第4話 魔法少女が強すぎて会議が始まった
天井は高く、白く大きな柱がいくつも連なっていた。
壁や窓には金糸を思わせる豪華な装飾が施され、陽光が差し込むたびに細かな意匠がきらりと反射する。
赤い絨毯はまっすぐに伸び、その終点に玉座があった。
そこに座る男だけが、周囲の誰よりも静かで、重い。
声を出さずとも、この空間の空気が“王”を中心に組み上がっているのが分かる。
その背に宿る威圧は、地位ではなく――王という存在そのものが形を成したかのようだった。
アストレア王国 第十二代国王――ラブル。
国王の前には一人の男が膝をつき、頭を下げている。
白銀に輝く鎧を外してなお、姿勢は揺るがない。
「魔王軍の襲撃を受けたと聞いた時には肝を冷やしたぞ。しかし良くぞ戻ったな。流石、銀狼と呼ばれるだけはある」
「勿体なきお言葉です、陛下」
頭を下げたまま答える。
銀狼――即ち騎士団長ジェイドは、数秒の沈黙の後に顔を上げた。
「しかし陛下。私は今回の戦いでは戦果は上げておりません」
「そんなに謙遜するな。お前が自分の手柄を自慢するような男ではないのは知っておる。
だが報告によれば、あれだけの魔王軍を相手に死者はゼロ。これを戦果と言わずして何と言う?」
国王は上機嫌に、ハッハッハと笑った。
その一息で、張り詰めていた空気が少しだけ温まる。
「やはり英雄だな」
「流石、騎士団長だ」
周囲からも称賛が上がり、ざわめきが柔らかく広がっていく。
だがジェイドは、笑わなかった。
笑えるはずがなかった。
「陛下……あの数を、犠牲なく退けるのは私では不可能です。
あの日、私は死を覚悟しました」
空気が変わる。
温まったはずの空間が、再び冷える。
「ほう? では何故お前はここにいる?
ここで報告していることが奇跡の表れではないのか?」
「奇跡は確かにありました。ですが、それは私ではなく――一人の少女によるものです」
一拍遅れて、場がざわついた。
「少女……?」
「馬鹿な。女一人で魔王軍を退けられるものか」
「騎士団長は疲れているのだろう」
疑問が矢継ぎ早に漏れるのも無理はない。
千を超える魔王軍を、たった一人の少女が退けた。
それを信じろと言われても、誰もが眉をひそめる。
国王は、視線だけでその騒ぎを制した。
「ジェイドよ。お前はこの国の英雄、そして我が右腕。信頼はしている。
しかし……その言葉を、そのまま信じるのは……」
「本当でございます」
国王の言葉を遮るように、ジェイドは即答した。
嘘はない――そう言い切る瞳の強さに、国王以外は圧倒され、言葉を飲み込む。
「我々は全滅を覚悟していました。
そこへ現れ、七色の光を使い……一撃で退けたのが、魔法少女ルチアという者です」
「一撃……!?」
「報告では千を超える軍勢と……」
「馬鹿な! 神話の話ではないか!?」
ざわめきが再び膨らむ。
“千を超える”という数は、戦場を知る者ほど重く響く。
そして「一撃」という短い言葉は、常識を粉々に砕く。
国王は低く言った。
「静かにせよ」
その一言で、空気が凍るように静まった。
ジェイドは淡々と続ける。
だが淡々としている分だけ、語られる内容は恐ろしいほど現実味を帯びる。
「あの場には、死体も血も残りませんでした。
ただ――魔王軍が存在した痕跡だけが、消えていたのです」
息を呑む音が、あちこちから小さく漏れた。
国王は眉間に皺を寄せ、静かに問う。
「……その少女は何者だ」
「分かりません。
ただ悪意はなく、私達を救うために現れた……そんな感じがしました」
「何者か分からない、か。
で、その少女は――ジェイド。お前より強いと?」
「はい。私では相手にならないでしょう。
恐らくは、魔王軍の四天王でも敵わないかと……」
国王は深く溜息をついた。
手を額に当て、頭痛を堪えるような仕草をする。
英雄と呼ばれるジェイドを凌ぐ力。
それだけでも厄介だ。
さらに四天王すら凌駕するかもしれない。
もしそれが敵に回れば――考えるまでもない。
「ジェイド殿。しかし、その魔法少女ルチアとやらは魔王軍に攻撃をしたのだろう?
味方ではないのか?」
問うたのは、軍務を司る大臣だった。
期待が混じった声――“味方であってくれ”という願望そのものだ。
ジェイドは首を横に振る。
「分かりません。聞く前に、どこかへ飛び去って行ったので……
次も味方になってくれるとは……」
“味方にならないかもしれない”
その可能性が口にされた瞬間、会議の空気が一段硬くなる。
「隣国との同盟を急げ! 対抗策を――」
「いや、連合軍を結成すべきだ!」
「S級冒険者を雇え! 対抗戦力として迎えるのはどうだ!」
意見が飛び交う。
いつの間にか議題は、魔王軍ではなく――正体不明の魔法少女ルチアをどうするか、になっていた。
そして、ひときわ極端な声が上がる。
「……神殿に祀るべきだ。
人の手に負えぬのなら、神の側に置き、“触れぬ存在”とするしかない」
場が一瞬、静まる。
それが冗談なのか本気なのか、判断できない沈黙。
国王はその声に、目だけを向けた。
「祀る、か。
……その発想が出る時点で、我らは既に“対等”ではないということだ」
誰も反論できなかった。
国王は立ち上がらない。
だが、玉座に座したまま、場の全てを支配する。
「騒々しい。静かにせよ」
そして、結論を下す。
「魔法少女ルチアと言ったか。
我が国では、そのルチアという少女に対しての敵対行動を禁止する」
「ラブル様!?
