燃える諭吉

日野球磨

寒っ


 朝方、目を覚まして窓の外を見ると霜が降りていた。

 既知の景色は白一色に染まっていて、まるで乳白色の海のようにも見える冬特有の風物詩だ。


 しかし、それを愉しんでいる暇はない。

 何しろ寒い。

 寒いのだ。

 時刻は午前六時手前。太陽は既に顔を上げているけれど、その活気が大地を温めるには時間が不十分すぎる。

 窓に近づくだけで全身が凍り付いてしまいそうなものだから、景色を眺めることを諦めて、程よく窓から距離を置いた私は、とにかくこの寒さを何とかするために暖房器具のスイッチを入れた。


 石油ストーブのばね仕掛けのスイッチが深く沈むと、カチカチと火打石を打ち付けるような音が響き、ストーブの真ん中に火が灯る。


 暖かい。


 今日一日の間、ずっとここに居たいと思う。

 まあそれが許されるわけがないので、早々に近くに放り捨てられた半纏を羽織って顔を洗いに行った。


 それから数十分後。一通りの朝の支度を終えて朝食にパンを持ってきた私は、またもやストーブの前に立ち往生してしまう。


 支度を終えたとはいえ、まだまだやることはある。

 けれどどうにも、温度という誘惑には抗えない。夏には冷めたフローリングと一体化することに熱中するし、冬になればストーブかこたつか布団の中で、猫のように身を丸めていたい気分になる。


 なお、私の家にエアコンはない。

 あっても多分使っていない。

 貧乏性なのだ。電気代高いし。


 なので今日も石油ストーブの前に陣取って、手ごろな本をぱらぱらとめくっていた。


 そんなおり、ふとある用事のためにお金が必要であったことを思い出した。戸棚に隠すようにしまっている貯金箱の中から、必要分のお金を取り出す必要がある。


 しかも急ぎの用事だ。いや、急がないといけないぐらいに、用意を保留していたせいなのだが――思い出した時にやっておかなければ、また忘れてしまいそうだったので、私は渋々石油ストーブから離れて、貯金箱を探した。


 もちろん、貯金箱を持ってきた私は石油ストーブの前に舞い戻る。金を数えるにしろ、何にしろ、寒いとやってられないのだ。


 その頃になれば、部屋の中は十分に温まっているはずなのだけれど、やはり石油ストーブの暖かさにはかなわない。


 まるで火に群がる蛾のように、半纏をひらめかせて胡坐をかく。そして貯金箱を開き、一枚二枚と小銭を数える。


 しかし途中で気が付いた。

 千円札が足りない。

 仕方がないと、私は一万円札を両替するプランを構想。用事へ向かう道すがらで、どの店に寄ってこの一万円札を解体するか、頭の中で検討していたところ――ふと、私の目に石油ストーブの火が入った。


 火はちろちろと艶めかしく揺れていて、その先端は踊り子のように右へ左へ舞っている。

 私は左右に揺れるその火の動きを、自然と目で追っていた。


 誘蛾灯の効果をその身で実感した気分だ。

 やはり火には、人を引き付ける何かがあるらしい。


 しかもその左右に振れる様は、催眠術的暗示効果でもあるかの如く、私の心の内側の暗澹とした部分を引きずり出して来た。


 五円玉を紐でぶら下げてあれやこれや、だなんて古典的な催眠術ではないけれど、私は魔法にかかったように、急激に意識のすべてがある一点に注がれていくのを感じた。


 金だ。

 一万円札だ。

 私は今、一万円札を見ている。


 私が持つ一万円札は新札ではなく旧札。

 表面にデザインされている偉人は渋沢栄一ではなく福沢諭吉だ。


 私は一万円札に印刷された福沢諭吉と目が合った。

 いくつもの折れ線が付いたその一万円札は、実に歴史を感じさせる一枚であり、福沢諭吉の尊顔を真っ二つにするかのような折れ線が入っている。


 私は学問のすゝめを読んだことはない。

 更に付け加えれば、福沢諭吉という人物に対して、歴史上の偉人である以上の評価を持っていない。


 即ち無感情であるということだ。


 しかし、この金には恨みがある。

 いや、恨みというよりも僻みというか、とにもかくにもあまりよろしい感情ではないものを、私は金に対して思っているのだ。


 そしてそれはやはり気持ちの良い感情ではなく、それを無理やり押し込めた我慢の箱の中には、それはもうたまりにたまった鬱憤が眠っていることだろう。


 ひっくりかえしでもしたら、子供のおもちゃ箱が散らばるよりも悲惨な結果になることはわかり切っている。


 けれど、この瞬間の私の心には、そんな薄暗い感情が迸っていた。


 手には一万円札。

 目の前には石油ストーブの火。


 自分の知らない、破壊的衝動が腹の奥底から込み上げてきた。


 福沢諭吉が語っている。

 この一枚のかみっぺらには、大変すばらしい価値があるのだぞと。

 果たして一万円があれば何ができだろうか?

 まず当然だが、私が愛してやまない物語を綴った書籍を購入することができるだろう。漫画だって好きなように買えるし、昨今の物価高の影響をもろに受け続けているゲームの値段も気にする必要はない。


 外食でもいい。焼肉に寿司、蕎麦屋うどん屋ラーメン屋、実に自由な選択肢が私の前に広がっている。映画だって五回は見れる。遊園地や動物園の入場料は果たしてどうだろう? 演劇やライブは……少し怪しいが、席を選ばなければいいだけだ。


 とにもかくにも、一万円は大した金額である。


 贅沢な金額である。


 そんな一万円を燃やすというのは、どのような感情が沸き起こることだろうか。


 まったくの未知だ。

 興奮か、はたまた虚脱か。


 価値のあるものを無意味に破壊するという好奇心が、私の背中を撫でた。


「……火事は怖い」


 けれどあと一歩のところで私は踏みとどまることに成功する。

 やはり冬場、燃やしたものの始末に手間取り火事を起こしたくはなかったのだ。


 そもそも考えてみれば、そんな勿体ない使い方、刹那的な使い方はしたくない。少なくとも私にとって、一万円は大した金額なのだから。


 ああ、バカらしいバカらしい。

 ぼんやりと暖かい場所で呆けていたせいで、変なことを考えてしまったに違いない。


 そう思って、私は石油ストーブの前から退いた。


 それからトイレに行こうと、暖房の暖かさが行き届いていない廊下に出た時、ふと思った。


 人間は好奇心を糧として発展してきた生き物だと。


 思えば、世界にはそんなことばかりだ。

 未知を明かす行為は、人間にとって最大の快楽であるように思えてならない。


 近所の噂好きのおばさんは何を思って噂を集めている?

 今やジャンルの一つとして定着したミステリーは、どうして支持を得ている?

 人はどうして、人の考えていることに興味を持つ?


 ぞくりと私の背中に悪寒が走った。


 いつか私は、福沢諭吉を、或いは渋沢栄一を、或いはそのほかの偉人を、燃やしてしまう日が来てしまうやもしれぬと。


 ああ、寒い。

 こんな日には、やはり火が欲しいものだ。

 トイレ行くの嫌だなぁ。

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