ユメミの能天気な声だけが響き渡る。


『至急、中央管制室メインスタジオへお集まりくださいませ。』


 ……笑顔でとんでもない状況へ叩き落としてきやがった。


 どうやら俺たちの宇宙漂流生活は、ポンコツAIと共に、天地の区別もない混沌の中から幕を開けるらしい。

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