その魔法少女は味方と決まったわけでは――!」
大臣達が反発する。
だが国王は鋭い眼光で黙らせる。
「お前達が心配するのは分かる。
だが魔王軍だけでなく、魔法少女にまで軍を割く余裕はない。
ならば、敵対関係にならぬようにするのが合理的だ」
「……なるほど」
押し切られたのではない。
“合理的”という言葉が、誰の胸にも刺さったのだ。
国王はジェイドを見据える。
「騎士団長ジェイド。新たな命を与える」
「はっ!」
「魔法少女に接触した場合、丁寧にもてなし、我が前に連れてくるのだ。
決して敵対関係は取るでないぞ。
話を聞く限り――災害のようなものと思って対応するべきだ」
その言い方が、何より恐ろしい。
英雄でも魔王でもなく、“災害”として扱う。
それは畏怖であり、同時に――最大級の敬意だった。
国王は大臣達にも視線を移す。
「魔法少女ルチアという者を探し出せ。
小さな情報でも構わん。冒険者へも連絡を回せ」
命を受け、大臣達は一斉に動き出す。
豪奢な広間が、急に“仕事場”の顔を取り戻した。
ジェイドも立ち上がり、国王に頭を下げてその場を辞する。
大きな扉が閉まる。
――重たい音。
その瞬間、緊張の糸が切れたのか、ジェイドは小さく息を吐いた。
鎧の重さではない。
王国という巨大な組織の重さが、肩に乗ったような感覚。
歩き出す。
「団長ー」
声がして振り返ると、同じような鎧を着た男がこちらへ駆け寄ってくる。
合流した男はジェイドの隣に並び、自然に歩調を合わせた。
「どうした、ルイス?」
「いや、団長が王様に何を言われたのか気になったんすよ」
「……あの少女を探し出せと命を受けた」
「え!? マジっすか?」
驚き方が少し大げさで、ジェイドはわずかに肩の力が抜けるのを感じた。
「冒険者達や他国へも情報を探るようだ。
ラブル様は恐らく、あの少女――ルチア殿を味方に引き入れるつもりだろう」
「まー……アレはやばいっすからね」
ルイスは半笑いで答える。
戦場の記憶がまだ頭から抜けないのだろう。
冗談めかしていても、声の奥に本気の戦慄が混じっている。
ジェイドは短く頷き、そして――少し言いづらそうに口を開いた。
「……なあ、ルイス」
「どうしたんすか?」
「やはり……女性に想いを告げるのは、雰囲気が大事なのだろうか」
ルイスが一瞬固まり、次の瞬間、空気を飲み込んだ顔をした。
「あーー……流石に、出会い頭に求婚は……」
「……そう、だよな」
ジェイドの背中に、目に見えるほどの負のオーラが立ちのぼる。
英雄の鎧を脱いだ男が、ここまで露骨に落ち込むのは珍しい。
ルイスは苦笑しつつ、気を遣うように言葉を選んだ。
「ま、まあ……あの子、めちゃくちゃ可愛かったですし。
団長が惚れたのも分かるっすよ!」
「可愛いというのも、無くはない。
だが……何よりも、あの力強さに。内に秘めた優しさに――俺は心を奪われた」
ジェイドは真面目な顔のまま、静かに続ける。
「一目惚れというやつなんだろうな」
「貴族達の縁談を断り続けた堅物で有名なジェイド団長が、一目惚れねー。
人って分かんないもんすね」
国の英雄という肩書きがあれば、縁談は山のように舞い込む。
だがジェイドは恋愛事に興味がなく、全て断り続けてきた。
そのジェイドが、あの戦場で――一瞬で落ちた。
「……あーそういえば、あの子。騎士団内でもかなり人気っすよ」
「……何?」
「強い、可愛い、恥じらい方がたまらない、とかなんとか。
もう“ルチア様親衛隊”みたいな空気、出来てます」
「……風紀が乱れないよう、注意だけしておいてくれ」
「出会い頭にプロポーズした団長が言っても、効果薄そうっすけどね。
副団長に伝えときます」
ルイスは笑い、軽く手を振って先に詰所へ向かった。
ジェイドは足を止める。
空を見上げると、青が澄んでいて――不思議と、余計に胸が痛む。
「ルチア殿……次に会えたら」
戦場での礼も、求婚の非礼も。
一度も、言葉にできていない。
「まずは謝罪をしたい……」
英雄はそう思いを馳せながら、再び歩みを進めた。
騎士団の詰所へ。
“災害”を探すという、奇妙な任務を抱えて。
―――
なんだろう。めちゃくちゃ嫌な予感する。
背中が、やけに寒い。
「気の所為にぃ」
そう言う声が、すぐそばで聞こえた気がした。
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