2、トランプ丁半

 テーブルの端に寄せた缶ジュースの側面を水滴が伝う。

 それと同時に、楽の喉元も上下に動いた。


 御手洗が譲ってくれたことにより先攻となったが、どれを引いたものか。

 美しく並んだトランプの上を楽の手が右往左往する。


「あぁそうだ。言い忘れてたがお手付きもありだぞ。思う存分悩め」

「は、はい。でも仕事を抜け出して来てるんじゃ……」

「開始した瞬間からゲームが第一優先。それが御手洗のモットーだから気にしないで大丈夫だよ。こいつが巻きたかったのはそれ以外の時間だしね」


 言葉を引き継いだ布施が人の良さそうな笑みを浮かべた。

 少しだけ緊張がほぐれる。


「それじゃあ、これとこれ、あと……これにします」


 御手洗も言っていた通り、これは運を試されるゲームだ。迷っていても仕方ない。

 楽は適当に三枚引き、中身を見ずに伏せた。


「オーケー。次は俺の番だな」


 御手洗はスラックスのポケットから白いハンカチを取り出して入念に手を拭く。

 何の気なしにその動作を見つめていると、


「悪いな。潔癖症なもんで」


 申し訳なさそうな声音で御手洗が謝罪を口にした。楽はすぐさま首を振って、気にしないでくれと伝える。責めるつもりはなかったのだ。

 御手洗は、楽から見てトランプの右上部分に指を当てたと思えば熟考し、再度ハンカチで手を拭いて、次のトランプにも同じように指を当てた。それを五度ほど繰り返し、ようやく三枚引き終わる。


「それじゃお二人さん、三枚の合計は丁か半か、どっちに賭ける?」


 審判のように布施が問うた。

 それに対し、御手洗が先に口を開く。


「俺は丁だ」

「わ、私も丁です」

「了解。半方はなし、と。では――勝負」


 楽と御手洗は引いたカードを同時に裏返した。


 楽の元には、スペードの二、ハートの五と七のカード。合計十四。

 御手洗の元には、ダイヤの六とQ、そしてスペードの四。合計二十二。


「どっちも予想は丁だったから、一セット目は引き分けだね」


 引き分け。その言葉を理解した瞬間、楽は胸を撫で下ろす。

 始めはどうなることかと思ったが、この調子でいけば問題ない。


 程よく肩の力が抜け、酸素が脳に行き渡る。楽の心境を表すように、髪色は落ち着いた焦げ茶色に変化した。

 しかし、それはすぐに変わることとなる。


 理由は簡単――このゲームに「問題ない」なんて状況は存在しないからだ。




「これで三セット目終了だね」


 布施の穏やかな声が、剣のような鋭さを持って楽の心臓に突き付けられる。


「楽ちゃんは半方を予想したけど手札は丁方。御手洗は半方予想で手札も半方。この勝負は御手洗の勝ちだ」


 布施が言った通り、二セット目、三セット目と続けて楽の予想は外れた。

 運任せのゲームなのだから負けが二回続くこともあるだろう。それはわかっている。だが、二セット目の予想を外した御手洗は、三セット目でしっかり巻き返してみせた。


 楽は一勝で御手洗は二勝。

 このゲームは五セットで勝敗を決める。

 次も楽が予想を外し、御手洗が当てたとしたら、どうやっても逆転できないため問答無用で敗北となってしまう。


 背中に汗が伝った。

 何かを賭ける本物の丁半博打とは違う。そんなことはわかっているはずなのに、確実に崖っぷちへと追いやられている感覚に襲われる。

 いつ落ちてもおかしくない、首の皮一枚で繋がっているような状況。

 その皮を切られるかどうかは、目の前にいる潔癖症の男次第。


「――あんた、いい子だな」


 重たい沈黙が、御手洗の一言で破られる。


「……え?」

「急に何言ってんのかあんたにはわからんだろうが、二セット目を終えて思ったよ。あぁ、この子は言われたことをまっすぐ受け止めて、見えてるものを常識として落とし込むんだなって」


 だから何だというのか。

 思わず訝しげな表情で御手洗を見つめてしまう。が、彼は気にせずハンカチで手を拭いていた。


「楽ちゃん。三セット目、俺には半になることがわかってたと言ったらあんたはどんな反応をする?」

「ど、どうって、そんなの無理じゃないですか、引いたカードの数字は見れないわけだし……」

「そうだな、その通りだ。あんたも同じ意見か? ゲーム開始からずっと黙ってる蚕ちゃん?」


 楽の右斜め後ろへ御手洗は顎をしゃくる。つられるように顔だけ向ければ、そこには眉を寄せている蚕がいた。へらへらとしていたのが嘘のように、力強く唇を引き結んでいる。


「と、飛田さん……?」


 あまりの変化に面食らってしまい、次の言葉が出てこない。

 瞠目したまま固まっていると、


「らっくん」


 小さく名を呼ばれる。


「予言するわ。この〈トランプ丁半〉、らっくんは絶対に負けるよ」

「な、何でそんなこと、飛田さんにわかるのさ」

「わかるよ。だって御手洗さんたち――」


 ――イカサマしてんだもん。


 不機嫌そうな声で放たれた一言が、夕方の広場でやけに響いた。

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