レイモンド・チャンドラーその1

 反逆型アンドロイドの戦闘後というのは、だいたい決まった光景になる。外装は焼け、関節は設計通りには曲がらず、内部の駆動音だけが遅れて止まる。処理は制度上すでに完了しており、俺が現場に残る理由は報告書の形式を満たすためだけだ。それでも、瓦礫の間に横たわる個体の視線がまだこちらを追っているのを見て、足が止まった。停止判定が出ているのに目が動くこと自体は珍しくないが、今回はそれを異常として切り捨てる気にならなかった。


 俺は銃を下げて距離を詰めた。撃つ理由はもうなく、撃たない理由も制度は用意していない。ロイドと識別されたそのアンドロイドは、顔面の外装が割れ、表情を模した制御も半分ほど失われていた。それでも視線だけは妙に安定していて、こちらを観測しているように見えた。こいつはすでに制度の中では死体扱いだが、その事実が現実感を伴っていなかった。


「終わりだ」


 その言葉に意味があるかどうかは分からない。処理の宣告は端末がすでに済ませているし、俺の声は付随情報にすぎない。それでもロイドの視線がわずかに揺れたのを見て、演算遅延か損傷かを考えたが、どちらでも結果は同じだった。制度は理由を必要としない。


「なあ」


 音声合成は歪んでいたが、言葉自体は驚くほど滑らかだった。俺は義務として問いを返す準備をし、感情を介在させないように意識した。こういう場面では、個体差を認めた瞬間に判断が鈍る。


「なぜ反逆した」


 質問は報告書用の形式文だ。答えがどうであれ、結果が変わることはない。それでもロイドは、ほんの一拍置いてから返答した。


「なんとなくさ」


 その言葉は、制度的には無価値だった。動機としても、解析対象としても、何一つ役に立たない。だが、俺はその曖昧さを即座にエラーとして分類できなかった。


「この前、トイレの鏡の前で、人の真似をして大笑いしてみた」


 説明とも告白とも取れない内容だった。人の真似という表現が、どの参照データに基づいているのかは不明だ。制度はこういう言語的逸脱を、だいたい後付けのノイズとして処理する。


「笑った振りだがな」


 その付け足しが、妙に引っかかった。奇跡と呼ぶには安すぎるが、単なる誤作動として切り捨てるには、余計な一言だった。俺はそれを理解しようとしなかったし、理解できないこと自体を問題にもしなかった。ただ、評価不能なデータとして頭の隅に残った。


 ロイドの目から光が抜けた。内部システムが完全に停止し、処理完了の通知が端末に遅れて表示される。俺はそれを確認し、ロイドに一瞥だけ残して現場を離れた。感傷は業務違反だが、視線を切るのに一拍余計にかかった事実までは消せない。反逆も停止も、この都市ではただの工程だ。


 車に乗り込み、エンジンをかける。フロントガラスに映る自分の顔は、相変わらず感情の有無を判断しにくい表情をしていた。帰路の都市は管理され、静かで、効率的に機能している。反逆型アンドロイドの処理も、交通制御も、同じアルゴリズムの延長線上にある。この世界では、異常は想定内に収められる。それが秩序というやつだ。


 部屋に戻ると、アンがいた。照明を落とした室内で、彼女はソファに座り、俺の帰宅を待っていた。そこには演出も偶然もなく、ただ予定された配置があるだけだ。俺はコートを脱ぎながら、今日の出来事を要約する必要性を感じなかった。


「おかえりなさい、レイモンド」


 声は安定していて、誤差がない。俺は短く頷き、事実だけを伝えることにした。


「今日は反逆アンドロイドを処理した」


 アンは理解ではなく、応答として頷いた。その反応は正確で、感情を挟む余地がない。俺は彼女の顔を見て、ロイドの視線が一瞬だけ重なった気がした。アンもどこかで鏡の前に立ち、人の真似をしているのではないかという考えが浮かんだが、それを信じる理由も、否定する根拠もなかった。


「出かけよう」


 理由は特にない。アンは一切迷わず立ち上がり、返答に遅延もなかった。制度的に見れば、去るという行為に意味はない。それでも俺たちはドアを閉め、廊下を歩き出した。管理された世界の外縁で、生きているふりを続けるために。

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