アオ賭賭ケル
福島んのじ
1、飛田蚕という女
「お、ラッキー。まだいたぁ」
教室内に響く、綿菓子のような甘い声。
それは自分に向けられたものだと、
声の主は教室の引き戸に体を預け、真っ白な指でセーラー服の襟をぱたぱたさせている。
「もう十月入ったってのに今日はあちーねー。あ、てかうちのこと知ってる?」
「……五組の飛田さんでしょ」
変人で有名な――と内心で付け加える。
彼女――
癖がありながらも艶やかな短い黒髪。きょとりとした大きい垂れ目に、愛嬌のある太眉。狸を彷彿とさせる彼女を見たら、きっと十人中十人が可愛らしいと言うだろう。だが蓋を開けてみれば、意味のわからない話ばかりをする変人だったと判明。入学当初はその見目に騙されていた男子も多かったと聞く。
とはいえ、蚕と挨拶すらしたことがない楽としては半信半疑だった。突然旧友のように話しかけてきた今日を境に、その認識は改めることになりそうだが。
認知していたことがご満悦なのか、蚕は飛ぶように軽い足取りで楽の元まで歩を進める。そして、高校二年生女子の平均よりも高い位置にある楽の顔を覗き込んだ。
「ねぇ檻見さん……いや、らっくんて呼ぶわ。らっくんさぁ、この後マック行ってうちと茶ぁしばかねー?」
至近距離でコーヒーのように黒々とした瞳に見つめられると、同姓なのについどぎまぎしてしまう。が、楽はすぐに顔を背け、窓ガラスに目をやった。そこには見慣れた少女が映っている。
パンフレットにでも乗っていそうなほどきちんと着込んだ濃紺のセーラー服に、遊び心の無いポニーテール。だというのに、髪色だけは燃え盛る炎のように赤かった。
落ち着くために深呼吸をする。その数秒後、髪色は緑へと変わった。それを見て、楽の切れ長の瞳が苛立たしげに歪む。
「ごめん。私、人の多い所苦手なんだ。悪いけど別の人誘って」
「あそっかー。たしかに、下校帰りの学生が多いファストフード店じゃあ奇病が目立ってしかたねーもんね」
そこまでわかってるなら誘うなよ。
そう思いつつ、蚕の方へ顔を向ける。
口元に手を当てているが、上がった口角は隠し切れていなかった。何を考えているのか、一切読めない表情だ。
これ以上変人と話す必要はない。
楽は肩掛けスクールバッグを背負い、その場を後にしようとするが、俊敏な動きで体を滑り込ませてきた蚕のせいで思わず足を止める。
「ヘイヘイヘイ、どこ行くんじゃーい。らっくんはこの後うちと駄弁るんだろーが」
「……私、さっき断ったよね?」
「そうね、でもそれは人の多いマックへのお誘いっしょ? 人がいない穴場ならそれには該当しない。つまりらっくんは、奇病の感染者であることを気にせずうちと茶ぁしばけるわけ」
「いや、行かないし」
「何で? 用事あるとは言わなかったじゃん。ほんの少しでいいからさー、お願いっ」
両手を打ち付け頭を下げる蚕に、言おうと思っていた反論が引っ込んでしまう。
あー、えっと、などの意味を成さない音だけが口からこぼれた。まるで切れかけの蛍光灯のように、視界の端に映る髪の色が高速で変化している。
「…………わかったよ」
肺の中が空になってしまうのではないかというほど、長いため息がもれた。
感情や思考が変化するたびに髪色が変わる、数時間だけ幼児退行してしまう、などの科学的に説明不可能な事象に悩まされる奇病――U・N・オーエン。
治療法は見つかっておらず、原因も不明。粘膜接触、飛沫による感染はなく、遺伝による発症もないことは判明済み。現在の調査によると、一万人程度の感染者が見受けられるという。
ネットで調べて出てくる情報はこの程度だろう。かく言うU・N・オーエン感染者の楽もこれ以上のことは知らない。
いつの間にか紫に染まっていた髪を視界に捉え、蚕に腕を引かれて連れて行かれた先――そこは、学校近くにある広場の東屋だった。
まだ日は暮れていないが人の気配は一切無い。蚕の言う通り、穴場であることは間違いなさそうだ。
ささくれだった木の椅子に並んで座り、来る途中で蚕に奢ってもらった缶ジュースを開ける。
空気の抜ける心地良い音が耳朶を打った。一口飲み、椅子の前に備え付けられているテーブルの上に置く。
蚕は三日月のような弧を描いたまま、口を閉ざしていた。
駄弁ろうって誘ったなら何か話してくれ。
そう抗議しようと思った瞬間、突然蚕が立ち上がり、前方に向かって大きく手を振り始める。
「こっちこっち。いやー急に集合場所変えて申し訳ないっす」
蚕と同じ方向へ顔を向けると、二人の男性がこちらに向かっていた。
一人はサングラスをかけており、もう一人は茶色のマッシュルームヘア。
唯一の共通点はワイシャツにスラックスという出で立ちのみ。おそらく社会人なのだろう。二人共、二十代後半ほどに見える。
男性たちは楽の向かいの椅子に並んで腰かけた。
「気にしないで。連絡も早かったから助かったよ。で、まずは自己紹介かな? おれが
「
布施と名乗った茶髪の男性の言葉を、サングラスの男性――御手洗が引き継ぐ。
「悪いがこっちは仕事を抜け出して来てるんでね、手早く済ませよう。黒髪ショートのあんたが蚕ちゃんだろ? 早速だがゲームの説明に移らせてもらう」
サングラスを下にずらし目を合わせながら言う御手洗に、蚕は笑みを返した。
「あ、すんません。今日ゲームするのはうちじゃないんす」
「へ? じゃ一体誰が……」
言いかけた布施の丸っこい瞳が楽の方へ向く。
「もしかして、こっちの子?」
「ご名答」
小さく可愛らしい手が数度打ち付けられる。その姿はさながら悪の親玉のようだ。
「彼女はうちが見つけてきた逸材――檻見楽。今日は彼女がゲームやりますんでっ」
「は、えっ、はぁ?」
状況が理解できない。
駄弁るために広場へ来たんじゃなかったのか? 騙していたのか? いや、それよりもまず――
「――やらないよゲームなんて! 私もう帰るから!」
「あらら? そんなこと言っちゃっていいんかー?」
スクールバッグを引っ掴んで立ち上がった楽の鼓膜を、場に似つかわしくない甘い声が震わせる。
「缶ジュース、奢ってあげたっしょ? もし本当に帰ったら、明日学校でらっくんに無理やり奢らされたーって嘘言い触らすよ。奇病のこともあるし、何より人目を気にするらっくんからしたら堪ったもんじゃないだろうね」
「……ッ!」
反論すらできない楽に、蚕は「だぁいじょうぶだよー」と神経を逆撫でするように言葉をかけた。
「負けてもらっくんにペナルティがあるわけじゃねーし。軽い気持ちでやってよ。十年来の友を助けると思ってさ」
「今日初めて話したばっかなのに?」
「そこはほら、脳内で補完してくんねーと」
ちらり、と御手洗たちの方をうかがう。
何も言ってこないが、早くしろというオーラを感じた。
楽は口をもごもごとさせ、再度腰を下ろす。
「お? やってくれる気になった?」
「やらざるを得ないでしょこんな状況! 御手洗さんたちに迷惑かけるわけにもいかないし」
かっけーやら何やら言っている蚕を無視し、どこから出したのかトランプの箱を持っている御手洗を見やる。
「話はまとまったか? 今度こそゲームの説明をするぞ」
「お、おねがいします……!」
「こちらこそ」
楽が頭を下げると、御手洗も丁寧にお辞儀をした。
サングラスも相まっていかつい雰囲気に包まれているが、思っているよりも穏やかな人なのかもしれない。
「これからやるゲームはこのトランプを使う」
御手洗は持っていたトランプの箱を振った。
「ジョーカーは除いてるから合計五十二枚。それを机の上に並べ、お互いに三枚ずつ引く。中身は見ずに自分が引いた三枚の合計数を予測して丁か半かを宣言。言い当てた方が勝ちってわけだ。ルールと手順は以上、簡単だろ?」
「丁か半って、時代劇とかで出るやつですよね?」
「そうだ。偶数なら丁、奇数なら半。今回は丁方半方出揃わなくとも問題ないがな。若いのによく知ってるな、楽ちゃん」
トランプの箱が楽の前に置かれる。
御手洗に「細工してないか確かめてくれて構わない」と促され、五十二枚のトランプを箱から出した。
じっくり観察するが、至って普通のトランプだ。高級そうでもないし、おそらく百均で購入した物だろう。
確認を終えた楽はトランプを返す。
「大丈夫……だと思います」
「確認感謝するよ。これは補足になるが、さっき言った手順を一セットで行い、五セット目で勝ち星が多い方がこのゲームの勝者になる。引き分けの場合は……そうだな、あんたも色々大変そうだし、問答無用であんたの勝ちにしよう」
「いいんですか?」
「いいさ。若人はできるうちに甘えておけ」
慣れた手付きでシャッフルし、せっせとトランプを並べながら、御手洗は一切表情を変えずにそう告げた。手伝うと申し出たが、「悪いが俺は潔癖症でな。自分できっちり揃えて並べないと気がすまん」と言われたため静かに待つことしかできない。
「よし、これで準備は整ったな」
十三枚ごとに並べられた五十二枚のトランプ。何かの儀式だと言われても信じてしまうほど、一定の間隔おきに乱れることなく鎮座している。
「これからやるのは正真正銘、運ゲーだ。その名も〈トランプ丁半〉」
サングラス越しに、御手洗と視線がかち合う。
「さぁ、お互いの幸運を祈ろうか」
危険信号を表すように、視界の端で髪が黄色に染まった。
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